ほろ苦い記憶と優しい味
倉谷みこと
第1話 ほろ苦い記憶と優しい味
「あー、面白かった! やっぱりアクション映画はこうでなくちゃね」
「ああ。特にクライマックス、めっちゃスリリングだったよな」
「ね!」
と、私と洋平は今しがた観終わった映画の感想を言い合った。お互いに、まだ興奮冷めやらずといった様子だ。
今日は休日なので、私は幼なじみで恋人の洋平の家に遊びにきていた。青空が広がっていたら、どこかに出かけようかという案も出たのかもしれないけれど、今日は生憎の曇り空。天気予報では雨も降るとのことだったので、彼の家でDVDを観ることにしたのだった。
テレビのチャンネルを変えて、氷が溶けて薄くなってしまった麦茶を飲み干すと、私のお腹はくうと小さく空腹を訴えた。時計を見ると、お昼はとうにすぎている。
「お腹すいた……」
と、私は無意識につぶやいていた。
「カップ麺ならあるけど、食うか?」
優しく微笑む洋平にたずねられた。
どうやら、私のつぶやきを聞き逃さなかったらしい。耳ざとい奴め。
とはいえ、空腹なのは事実なので、私はそれでいいとうなずいた。
「赤いきつねでいいよな?」
「あ……うん」
微妙な返事をしてしまったが、洋平は気に留めることもなくキッチンに向かった。
「赤いきつね、か……」
キッチンに立つ彼の背中を見ながら、私は小さくつぶやいた。
赤いきつねは大好きで幼い頃から食べていたし、常備食としてかかせない物ではある。けれど、同時にほろ苦い記憶も連れてくるのだ。忘れていたのに……忘れたままでいたいのに、いともかんたんに思い出してしまうあの日の光景。
(なんだかなあ……)
いいかげん吹っ切りたいのに、そうできない自分に嫌気がさす。
「ほらよ」
何度目かのため息のあと、洋平がお湯を注いだ赤いきつねのカップを慎重に持ってきて、私の目の前に置いた。ふたの上には、ご丁寧に割り箸まで乗っている。
「ありがと」
少しぶっきらぼうな言い方になってしまった。
けれど、洋平は気にしていないのか、自分の分の黒い豚カレーと冷えた麦茶が入った冷水筒を順番に持ってきた。私の隣に座ると、二人分のグラスに麦茶を注ぎ、スマホを見ながら五分だから……と独り言を言っている。
そんな彼を横目に、私は麦茶を飲みながら赤いきつねのふたを凝視していた。
「どうしたんだ? 浮かない顔して。もしかして……赤いきつね、嫌いになった?」
心配そうに聞いてくる洋平に、私は昔から好きだから安心してと答えた。
そうじゃなくてと言いおいて、さてどうしたものかとわずかに考える。このまま言ってしまった方が楽になるのではないか、言ってしまったら洋平が気を悪くするのではないか……。そんな相反するような思考が、浮かんでは消えてをくり返す。
「知花。悩んでることがあるなら、言って」
洋平の真剣な声音に、私の中のちっぽけな迷いは跡形もなく消えてしまった。
麦茶を一口飲んでから、私はおずおずと口を開いた。
「実は、さ。赤いきつねを見ると、ちょっと苦い記憶を思い出しちゃうんだよね」
「苦い記憶?」
小首をかしげる洋平に、私はうなずいた。
それは、私が高校一年生の時の話。男子バレーボール部にかっこいい男子生徒がいたのだ。その人は、バレーボール部の部長で
西園寺先輩は、ただかっこいいだけじゃなくてバレーボールも上手い。おまけに、部員達への気配りも欠かさないので、男女問わず人気があった。
そんな先輩に憧れて、私は女子バレーボール部に入部した。私が通っていた高校では、男子バレーボール部と女子バレーボール部の仲がよく、試合前以外はほぼ一緒に練習していた。先輩達はみんな優しく教えてくれたけれど、中でも西園寺先輩の教え方が一番わかりやすかったのを今でも覚えている。
交流を深めていくうちに憧れは淡い恋心に変わり、いつしか私は西園寺先輩を一人の異性として見るようになっていった。でも勇気がなくて、バレンタインデーにチョコレートを渡すことも、クリスマスにプレゼントを渡すこともできなかった。
月日は経ち、三年生が部活動を引退する日。いつも通りの練習のあと、部長と副部長の引き継ぎがあり、ちょっとした送別会を行った。部員ひとりひとりが、先輩達にプレゼントを渡していく。それも高価な物ではなく、文房具など実用的な物や手作りのクッキーなど様々だった。
私も、三年生の先輩達にそれぞれプレゼントを渡した。西園寺先輩用のプレゼントには、小さめに折った手紙をつけてある。それには、『部活が終わったら、少し時間をください』と書いた。
部活動兼送別会は
けれど、私は淡い期待にかける方を選んだ。そうしなければ、チャンスは二度と巡って来ないだろうし、確実に後悔するだろうと思ったのだ。
後片付けも終わり、部員達はこぞって下校していく。その後ろ姿を見送りながら、私はいつになく緊張していた。
しばらくすると、西園寺先輩が現れた。待っていてくれたのだ。
「先輩! あの、私……先輩のことが好きです!」
ものすごく緊張しながらも、なんとか先輩に自分の気持ちを伝えることはできた。しかし、先輩は申し訳なさそうにごめんと言っただけだった。
正直なところ、かなりショックだった。たしかに、相手にされないかもとは思っていた。先輩は人気だし、すでに相手がいてもおかしくはない。それでも、悔しいものは悔しい。
取り
帰宅するなり自室に駆け込んだ私は、ベッドに突っ伏して泣いた。子どものように声をあげて。
どのくらいそうしていたのかはわからないけれど、泣き止んだ時には外はもう真っ暗だった。
リビングに行くと、両親はまだ帰っていなかった。
(そういえば、仕事で遅くなるって言ってたっけ……)
前日に聞いた両親の言葉を思い出しながら、私は買い置きしてあるカップ麺の中から赤いきつねを取り出した。
お湯を沸かして、粉末スープを入れたカップに注いでいく。
五分後、よくかき混ぜてからスープを一口飲む。カツオの風味が溶け込んでいるしょうゆスープの優しい味に、枯れたはずの涙があふれてきた。一人きりのリビングで、私は泣きながら赤いきつねを食べた。
「――と。まあ、そんなことがあってね。それから、赤いきつねを食べる回数が減ってったんだよね」
「そっか。早く食べないとのびるぞ」
そう言って、洋平は一足先に黒い豚カレーを食べていた。
「ちょっと! 時間、教えてくれてもいいじゃん!」
赤いきつねのふたを開けながら抗議すると、
「いや、話の腰を折らない方がいいかと思って」
洋平はしれっとした顔で言った。
たしかにそれはそうだけれど、と思いながらよくかき混ぜたスープを一口飲む。あの頃と変わらない優しい味がした。けれど、あの頃と違って涙はあふれてこない。それが、なぜか妙に思えてきて苦笑してしまった。
「どうかしたのか?」
私の表情の変化を感じ取ったのか、洋平は不思議な顔でたずねてきた。
「いや、なんもないよ」
そう言って、私はおあげにかぶりつく。
ふっくらしたおあげをかじれば、中からほのかな甘みと優しいスープが口の中いっぱいに広がる。
(んー! おあげ、うま!)
その美味しさに顔をほころばせていると、隣から小さな笑い声が聞こえた。視線を向けると、洋平がこちらを見て微笑んでいる。
「本当、知花ってうまそうに食べるよな」
「だって、本当に美味しいんだもん」
「やっぱり、知花はそうやって笑ってる方がかわいいよ。飯もうまくなるしさ」
正面からそんなことを言われた。
急に恥ずかしくなった私は、彼から顔を背ける。
歯の浮くような台詞を、なんでもない言葉のようにさらりと言ってのけるのだ、この男は。私には、到底真似できない。けれど、好きな人が笑顔で隣にいてくれるだけでご飯が美味しくなるというのは、たしかにうなずける。
(……あれはあれで、よかったのかもしれない)
コシがある麺を食べながら、私はそうポジティブに考えていた。
もしあの時、西園寺先輩に振られていなければ、洋平とはただの幼なじみで終わっていたかもしれない。それに、こんなささやかな幸せを感じることもなかったかも。
「今日の赤いきつねは、なんかいつもより美味しい気がする」
「それはよかった」
気負うことなく言えた本音を、洋平は茶化すことなく受け止めてくれた。彼のこういうところに、私は救われているのだろう。心の片隅に引っかかっていた物が、ようやく取れたような気がする。
(ありがとう、洋平)
言葉で伝えるのは少し気恥ずかしいから、彼への感謝は心の中でつぶやくことにする。そして、ふと思った。ほろ苦い記憶を青春の思い出に変えることができたのは、赤いきつねのおかげでもあるのではないかと。そう考えると、スープの優しい味わいがいつも以上に優しく感じられた。
体の内側だけでなく、心もじんわり温かくしてくれる赤いきつねが、私はよりいっそう大好きになった。
ほろ苦い記憶と優しい味 倉谷みこと @mikoto794
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