59 少女と標

 




 その日の夕方、ハルやノア、シオンなどの面々はグルゴ・パランの広間に再び集まっていた。

 時刻は夕方過ぎ。薄暗くなった室内を天井から下げられた豪華絢爛なシャンデリアが煌々と照らしている。


 全員が集まった事を確認すると、ハルの隣に腰掛けたセシリアが口を開いた。


「こうやって全員で集まるのが久しぶりに感じるわね。」

「ああそうだな。まずはこの数日間の事を整理しよう。」


 オーネットは頷いてそう答えると、机の上へ紙を広げる。


「まず、当初の目的であったリューグルに眠る叡知の神メティスによって、ノアは強力な回復魔法を手に入れた。」


 オーネットが紙の上へノアの名とテミスの名を書いた。

 するとクロノスが腕を組みながら言う。


「謂わば最強の回復魔法師と言ったところだな。ガイアのいる城は確実に連戦になるだろうから、心強い。」

「ノアの回復魔法ってどれくらいすごいんだ?」


 クロエの言葉に、ノアは困った様な顔で答えた。


「まだ全ての魔法を使った事がある訳では無いですが、この場にいる皆さんが真っ二つにされても、即死しない限りは全員一瞬で元通りに出来ますね。」


 ノアが後方にいる限り、一撃で致命傷を受けなければ、全ての攻撃を無効化できる。だがその分、消費する魔力が途方も無い量となる事は明白だった。


「だからガイアの城へ辿り着いたら、ハルにはノアへ魔力を送って貰うわ。」

「えっ!?」


 セシリアが決定事項の様にそう告げると、ハルが不安そうな表情で顔を上げる。


(セシリア様はアテナの力を手にする事が出来なかった。そうなると、私の魔力譲渡が無い限りはセシリア様も生身の人間・・・)


 確かにセシリアは異常な魔力量を持つ魔法師である事。だが一方で、ハルのブーストとも言える魔力供給がされなければ、リューグルで戦ったククネロにすら苦戦していたのも事実である。

 セシリアがアテナの力を手にする事が出来なかった以上、ハルの魔力譲渡の力は必要不可欠だろう、そう考えていた。


「でもそしたらセシリア様は・・・」


 そこまで言って、ハルは口をつぐむ。

 なんと言えばいいのか分からなかった。ハルの魔力譲渡をノアに割くことが全体最適である事は、ハルも理解している。

 だが、あのククネロを凌駕し、セシリアを串刺しにして死に際まで追い込んだアテナを見た上では、素直に頷く事は出来なかった。


「皆知っての通り、私はアテナの力を手にする事は出来なかった。それ所か、危うく命を落とす所だったわ。この戦いにはアテナ、そして未だ行方知らずのタナトスの力が必ず必要。」

「・・・アテナをまだ諦めてないんだな?」


 オーネットの言葉に、セシリアは静かに頷いた。


「ええ。どちらにせよ賭けるしかない。私が賭けに勝つまでは貴方が頼りよ、オーネット。」


 オーネットは紙へとペンを走らせ、自身の名前の下にテミス、と書く。


「私は法の神テミスの元へ行き、法則の力を手に入れた。強力な力だが、その分体への反動も大きい。使い方を誤れば自滅する力だ。」

「オーネットの力はノアと相性が良いはず。だからハル、貴方の力はノアに使わなくてはならない。」


 セシリアから向けられる力強い眼差しに、ハルは俯く様にして頷いた。頭では納得できても、心はそう簡単に切り替えられない。

 だがその反応を肯定と受け取ったセシリアは、話を続けた。


「後はクロエのクロノスの力ね。クロノスの力も強力だけど、負担が大きい。なるべく最後に取っておきたいわ。」

「最初の方は全部アリスに任せるから大丈夫〜」


 気の抜けたクロエの返事に、アリスはむっとした表情を浮かべると、口を開く。


「この先の戦いは神の力がなければまともに戦えない。私やシオンさんはどうすれば?」


 オーネットはクロエとクロノスの名前を紙に書くと、アリスの方へ顔を上げた。


「残るタナトスは、イザベルが連れ去った事を考えるとガイアの城にいるものと考えた方がいいだろう。アリスとクロエ、シオンと私とでまずはタナトスの捜索に当たりたいな。」

「私の回復魔法の射程圏内から出なければ、別れての行動も可能だと思いますが、どうでしょうか?」


 ノアがそう付け足すと、セシリアは顎に手を当てて考え込む。


「終末の神タナトス。名前だけ聞くと不穏なのよね・・・」


 奪われたタナトスは、本当にセシリア達の味方なのだろうか。もし敵なのであれば、二手に分かれての行動は危険過ぎる。だがクロノスがそんなセシリアの心配を打ち消す様に言った。


「タナトスは間違いなく味方だよ。終末の力ってだけあって、タナトスの力自体は恐ろしい。でもそんな力を持っていながら、最後まで血が流れるのを嫌って泣いてた様な奴だ。」


 するとシオンがクロノスへ訪ねる。


「その力ってどんな力なんだ?」

「滅びの力さ。タナトスが指一本でも触れたものは忽ち腐って消えていく。アテナに次ぐ強力な力。」

「それって触れられたらお終いじゃねぇか。もし敵だったらどうすんだ!?」


 するとクロノスは両手から小さな炎を一つ作ると、宙へと浮かべた。


「だからタナトスが敵になる事はないよ。でももし彼女に触れたいのなら、彼の力が必要さ。」


 浮かんだ火の玉は巨大な鳥の姿へと変わり、黄金の羽をはためかせながら部屋中をゆっくりと飛び回る。


「神の遣いと言われる伝説の魔獣、不死鳥ですね。」


 ノアの言葉にクロノスは頷いた。


「不死鳥は、花に触れる事もできないタナトスを気遣って、ガイアが作った魔獣だ。その羽は1本1本が死に抗う使命を持つ。不死鳥の羽を織り交ぜた布か何かを介せば、触れられない事も無い。」


 クロノスがそう言うと、飛んでいた不死鳥の体が燃え上がって一瞬にして消える。


「だが不死鳥はガイアが邪神に堕ちたあの日、ガイアによって消された。だからこの世界ではもう、タナトスの攻撃を防ぐ事は不可能と思った方がいいな。」

「万が一でも寝返ったら、随分と厄介な事になりそうね・・・」


 触れたものを片っ端から滅ぼす力など、防ぎようが無い。そう考えると「タナトスが寝返るはずがない」というクロノスの言葉をただ祈る様に信じるしか無かった。


「一先ず私たち側の事は整理がついたわ。次は敵の事を知りたい。ノア、メティスを呼び出す事は出来るかしら?」


 するとノアが、「少し待っていてください」と言ってそっと目を閉じた。やがてノアの側がぼんやりと青白く光り出す。


「どうしたのだ?」


 以前クロノスが呼び出した時ほどはっきりした姿では無いものの、そのどこか幼い声は間違いなくメティスのものであった。


「メティス、今のガイア達の事、教えてくれる?」


 ノアの問いかけに、メティスは少しだけ考える様な素振りをしてから言った。


「むーー・・・ガイアとレーテはそれぞれネメシス、アーテと名乗っている様なのだ。そしてその下にはアテナ、それと4人の強力な悪魔を宿した人間がいるのだ。メティスに分かるのはそれくらいなのだ。」


 メティスがそう言うと、セシリアが口を開く。


「メティス、グラソンの学生はまだ無事かしら?」

「難しい質問なのだ、確かに多くの学生が捕らえられてるみたいなのだ。でも一人ずつの様子までは分からないのだ。」

「そう・・・ありがとう。」


 そう言って次の話へと移ろうとしたその時、メティスは思い出した様に言った。


「ああ、でも最近4人の悪魔を宿した人間に、1人連れ去られた学生が仲間入りしたみたいなのだ・・・リア、ロペス?知らない名前なのだ。」

「リアッ!?」


 メティスの口から放たれた言葉に、ハルが血相を変えて叫ぶ。


「なんで、リアが、そんなっ・・・」


 リアと面識のあるオーネットやセシリアも、怪訝な表情を浮かべた。


「間違いなく、ハルとの関係を知っての事でしょうね。狙いはハルの心を折って、魔力供給を断つ事。こちらの作戦もお見通しって訳ね。」


 だが、そんなセシリアの言葉など全くハルの耳には届ない。ハルは真っ青な顔で、ただ譫言の様に敵の手に堕ちた親友の名前を呟くのだった。




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 その後、結局リアに纏わる情報はそれ以上、出てこなかった。

 大転移魔法陣の構築が、明日の正午には済む事を確認すると、会議はお開きとなった。なにせ敵の根城の地図も無い状況では、詳細な作戦を立てる事もできない。

 会議が終わると、セシリアは一度自室へと向かったものの、蒼白な表情で俯くハルにかける言葉も無く、今は広間のベランダで1人、遠くに煌めく街の灯を眺めていた。


(よりにもよって、リアを咎人にするなんて)


 明らかにハルを狙った行動に、珍しくセシリアも頭に血が上る。

 夜風に髪を靡かせながら自室にこもるハルにかける言葉を探していると、不意に背後の扉が開いた。


「こんばんは。」

「・・・お母様。」


 風に揺れるカーテンの奥から現れたのは、セシリアの母親、ナタリーであった。

 ナタリーはセシリアの隣に立つと、柵に肘を乗せて夜空を仰ぐ。


「不思議ね。こんなに静かな夜なのに、明日には悪魔の根城なんて。」

「ええ。」


 それだけ答えると、セシリアは押し黙った。

 ずっと得体の知れなかった母親の疑いは晴れ、今はその行動が賞賛されるべきものである事も分かっている。なにせナタリーは真相を掴み世界を守る為、孤独な戦いを十年近く続けていたのである。

 だがそれでも、開いてしまった親子の距離は、この数日間で縮められる様なものでは無かった。


「・・・ありがとう、ございます。お母様。」

「何の事かしら?」


 突然セシリアの口から発せられたお礼の言葉に、ナタリーは首をかしげる。


「アテナとの戦いで死にそうになった時、お母様の声が聞こえました。」

「・・・・・・。」


 ナタリーは静かに黙ったまま、セシリアの方を見つめた。


「お母様が、助けてくれたんですよね。何かしらの魔法を使って。」


 あの瞬間、確かにセシリアはアテナに敗北した。だが串刺しにされた時に聞こえた声と、溢れた魔力。その二つが瀕死のセシリアの体の限界を破り、突き動かした。

 その力は、第三者の介入でなければ説明がつかない。

 だがナタリーは優しげな微笑を浮かべたまま、視線を夜空へと戻して言った。


「貴方は貴方の力で神に打ち勝ったのよ、セシリア。」

「・・・・・・。」


 セシリアがその言葉に何と返せばいいものか悩んでいると、ナタリーは何も言わずにその体を翻し、広間へと戻っていく。

 そして出て行く直前、セシリアの方を振り返って言った。


「この先、どんな困難があっても貴方なら乗り越えられる。貴方は私の、たった一人の娘ですから。」


 そして部屋の中へと消えた。

 一人、残されたセシリアは、ずっとナタリーが見上げていた夜空を同じように見上げると呟く。


「・・・・・あの人には一生勝てそうにないわね。」


そう言って僅かに微笑んだセシリアの横顔は、どこか切なく、悲しげであった。




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百合と魔法と伝説の賢者 ウニ @uniun

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