第7話 ~後日談~ 二人の想い
今から約千年前、
アトラス山の山頂に、神ルグレシアンが顕現した。
激しい戦乱の世が続き、大地から命そのものが尽きようとしている最中、ルグレシアンは宣った。
『この地を平定し、千年治めよ』
これがルグレシアン帝国の始まりである。
------------
帝国の北部、アトラス山の山頂には荘厳な神殿が建っている。
神が顕現される場所。
空に近く下界から遠く離れたこの場所こそ、ジークフリート・ロイ・アルトの居であった。
神の存在が最も近いこの場所から、ジークフリートは滅多に離れる事はない。
神から与えられた「ロイ・アルト《尊き者》」を名に持つ者。
千年生き、神の声を聞く者。
ジークフリートはルグレシアン帝国の皇帝でありながら、同時に国民の信仰の対象でもあった。
普段ジークフリートは、神殿の最奥、皇帝の間で日々の業務をこなし、そこから続く箱庭でそれ以外の時間を過ごしている。
ジークフリートのありったけの神力で作られた箱庭は、完全に外から遮断されている為、ここは彼にとってもくつろげる場所であった。
「この国には慣れたか?」
ララの頬を優しく撫でながらジークフリートは尋ねる。
輝く銀の髪を無造作に流し、黒い軍服をラフに着崩したその姿でさえ、一枚の絵画のようだ。
ジークフリートは、感触を楽しむようにララの頬を何度か撫でる。
亡命から1年余り、ララはいつも通りジークフリートの庭に来ていた。
『もし魔力が無くなってもここに戻って来れるように』
ある時ジークフリートはララの身体に特別な魔法陣を描いた。
特定の場所に強制的に転移出来る高位の空間魔法である。
勿論それは、ララの肌の上に描くのでは無く、内側から描く事によって外側からは全く見えない仕様である。
『ララが願えばどこにいようともここに来ることが出来る。来たい時に来るがいい』
ララはジークフリートの言葉に甘え、出来る限り時間を作ってここに通っていた。
魔力が戻ったララの外見は、成長期のせいもあってか目覚ましい変貌を遂げていた。
どれだけ食べても肉が付かず痩せこけていた頬はふっくらとしてほんのり色付き、パサパサだった髪は今や艶のある美しい黒髪に戻っている。
真っ黒な瞳は常に濡れているように魔力を湛えて揺らめき輝いていた。
ララはジークフリートの膝の上でお菓子を食べていたが、ふと手を止めてじっと彼の顔を見つめた。
「何だ?」
ジークフリートは、ララの口元に付いた菓子の粉を優しく指で拭う。
「うん、新しいお家はとっても住みやすいんだけど……」
ララが口ごもる。
「?何か不便があるのか?」
「ねえ、ジークって普段何してるの?」
ララは以前からの疑問を彼にぶつける事にした。
「ん?普段とは?」
ジークフリートはララの問いがいまいち理解出来ない。
ララは小首を傾げながら、
「う~ん。だって、私が来るとジークったらいつもここにいるでしょ?お仕事とかしてないのかな~っと思って」
そうなのだ。
『いつ来ても良い』と言われたララは、ジークフリートに会う為、結構な頻度でこの庭を訪れていたのだが、いつ来てもジークフリートがいてララを優しく迎えてくれる。
「ぶぶぶぶっ」
背後で変な声がして振り返ると、側に控えていたクロノが手で口を押え、肩を揺らして笑っていた。
「クロノ」
ジークフリートが窘める。
「こほんっ、失礼しました。確かにそうですね」
クロノは姿勢を正す。
「私共が働いている姿など、アクア王国へ視察に行った時くらいしか目にしていませんからね」
クロノの口からアクア王国の名前が出た瞬間、ララは小さく息を詰めた。
現在のアクア王国は、王都の八割以上が砂で覆われ無残にも荒れ果てていた。
あの日を境に王族は消え去り、高位貴族、魔術師の半数も姿を消した。
この混乱を機に、権力を欲した者達のクーデターにより、クロノの願いは無事聞き届けられたのだ。
現在残った貴族達で何とか国としての体裁を保っているが、残念な事にこれも時間の問題だろう。
加護を失った土地は砂漠化が進み、最後には不毛の大地に変わるのみ。
いくら神に祈ろうが変わらない。
「慈悲は無いのですか……?」
審判の日、国王は力無くクロノに懇願した。
足の腱は切られ、両手を拘束された状態である。
辺りを見回しても似たような姿の者ばかりで、カイルやアレキサンダーに至っては、僅かに息はあるものの、体はぴくりとも動いていない。
意識のある者は皆、クロノに慈悲を請う。
しかしそんな人間達に、クロノは優しく諭した。
「もしあなた方が、地を這う数匹の蟻に『どうかお慈悲を』と言われたとします。あなた方はそれに何かを感じますか?慈悲を与えますか?」
答えは?
まあ、あなた方は蟻以下ですが。
クロノはにっこりとほほ笑んだ。
ララ自身、アクア王国がどうなったのかは知らない。
ただ、帝国から王国に何らかの制裁が行われたという話を両親から聞いただけであった。
憎んだり恨んだりするのはとてもエネルギーを使う。
普段普通に過ごしているララだったが、突然発作のように強い憎悪の感情に飲み込まれてしまう事があった。
悔しい
許さない
大嫌い
滅んでしまえ
ララは体中を渦巻く黒いエネルギーの塊を制御する事が出来なかった。
「魔力と感情はダイレクトに繋がっている。魔力をしばらく無くしていた事で、制御の感覚が鈍ったのだろう。我慢する必要はない、どんな感情も全て吐き出してしまえ」
ジークフリートは泣き疲れたララの口に甘いキャンディーを含ませ、彼女に優しい眠りが訪れるまで抱き締め続けた。
「大丈夫だ、私がいる」
瞼に落ちる、優しい唇。
ララは自分はもっと強い人間だと思っていた。
この暗い感情を昇華出来たのは間違いなくジークフリートのお蔭だった。
今も魔力制御が完璧に出来ているとは言えないけれど、寄せては引いていく感情の波と共に体内を巡る魔力はとても心地よかった。
ジークが好き。
否。
ジークを思うと言葉に表せない胸の苦しさや熱が込み上げてくる。
この感情を言葉にすることなど到底出来ない。
日がな一日彼の傍らに座り、言葉少なく共にいる時間は何物にも代え難い。
もっと触ってほしい
もっと抱きしめてほしい
もっと見つめてほしい
止めどなく溢れる感情に、彼を見つめる瞳が熱で潤んでいる事をララは自覚していた。
あざといだろうか?
浅ましいだろうか?
でもこの感情の波なら、飲まれてもいいとララは思った。
「えっと、その……忙しく無いようならお家に招待したいの」
ララは自分の声が上ずっていることに気付いていた。
「もうすぐ私の誕生日だから、お家でささやかなパーティーをするの。良かったら2人に来てほしくて。お父様がね、もし帝国で親しくしている人がいるなら連れて来なさいって」
「そうか」
ジークフリートの金の瞳が優しく細められる。
1年以上たった今でも、ジークフリートとララの関係は昔のままだった。
ララとの婚姻。
ジークフリートがそれを望めば簡単に成就するだろう。
しかし、一度婚約で酷い目にあっているララとその家族にとって、たとえ恩人からの申し出だとしても決して良い気分ではないだろう。
ジークフリートは、ララ自身がそれを望んだ時に行動を起こそうと考えていた。
ララはまだ幼い。
自分の気持ちにララが追いつくまで、ジークフリートはいつまでだって待つつもりでいた。
何せ2人の時間はたっぷりとあるのだから。
勿論それまでララをとろとろに甘やかし、自分がいないと生きていけないようにするつもりであるし、ララを狙うよからぬ輩が現れた際は速やかに排除する予定でいる。
「勿論参加させてもらう。いつだ?」
ジークフリートは、ララの頭のてっぺんに唇を寄せながら尋ねた。
「5日後、予定は大丈夫?」
「何を置いても行く。クロノ、お前はどうする?」
ジークフリートは傍らのクロノにわざとらしく尋ねた。
「私もありがたく参加させて頂きます。それでララ様、これは公式のお誘いでしょうか?」
個人の誕生日パーティーに公式もへったくれも無いのだが、クロノは言質を取る為に敢えてそう尋ねた。
「え?公式?」
ララは首を傾げた。
クロノの質問の意図が理解できなかった為である。
しかし、
「うん、多分そう。だと思う」
ララは取り敢えず頷く。
「ありがとうございます!当日を楽しみにしております」
クロノは柔らかく微笑み、恭しく頭を下げた。
ジークフリートが胡乱な目でクロノを見ている事に、ララは最後まで気付かなかった。
「とにかく!2人共参加って、帰ったらお父様に伝えておくわ」
えへへ、良かった~。
ララは照れながら呟いた。
「?」
「だってね、家族にちゃんとジークを紹介したいの」
ジークフリートを見上げるララの瞳はまるで濡れているようだ。
「だって命の恩人だし、亡命も助けてくれたし、それにずっと昔からの知り合いだし……」
次第に小さくなっていく声。
「ジークは私の一番大切な人だから」
吐息と共に囁かれたその言葉に、ジークフリートは眩暈がした。
ザザザザザザッ
突然箱庭に強い風が吹き抜ける。
ララは驚いて辺りを見回すと、風がそこかしこの花びらを舞い上げている。
しかも、何故か先程まで蕾だった花々が一斉に開花し、その後吹き抜けていく優しい風に乗って、甘い香りを辺り一面に運んでいた。
「わ~~!」
ララはジークフリートの膝から降りると、舞い上がる花びらを捕えようと空に手を伸ばした。
沢山の花びらが舞い落ち、ララの元に降り注ぐ。
それを見ていた精霊達も、面白がってララの周りを飛び回る。
「我が主も魔力のコントロールが下手くそのようですね」
顔がひどく脂下がっています。
クロノがボソリと呟いた。
「煩い」
ジークフリートはクロノを睨むが、
「しかしこれは」
「ええ」
美しい。
降り注ぐ光と花びらの中、空に向かって手を伸ばすララはまるで踊っているかのようだった。
はしゃぐララと精霊達を2人は黙って見つめていた。
それからしばらくして、ララが2人の視線に気付き、ジークフリートに向けて嬉しそうにほほ笑みながら手を振る。
瞬間、ジークフリートは胸の前でぎゅっと拳を握った。
愛しいララ
私の唯一
幸せ過ぎて胸が苦しい
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます