彼と私ときつねとたぬき

碧風羽

『赤いきぬね』と『緑のたつき』

 電気ポットのお湯が沸いて、しゅんしゅんと心地よい湯気が噴き出してきた。

 彼が『赤いきつね』のふたを開けて、まだこちこちの油揚げを私にくれる。


「はい、若葉に、おあげあげるね」


 私も、『緑のたぬき』のカップの中から、かき揚げを渡す。


「じゃあ、このかき揚げをそなたに食べさせてしんぜよう! 陽太どの!」




 職場恋愛で始まった私と彼。

 ふたりとも、ちょっぴりオタク。

 自宅デートでは、大好きな歴史ゲームで一緒に一日中遊ぶ。その時の習慣は、ご飯時にいつもお互いのインスタントうどんの具を交換することだった。


 彼は『赤いきつね』のスープの味と『緑のたぬき』のかき揚げが好き。

 私は『緑のたぬき』のスープの味と『赤いきつね』の油揚げが好き。

 それをお互いに知ったときは、運命の恋だって思った。

 これ以上の相性があるだろうか。




 お湯を入れて四分間。早く食べたい気持ちが先走って、時々三分くらいで食べちゃったりもするよね。

 今日も陽太がお箸を携えて、うどんに向かって手を合わせた。


「そいじゃ、『赤いきぬね』いただきまーす」

「ん? 私のは、『緑のたつき』になったの?」

「そうだよ、真ん中の具が入れ替わりっこしてるんだもん」


 私の一口目はおあげの角っこ。あつあつのスープが染みて、でも、おあげについてる甘い味もほんのりして、たまらなく好き。

 彼の一口目は乗せたてのかき揚げ。サクッと音がして、ますますふたりの食欲をそそる。




 ふたりでいくつもの『赤いきぬね』と『緑のたつき』を食べて、冬が来た。

 突然、陽太の親御さんに大きな手術の必要性が出たことで、彼は一度地方の実家へ帰ってリモートワークをすることになった。

 初めての離ればなれ……。

 私たちはお互いにあまり干渉し合わないタイプではあるけれど。毎日、会社も週末もずっと会ってたから……。この状況はやっぱりちょっと寂しい。


「若葉、元気出してよ。俺が実家からそっちに戻ったらさ……一緒に暮らそうよ」


 電話の向こうで、陽太が言う。

 あなたのほうがへこんでるみたいな声してるよ、と思いつつ、私も了承した。

 恥ずかしくて、オタクモードに切り替えて乗りきった。


「ほほう! ついにワシの家来になるか! 陽太どのの面倒なら、任せるがよい!」


 受話器から、これまたふざけた返事が聞こえた。


「ははーっ! よろしくお願いいたしますお館様、いえ若葉様!」




 春が来て、今日は私たちの同棲一日目。

 引っ越し屋さんに手伝ってもらいながら、真新しいアパートにあらかたの荷物を運び込んだ。

 まだカーテンもかかっていない窓辺に春風が訪ねてきている。

 その傍にへたりこんで、疲れたな……と思っていると。

 陽太が「じゃじゃ~ん」なんて言いながら、ひとつの段ボールから電気ポットと『赤いきつね』、『緑のたぬき』を取り出した。

 私は目を輝かせて、つい叫ぶ。


「おぬし、やるのう!」


 電気ポットをコンセントに繋ぎながら、彼は心底嬉しそうだった。


「ほんと、引っ越し途中にもすぐ作って食べられるから最高だよね」

「うんうん!」


 お湯を入れての四分間も、ふたりでいるとすぐに過ぎてしまう。

 割り箸をぱちんと割ると、お揃いにきれいに割れて、縁起がいいねと言い合った。

 そして、『赤いきつね』のふたを開けた瞬間。彼が驚愕の顔で固まって、オタクモードになった。


「大変です若葉様ーっ! 久しぶりだから、具を交換するの忘れてました!」

「なんじゃとお! 苦しゅうない! 今すぐおあげをワシによこしなさい! そなたのかき揚げはここにある!」




 空になったふたつのカップ麺。

 いっぱいになったふたつのおなか。

 私は幸せを噛み締めながら、大切な気持ちを伝えた。


「きょ、今日からよろしくね……」

「よろしく」


 それ以上の凝った言葉はなかったけれど、代わりに優しく微笑んでくれる彼がいた。

 ……その笑顔を見て、胸がきゅっとなる。

 ああ、好きだなあ……。

 彼と一緒だと、どうしてこうも心が落ち着くんだろう。


 これからも、『赤いきぬね』と『緑のたつき』が私たちを見守ってくれるに違いない。




〈了〉

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彼と私ときつねとたぬき 碧風羽 @foomidori

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