第8話 ~後日談~ これからの二人

カーンカーンカーン


早朝、未だ霧の立ち込めるアトラス山の山頂の神殿から鐘が鳴り響く。


神殿内、早朝だと言うのに行きかう人々が皆速足で通り過ぎていく。

彼らの表情は一様に喜びに満ちていた。


昼過ぎになり、クロノはゆっくりとした足取りで皇帝の間に向かった。


「こちらの準備は整いました」

「ああ」


ジークフリートは、入って来たクロノの姿に目をやると思わず顔をしかめる。


「やり過ぎではないか」

「いえ、これが私の正装です」


今日のクロノの装いは、明らかに普段とは違っていた。


金糸で刺繍の入った漆黒の軍服に、肩からは同じく黒のマントが美しいドレープを作って床まで流れている。

手には漆黒の手袋を付け、髪も心なしかいつもより整えられている。

耳には眩いばかりの宝石の付いたイヤーカフスが付けられ、そこから繋がれた金の鎖は、緩やかにマントを止めているクリップ型のブローチへと続いていた。


「いや、そうなんだが……」

口ごもるジークフリートだったが、彼の装いも似たような、いや、もっと豪華であった。


金糸と銀糸で刺繍された真っ白い軍服は、クロノよりも裾が長く光沢を帯びている。

肩から緩やかに流れるマントはやはり白で、マント止めブローチには金で帝国の紋章が彫られていた。

長めの髪は綺麗に後ろに流されており、耳・首・手首・指にはとんでもない価値の装飾品が付けられている。

そう、これこそが皇帝陛下の正装である。


「私達はララ様より無職の称号を与えられましたので、何としてもここで挽回せねばなりません。何よりもララ様のご家族に好印象を与えなければいけません」

クロノがやけに楽しそうに言う。


「……いや、そうなのだが……」

単に楽しんでいるだけでは?


「では参りましょう」

クロノはパンっと掌を合わせ、部屋を出る為に皇帝の間の扉を開ける。

そこには頭を下げた多くの神官たちが、両通路沿いに並んでいた。


彼らの足は皆一様に震えていた。


ジークフリートは皇帝の間を殆ど出ない。

公式に記録されているのはたった1度、500年前に神の使いで下界に降りた時のみ。

ちなみにアクア王国に行ったのは完全にお忍びである。


つまり、神殿で仕事をしている神官や召使ですらジークフリートの姿を目にしたことが無いのである。

彼らは初めて目にするジークフリートの神々しい姿に感動で打ち震えていた。


「皇帝陛下の御神渡りである」

クロノはそう告げると、ジークフリートと共にゆっくりと神殿の外に向かった。


神殿の庭、帝国の街並みを一望出来る場所に銀色の大きな馬車が用意されている。

側面にはルグレシアン帝国の紋章。

これは皇帝陛下専用馬車である。


周りには多くの騎士達が整列して待機していたが、彼らも表情には出さないが一様に緊張している様子だった。


ジークフリートは馬車には乗らず庭先まで歩くと、下界に向けて軽く右手を払った。

するとその動きに合わせて光の粒子が集まり、下界に向けて光り輝く道が出来上っていく。騎士達は皆驚き歓喜の声を上げた。


「さあ!プレゼントも沢山用意しましたし、ララ様のお誕生日パーティーに参りましょう」

ジークフリートとクロノは馬車に乗り込み御者に合図を送った。

馬車はゆっくりと動き出し、光の道を進んでいく。

再び神殿から鐘が鳴り響いた。






カーンカーンカーン


その日の早朝、突然帝都中に鐘が鳴り響いた。

その音に国民達は驚いて飛び起きる。


「今の鐘は……」

音に気付いた誰もが、遠くアトラス山の頂に鎮座する神殿を眺める。


カーンカーンカーン


魔力を伴って帝国中に鳴り響く。


「鳴っている!天空殿から鳴ってるぞ!!」

誰かが外に飛び出て大声を上げる。

その後、同じように鐘の音を聞いた人々が歓声を上げた。


天空殿と言っても空に浮かんでいる訳では無い。

北にあるアトラス山は帝国で最も標高が高い為、その頂上に建っている皇帝の神殿が下界からはまるで雲の上に浮いている様に見えるのだ。

その為、国民からは天空殿と呼ばれていた。


カーンカーンカーン


鳴り響く鐘。

その音に乗って、美しい魔力が帝国中を包んでいく。


「皇帝陛下が下界に降りられる!」

「何百年ぶりか!?」

人々は歓喜し、音に乗って運ばれてくる心地よい魔力を存分に吸い込んだ。


帝国は人間社会と違ってとても分かりやすい。

民の大部分が種族に関係無く大なり小なり魔力を有している為、皇帝の力量を己の身で知る事が出来るのだ。


実際帝国の頂点に君臨しているジークフリートの魔力は甚大で、あらゆる種族を凌駕し、神に近しい存在だった。

そんな生き神とも言える皇帝が、久方ぶりに下界に降りてくるのだ。

国民が喜ばないはずがない。


しばらくすると鐘は鳴り止んだが、国民達は朝から気もそぞろだった。

皆は思い思いの作業に勤しんでいたが、気が付くと視線は神殿の方を眺めていた。


そして昼過ぎ、

再び鐘が鳴り響き、神殿から光の道がまっすぐ下界まで出来上がる。

それを目撃した国民からは大きな歓声が上がる。


それからしばらくして、白馬に乗った多くの騎士と銀色の美しい馬車がその道を走っていくのが見えた。


それはまるで神話の1ページ。

とても美しい光景であった。


国民は熱狂し、馬車に向かって手を振り続けた。

その日から10日間、帝都はお祭り騒ぎに包まれたのだった。



「初めまして、クロノ・シファーと申します。皇帝陛下の右腕であり、この国の宰相を務めさせて頂いております。そしてこちらがジークフリート・ロイ・アルト。我が主であり、この国の皇帝です」


ララの家の玄関ホール。

クロノはその場で恭しく腰を折った。


「ジークフリート・ロイ・アルトだ」

ジークフリートは、何とも言えない空気の中、一応挨拶をする。


家族全員が茫然と立ち尽くし、ララ本人ですら何が起こっているのかしばらく理解出来なかった。


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「ふふふふ」

銀色の馬車の中、

ララの笑い声に斜め前に座っていたクロノが首を傾げた。

「どうなさいました?」

「ふふふ、ちょっとね。クロノのその服を見ていると、ジークと2人、初めて私の家に来た日の事を思い出したの」

「ああ、成程」

クロノはほほ笑んだ。

確かに今日の装いはあの時とほぼ同じだ。


「あれはクロノの入れ知恵だったのでしょ?」

「入れ知恵なんて人聞きの悪い」

「あら、ふふふふ」

ララは面白そうに笑った。


クロノは少し眉を上げながら、自分の唇に人差し指を添える。


「ここだけの話」

クロノは声をひそめた。

「ここだけの話?」

ララもクロノに合わせて声をひそめ、クロノの方に身を近付ける。


「主は極度の引きこもりでして」

「え……引きこもり?」

想像と全く違う話の展開に、ララは首を傾げた。


「ええ。ご存知の通り、皇帝の間、まあ執務室ですが、そこと庭の往復で生活の全てが事足りる訳でして」

「あ~、確かに」

いつの頃か、ララはジークフリートに庭を案内された日の事を思い出していた。


庭と呼ばれてはいるが、庭の先にはジークフリートやクロノの居住スペースがあり、その他、ありとあらゆる動植物が生息しており、身の回りも実体の無い精霊達が世話をしてくれる。


「四季があるのには流石に驚いたわ。まるで別の国みたいだった」


「あそこは主の神力で作られた次元の違う世界ですので……まあ、国と言っても差し支えありませんね。広さはとんでもないでしょうしね」

端まで行った事ありませんが。


「だからこそ、敢えて帝国に降りる必要が無かったのですが……」

クロノは軽く息を吐く。

「そもそも彼は帝国にはさほど興味がありませんでした」

「えっ!?皇帝なのに?」

ララは驚いた。


「お側で見ている限り、ルグレシアン神の事は余り好きではないのかもしれません」

「え~~~!?」

何てこと!?衝撃の事実。

「あ、大丈夫です、ルグレシアン神からは一方的に愛されていますから」

「い、一方的……」

「まあ、長く生きていれば色々あります」

「はあ……」

聞いて良いのだろうか、こんな話。

ララは複雑な気持ちになった。


「そこにララ様が現れた」

「えっ?!」


ララは突然自分の名前が登場した事に驚いたが、黙ってクロノの話の続きを聞くことにした。

「私は一応はこの国の宰相。民の幸せを考えなければなりません。主は民から絶大な人気があり、信仰さえされています。皇帝自らが民の前に姿を現す。それはこの国の民が何よりも待ち望んでいる事です」

クロノは静かに語った。


「だからあの時公式に拘ったのね」

ララは3年前のクロノとのやりとりを思い出していた。


「ええ、その節は申し訳ございませんでした」

「本当。めちゃくちゃ驚いたんだから」

ララは頬をぷぅっと膨らませる。

「ララ様を口実にしないと、困った事に主は民の前に姿を現してはくれないのですよ」

クロノはワザとらしく首を横に振って困った顔をする。

「クロノも大変ね」

ララは困ったように笑った。


カーンカーンカーン

「鐘の音が近くなりましたね、そろそろ神殿に到着します」


今日、ララは自分の家に迎えに来たクロノと共に、銀の馬車で光の道を進んでいる。

向かう先はジークフリートの待つ神殿。

光の道には一面に花々が敷かれ、馬車が通るとその風圧で花びらが舞い散り、キラキラと下界に落ちていく。


3年前と同じように、多くの国民達が外に出て手を振っている。


「今日のララ様は特にお美しいです。主が見たらとても喜ぶでしょう」

「まあ!ありがとう!!」

ララは嬉しそうにはにかむ。


今日のララは露出を控えた真っ白いドレスを着ていた。

精霊が魔力で編んだ繊細なレースをふんだんに使ったドレスは、白い生地でありながら光を浴びて虹色に輝いている。

裾が長く、歩くとふわりと揺れるドレスからは光の粒子が舞い上がり、頭に飾られている長いベールからも同様に美しい輝きが舞い上がっていた。

手には、朝露に濡れた美しい薔薇のブーケが握られている。


「今日のこの佳き日に立ち会うことができ、私は大変嬉しく思います」

クロノは神妙な顔で深々とお辞儀をした。


私達、いいえ、主にとってこの千年は苦痛でしかありませんでした。

今ようやく、彼の願いは聞き届けられた。


「ララ様、存在して下さってありがとうございます」

「えっ、存在って、大げさな……」

「いいえ、あなたの存在こそが私達の光でございます」


馬車が止まり、外から扉が開かれる。

クロノが先に降り、ララに手を差し出した。


「さあララ様、主がお待ちです」


ララがクロノにエスコートされゆっくり馬車を降りると、近くにジークフリートの姿があった。


「ララ、良く来た。待っていたぞ」

「ジーク……」

ジークフリートの余りの格好良さに、ララは顔が赤くなっていくのを感じた。


その姿は3年前の正装に似ているが、以前ほど多くの装飾品を身に付けてはおらず、代わりに胸にはララが持っているブーケと同じ色のバラの花が挿されていた。


「お部屋でお待ちしているようにとお伝えしましたが」

クロノはジークフリートに冷たい視線を向ける。


「心配で迎えに来ただけだ」

「心配ねえ……」

呟きにジークフリートはクロノをギロリと睨んだ後、直ぐにララに視線を戻した。


「美しいな」

ララの腰を片手で抱き寄せ、頬をゆっくりと撫でる。

「あ、ありがとう……」

ララは更に真っ赤になってアワアワと世話しなく動く。


「ララ」

ジークフリートはララの額に自分の額をくっつける。


「共に歩むことを決めてくれてありがとう」

ジークフリートの金の瞳が微かに揺らめいた。


これからジークフリートと共に歩む。

それは数えきれない時を生きるという事。

家族や友との別れもきっとある。


それでも、

「私は迷いません、だって」

「?」

「あなたと共に歩む時がたとえ千年であったとしても、きっとそこは楽園だから」

愛しています。

ジーク。


ララの言葉にジークフリートは顔をゆがめた。

「ララ、愛している」


2人の唇がゆっくりと重なる。

ジークフリートはララをしっかりと抱きしめた。



カーンカーンカーン



神殿の鐘が鳴り響く。



今日のこの佳き日。

2人のこれからが幸せでありますように。




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共に歩む千年はきっと楽園だろう めざし @__mezashi__

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