《終話》失ってまた、得るもの

 一番初めに感覚を取り戻したのは嗅覚だった。

 アキは、ツンと来る消毒薬めいた香りに鼻を擦り、目を開く。


 しばし、覚束ない思考をそのままに、起き上がって背中を丸めていた。

 

 自分以外誰もいない静かな室内はただ白く、清潔だ。

 見知らぬ場所かとも思ったが、周りを見回していると何となく思い出した。


 ――そうだ、ここは……衛生施設だ。


 一度だけ、舞島の遺体を搬送した際に訪れた、墓標の様な無機質な空間。

 そうだと認識して、僅かに落胆する。


 ほんの少しだけ、今までの事が夢だったのではないかと思ったのだ。

 ここは異世界等ではなく、何処かで頭でも打って寝ていただけで……父親も生きていて。


 そこまで考えてアキは吐息のような笑みを見せた。


(そして、また元通り港達に苛められるって訳か……はは)


 そうであったとしたら、あのひ弱な身体に戻って、また同じことを繰り返すのだろうか……?

 それとも、彼らから逃げ出すように別のどこかへと移り住んだり、自分なりにささやかな抵抗を始めたりするのだろうか。


(結局、強くなったつもりで、こんなものか……)


 先の戦いで、アキが出来たことと言えば、精々桂を足止めして、少し話を聞いた位だ。

 岡田がどうなったのかはわからないが、桂の最後の言葉は聞けずに、邪魔をした港達に好き放題にされ、目の前の蛮行をただ眺めるだけに終わった。


(もしかして……僕は自分に期待していたのかな?)


 アキは少しだけおかしそうに笑った。

 死にゆく桂を救って、港達をとっちめて、死んだ小林や鹿島を生き返らせて……何も無かったかのように万事丸く収める。


 そして皆仲良くなって、感謝もされて、めでたしめでたし……そんな終わりを夢見ていたのか。

 正しい思いで必死に戦えば、誰かが奇跡を起こしてくれるとでも?


 アキは、両手を膝の上に叩きつけ、ベッドを軋ませた。


(そんなわけないだろうッ……!)


 神様なんていない……少なくとも、自分が望むままに物事を動かしてくれる存在なんているはずがない。

 だから人は努力して……力を磨き上げる。

 その時になって後悔しない為に。


 胸の奥から込み上げたものが、雫になって両目から溢れてゆく。

 アキはせめて守ってあげたかったのだ……彼が誰かと心を交わしたという痕跡を。

 確かに彼がそこに居て、誰かがその存在に価値を見出していたという事実を。

 でも、それを叶えることはできななかった。


 彼を無価値なごみだと否定する港達の言葉や行動に対して、アキや鈴見は何も抗えなかった。

 言葉は何の価値も持たず、ただ暴力によって正しいという事を一方的に主張された。


 正しい想いを成し遂げる、その為の力だという考えは幻想で……強い力をもって自分の欲を貫こうという人間に対して全くの無力だった。

 

 いや、人によって正しさの基準はバラバラなだけで、アキや鈴見の持つ苦しんだ人を守りたいという気持ちもまた、彼らの欲と出所は変わりないのかも知れない。


 その証拠に、それは容易く凶器へと変貌したのだ。

 目の前の桂の末期の言葉を奪われて、アキが太田を殺そうと思ったように。当たりはしなかったが、鈴見が何度も港に向けてスキルを放ったように。


 境目なんてものは、あってないようなもので……。


(でも僕は……)


 ――出し抜けに、ドアが開いた。


「……失礼。あっ、起きてたの? ノックはしたんだけどねぇ」


 扉の隙間から顔を出して、一人の女性が顔を覗かせる。

 監督官達が纏う衣装よりは幾分か簡素化された軍装の上から、白衣を纏う彼女の姿には見覚えがあった。

 確か、舞島の検死を行った女性衛生官、だったか。

 アキは急いで目元を拭ったが、涙はすでに乾いていた。


「お邪魔しますよっと……」


 彼女はトレイが持ちにくいせいか、無作法に後ろ足で扉を蹴る様にして閉め、アキの元へと近づいてそれを差し出す。


「はい、薬と水。飲んで」

「……はあ、頂きます」


 アキは素直にトレイを受け取ると、幾つかの錠剤を口の中に放り込み、水で流し込む。随分な苦さに舌が痺れた。


 その表情を見てクスリと笑った女性は近くのテーブルから椅子を引きずり出して座り込み、アキの様子を観察する。


「どうやら味覚は正常みたいね。ええと、自分の名前は言える? 記憶はどう? どこまで覚えてる?」

「はい。アキ・スガヤ……異世界人です。こちらの世界に来て訓練を受けている間に、他の訓練生、でいいのかな……が、スキルを暴走させた為に、それを止めようと間に入って……ちょっとした諍いになって倒れました」

「ちょっとした諍いねぇ……ま、いいわ。頭ははっきりしてるみたいだし……。はい、じっとして……どう、痛みはある? 視覚や嗅覚に違和感は無い?」


 言われてみれば、あれ程の傷を負ったはずなのに、体にそこまで痛みは感じていない。

 胴体部に包帯が巻かれているのでどうなっているか見えなかったが、魔術やらで治療して貰えたのだろうか?


「特には……問題無いと思いますけど」

「結構……あ、申し遅れたけど、私、ア=カヅキ国第二百七十九期迷宮攻略班付属訓練補佐衛生官、リーゲル・シュートって言うのね。以後よろしく」

「はあ……治療して頂いてありがとうございます」

「どういたしまして」


 彼女は強引にアキの手を取り、上下に振った。

 実際は恐らくもっと上の年齢なのだろうが、アキ達と同年代か、もしくは少し上位にしか見えないリーゲルの見せる笑みは屈託のないものだ。


「ま、良かったよね、君が丈夫で。ちょっと普通の人間だったら危なかったかも知んない。丁度いいから包帯変えよっか」

「……ええ、お願いします」


 うら若き乙女かもしれない女性に肌を見られる事はいささか抵抗があったが、相手は曲りなりにも医療従事者なのだ。そんな思惑はかえって失礼だと割り切って、されるがままにしておく。


 驚くことに、割れたガラスのようにボロボロに引き裂かれ焦げたはずの鱗はほぼ再生しており、リーゲルが塗り込んでいる薬品も殆ど染みるようなことは無かった。


「やー、お兄さんいい体してるねぇ。どう? 君も導師団マイズに、なんちゃって……訓練が終わったし、あなたたちももう私達と同じ団員なんだもんね」

「訓練が終わった……? どういう事です?」

「ちょっとトラブル続きだったから、訓練は中止だって。例外的に今回は前倒しで各地に配属をさせるみたいね。班同士バラバラになるからねぇ……もしお友達がいるのなら、早めに会っておいた方がいいと思うよぉ?」


 背中に腕を回して抱き着くように包帯を回していくリーゲルを見ながら、アキは問うた。


「……僕がここに運び込まれてから何日経ったんです?」

「に~、さん……うん、三日かな?」


 そんなに眠っていたとは露知らず、アキは額を押さえた。

 身体は正直というか……やはり思ったより大きなダメージだったのだろう。


「詳しい事はマルバ上導にでも聞いてよ。それとあの子達……同じ班の子達も毎日様子を見に来ていたから、その内来るんじゃないかな?」


 リーゲルは、治療を終えて背中を絶妙な力加減でぽふっと叩く。

 

「ま、色々あったみたいだけど元気出しなさいな。近しい人を亡くしたって、あなたはこの先も生きてかなきゃなんないんだし。ちゃんと治療した者としては、前を向いて歩いて行って欲しいな」


 今更ながら思うが、彼女はこの姿が怖いと思わないのだろうか?

 

「あなたは……僕の事を気味が悪いとか思わないんですか?」


 日々魔物の脅威にさらされているこの世界の人間にとって、自分の姿は恐怖とは映らないのだろうか?


「そりゃ、思うところはないでもないけどね……でもこの世界にも、《混人ケウル》……幻獣の血を引いてるって伝承のある人達や、色んな人がいるし、それにね」


 リーゲルは何かを思い出すしぐさをして、口元をほころばせる。


「君を運んできたのはマルバ上導だったけど、それに着いて来てた君のお仲間さん達は必死な顔で君の事を助けて欲しいって頼んで来たよ。君達の関係性は知らないけど、そんな風に思われる人間が、悪い人のはず無いと思わない?」


 それを聞いて、アキの思いは複雑だった。

 彼らは、桂とのように苦しい思いを分かち合ったわけではない。

 けれど、アキがあの場に駆け付けるよう促してくれたのはイツミで、セオやカホも、危険なことを承知で共に戦ってくれた。


 そうまでしてくれた彼らを今までのようにぞんざいに扱っていいはずはなかった。

 かといって、どのような態度で彼らと接したらいいのか、戸惑うばかりだ。


 そして騒々しい足音と、几帳面なノックの音が、今度はしっかり耳に届いてしまった。


「おっと、来たみたい。あなた、時の神に恵まれてるみたいね……あら、嬉しく無いの?」

「色々と、彼らとの間にもあったから……」

「……大丈夫よ。きっと顔さえ合わせば、考えなくても言葉なんて出て来るから。仲間って、そういうものでしょう? それじゃ、開けるわね?」


 こちらの返事も待たず、二度目のノックに合わせてリーゲルは扉を開く。

 戸口に立っていたのはマルバだ。

 この男の表情は掴めない。

 大体いつも無表情か、笑っているかで、今もまたさして意外そうな顔はしていない。


「話声がすると思ったら、目を覚ましたようだな……そろそろだとは思っていたが」

「……本当!? あ……」


 そして、後ろから五班の面々が顔を出した。

 一番最初にイツミが、マルバを押しのけるように飛び込んで来る。


「おい、イツミ。病室なんだからあんまり騒がしくするなよ……」

「しないわよ……しないけどさ。はぁ……」


 アキの顔を一瞥した後、イツミはふらっとしゃがみ込んで顔を隠す。

 苦笑したセオとカホも続き、狭い室内が、人で満たされた。


「あらかたは鈴見先生から聞いたよ。調子どう、ってのも変かな。もう動いても大丈夫なのか?」

「ああ。……運んでもらったり、迷惑かけたみたいだね。……ごめん」


 いつになく神妙な態度を取るアキに、二人は顔を見合わせて驚く。


「わ……しゅ、殊勝なアキ君の表情。これはレアです……保存しておかないと」

「どこにだよ……。でも、少し心境が変わったのか?」

「……かもね」


 おどけて指で額縁を造るカホに呆れながらも、セオは何かを察したのか、アキがはぐらかしたのを追及しようとはしなかった。


「イツミちゃん、ほら、みて下さいよ。こんな顔……」


 はしゃぐカホがイツミの手を取って強引に立ち上がらせる……そんなに自分はみっともない表情をしているのだろうか。


 整えている暇も無く、彼女は俯いていた顔を上げる。


 こちらを真直ぐ向いた顔。

 瞳も顔もじんわりと赤くして、鼻をぐずらせながら口をへの字に曲げている。

 ひどい顔だった。


「何て顔だよ……」


 自然に、小さく噴き出した。


「……あんたこそ。……ふん」


 そしてイツミも、鼻を鳴らした後、こらえきれなくなって笑いだした。

 その笑いは後ろの二人にも伝播していく。


「ふ、何だよお前達……勝手に仲良くなっちまってさ。俺の方が先にアキに声かけてたんだぜ?」

「その発言はちょっとあれじゃないです? ……でもそうですよ、二人だけでずるいです!」


 例え、大きな力だけが運命を左右するのだとしても、僕達が何一つ与えられなかったのだとしても、この笑顔に、この繋がりに価値が無かったとは思えない……思いたくない。


 あの時彼と繋がる事で託されたもの……それだけは、港達にも奪われることは無く、今、アキの心を照らし始めている。

 

(僕も、お前みたいに……何も守ることができなくても。大事なこの気持ちを誰かに受け継いでもらえるように、一生懸命勇気を出して手を伸ばすよ。皆と一緒に)


「……皆、これから、よろしく」


 心の中で、最後にありがとうと告げて、アキは笑顔を浮かべる仲間達の前に手を差し出した。


(~完~)


―――――――――――――――――――――――――――


最後まで読んで頂きありがとうございました。


※以下は本編とは関係ないあとがき部分になります。ほぼほぼ反省会になっておりますので悪しからず。


今回は本当に色々失敗してしまった感じです。全体を通して400PV……という残念な結果に終わってしまいました。以降も設定とか色々考えていただけにきつかったです。また作品を殺してしまったのでした……。


まず第一にタイトルと作品紹介が下手なのと、そこに反映できるような特別な何かが無かった事が問題です。最強とか追放とか成り上がるハーレムとか令嬢とか……主人公に対して期待させられるワードとかを作品の核に据えられなかった。よってまず、見向きもされない。タグ検索もされない……。


そして多分世界観が暗すぎた事も歓迎されない要因の一つなのかなと思います。

読者様方には読んでて疲れさせてしまったかも。また感情表現とか情景描写とかを多めに入れて見たつもりでしたが、これも帰って読みにくかったかも知れません。済みませんでした。


何より書いていてあまり楽しめていないのは……良くないですよね。

自分の興味すら引かない世界観が他人様へ楽しんでもらえるわけがない気がします。


まあでも、愚痴ってばっかりいても仕方ないので、一字一字書く事で成長していると思い込んで次も頑張って行こうと思っています。


もしこんな所まで読んで頂けている人がいたら、本当にありがとうございました。

良かったらご意見やご感想など頂けると有難いです。


それでは遅くなりましたが、今年も明けましておめでとうございます。

皆様にとって明るく良い年になりますように。


(2022/1/19 安野 吽)

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《涯(はて)の大地》アーレ=メリア 安野 吽 @tojikomoru

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