収奪の林

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 きっかけは、里山トラスト運動に顔を出した事だった。武蔵野にある大学の環境科学科に通う秋山は、掲示してあったポスターを見て、近くに里山トラストになっている所があることを知った。新しい取得地のお披露目式があるという。寄付をしていなくても、関心のある人は誰でも参加できるらしい。

「あっ、ここなら自転車でも行けるな」

 元々里山の保全に興味のあった秋山は、お披露目式に参加してみた。そこで、トラストに土地を提供した老婦人、奥原と話す機会があった。夫はもう他界しているとの事だ。

「柴を背負子しょいこうずたかく積んでな、山道を通ったもんだ。薪は運ぶのも難儀だったけど、切るのはもっと大変だった。でも、これをしないと煮炊きもできないし、暖も取れなかったからねぇ。炭焼き? ああ、やったよ。でもあれは換金が目的で、自分は余った細かい炭をかき集めて火付けなんかに使っただけさ。炭は贅沢品なんだよ。今じゃあ、キャンプなんかのレジャーで使うみたいだけど」

 秋山は、そんな話しに興味を覚え、その後も時々奥原を訪ねた。これを元に卒論が書けるかも、などという魂胆もあった。


 秋山は、里山について調べていくうちに、「収奪林」という言葉を知った。今で言う「里山」の、機能的な意味での呼称という。牧歌的な響きを持つ里山という言葉に対して、脅迫的な圧を感じる言い方だ。その中間的な「雑木林」という表現が一番穏当なのかもしれない。多くの太平洋側の山稜地帯がそうであるように、武蔵野台もかつては広大な照葉樹林に覆われていた。それが人の入植と共にゆっくりと遷移し、田畑と、それを取り巻く雑木林に姿を変えた。当時として、これは「必然」だった。都市部を除き、まだ、電気、ガス、水道が普及していない中で、農村でも生きていく為には灯りや暖が要るし、農作のための肥料も必要だった。建材や、道具を作るための木材も欲しい。林産物を作る場所もあるといい。そして、それら全てを提供するのが雑木林だった。まるで、田畑や牧場のように、その全てを人間にべくして誕生した林だ。

 収奪林は人里に近い、日当たりの良い緩斜面に作られた。原生林の暗いシイやカシの森に比べ明るく、林縁はカタクリなどの早春花によって彩られた。しかし農家にとって、それは花を愛でる対象である以前に「食料」だった。斜面に生えるわらびぜんまいなどの山菜と同列だ。収奪林はその端から端までが人の役に立っていた。


 秋山は、奥原の話しから、何故、収奪林が現在のように放置されるに至ったのかを順を追って理解していった。まさに生き証人の話しは興味深く、しかし教科書には載っていない、人と自然との関わりを綴った「歴史」だった。

 電気が通った時には村中が喜びに沸いた。たった一つの裸電球だったが、油の灯火ともしびに比べれば格段に明るい。もう、油やろうを買ったり採取したりする必要は無かった。

 そしてプロパンガスがやってきた。これも革命的だった。着火や消火が容易で、煮炊きをしても煙が出ない。鉈を振るい、重い薪を背負って山道を歩く必要も無くなった。

 都市部の住人も炭を必要としなくなり、炭焼きもすたれていった。食品の流通が発達し、山菜も必需品では無くなっていった。

 また、水道の普及はひるがえって、河川を汚染した。これまでは川の水は煮炊きや食器洗いに使われていて、汚すことはご法度だった。しかし、蛇口から常に清潔な水が出るようになって、河川の水質は重要ではなくなった。川の水で煮炊きする光景はいつしか見られなくなっていった。


 こうして収奪林は、何百年か続いたその使命を終えようとしていた。人々が作り出し、毎日のように人が入り、収奪を繰り返した林は、静けさに包まれた。もう人は来ない。根元から何本にも分蘖ぶんけつしたコナラやクヌギは、もう人の手で切られることは無く、薪炭にできないほど太っていった。フジやツタウルシも伸び放題で木々を覆っていく。

 林縁の山野草や山菜も、もう誰も摘む者はいない。化学肥料の普及で、小枝や落ち葉を集めに来る人もいない。低価格の輸入材が入ってきて、杣人そまびとの斧や鉈の音も山から消えた。

 必要とされなくなった収奪林は荒れていった。その存在はもはや「必然」では無くなっていた。収奪林に頼らなくても、人々は快適な生活を営み、農業生産は可能だった。

 こうして「収奪林」は「里山」へと移り変わっていった。


 秋山は学校の講義にも出てきた「里山の保全」という言葉に違和感を抱くようになっていた。保全により、人々の憩いの場が提供され、春先には咲き誇る山野草を楽しめる。炭焼きなんかのイベントもあるのだろう。しかし、里山は、やはり本来の「収奪林」であるべきではないだろうか。収奪林だからこそ、大切にされ、誰が何を言わなくとも維持管理されてきた。なければ生活できないからだ。しかし、今はそれを必要としない人々が、「貴重な自然」と称し、それをいつくしんでいる。

 考えれば考えるほど、秋山は何か腑に落ちないものを感じていた。でも、どうすればいいんだろう。現代生活を肯定するなら、収奪林なんか不要だ。そうであれば、里山は単なる娯楽でしかない。ある意味で、人工林とはいえ緑を維持する活動にはなっているから、無意味とは言わない。しかし、収奪林の成り立ちを考えると、とてもいびつだ。木をがんがん切ってこそ、収奪林だ。それを目的としている訳ではないが、CO2問題についても完全にニュートラルだ。

 秋山は、どうしてもこのに一石を投じたかった。

「収奪林を『里山』にしてはいけない!」


 若さの成せる業だろう。そう決意すると、秋山は行動を起こした。まずは自分の思いを環境科学科の仲間に話した。ブログも立ち上げた。里山トラストの人達にも説明した。予想はしていたが、反応は鈍かった。

「お前の言うことは分かる。でも、だな・・・・・・」

 多くの人はそれなりの理解を示したが、活動にまで協力してくれる人はいなかった。先生方の反応はもっと冷ややかだった。環境を教えてはいるが、山仕事には関心が無いようだ。普通の生活を送り、3ナンバーの大きなワゴンに乗り、スーパーコンピューターで気候シミュレーションをしている人達にとって、話しの次元が違うのだろう。


 吉祥寺の駅前で、秋山は自作のパンフを配っていた。お金も無く、仲間もいないが、情熱だけはある。

「皆さん、収奪林の復活を支援してくださーい!」

「里山の木はどんどん切りましょう! 切って使うことで維持できまーす!」

 秋山は、思っていることを口に出しているだけだが、ちょっと表現に難があった。これでは一般の人には伝わらない。道行く人は、秋山の呼びかけを聞いて、眉をひそめた。

「『収奪林』って聞いたこと無いわね。何かを奪い取るのかしら。怖いわね。新手の詐欺かも」

今時いまどき、木を切るなんて非常識ね。この人みたいに、環境問題を分かっていない人がいるから、温暖化防止だって進展しないのよ」

 中には、理解する故に反論してくる人もいる。初老の男が、秋山に近づいてきて言った。

「にいちゃん、何甘い事言ってんだね。俺の両親は山仕事でずっと辛い思いをしてきたから分かるけど、昔の農業を復活しようなんて軽々しく言っちゃだめだよ、やめときな」

 秋山は、自分の主張が中途半端だという事は分かっていた。実現しようと思ったら、少なくとも一つの村落をまるまる昔の収奪林の農業に戻さなくてはいけない。そこに住む人々の生活はどうする? 現金収入は? 車は? 学校は? 社会保障は?


 思い悩みながらもパンフを配っていると、スマホが鳴った。

「はい、秋山です。えっ、倒れたって?」

 その電話は、奥原が倒れたという知らせだった。民生委員の人が、秋山の事を知っていて連絡してくれたのだ。

 病室には、その民生委員とベッドで横になった奥原がいた。民生委員は言った。

「軽い心不全だそうです。今は大丈夫です。秋山さんの事は彼女から聞いていて、孫のように慕われているようでしたから連絡しました。彼女には遠方の親戚以外に身寄りがないようでしたので、秋山さんに」

 秋山は、奥原の様子を見てとりあえず安心した。

「あっ、連絡ありがとうございます。彼女には本当にお世話になってますから。無事で良かったです」

 秋山の声に気付いたのか、奥原は薄っすらと目を開けた。

「あぁ、秋山さん。すまないね、心配かけて。そういえば、どうだね。卒論の方は順調かね」

 秋山は、彼女の話しを元にした卒論を書きたい、と伝えていた。

「あっ、卒論はまだ下調べの段階なんです。資料集めとか」

「そうかい、頑張ってね。私が少しでも役に立つなら、冥土の土産にいいと思ってね」

「あー、おばあさん、そんな風に言わないでくださいよ。おばあさんには長生きしてもらって、もっともっとお話しを聞きたいですから」

 民生委員はそのやりとりを微笑ましそうに見ていた。少し元気を取り戻した奥原は、柔和な表情で秋山を見ながら言った。

「なにやら雑木林についてのチラシを配っているって聞いたよ。駅前で。熱心だねぇ。本当に雑木林が好きなんだね、秋山さんは。でもね、昔には戻れないから。あんな、重労働の毎日は私の世代までで十分だよ。それに、今回だって、もし倒れたのが山の中だったら、たぶん死んでるよ。ね」


 秋山は収奪林の復活の話しを奥原にはしていなかったが、なんだか見透かされていたように感じた。

「はい、分かってます。おばあさん達が頑張ったお陰で僕達の今があるんですよね。無茶したりしないから、安心してください」

 秋山は、ブログやパンフ配りで突っ走ってきた自分が、ここにきて少し立ち止まっている事を感じていた。


《ゆっくり考えてみよう。急がなくてもいいや。森は悠久の年月を掛けて変遷していく。あの雑木林だって、すっかり原生林状態に戻るのは何百年も先だろうし》


 奥原は再び目を閉じ、眠ってしまったようだった。

 秋山は民生委員に軽く会釈すると、静かに病室を後にした。

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