11 死人を悪く言うものではない
『死人を悪く言うものではない』とは常套句。
長らく、故人は亡くなったその時から神格化される時代が続いてきた。
故人となったその身近な人は、手の届かない遠くに、思い出のなかだけに仕舞われてしまうのだ。
何故、故人を悪く言ってはいけないのか?
『死人は悪口をどれほど言われても反論できないからだ。それは不公平だ。卑怯だ』とある人は答えた。
では、故人が口を利けるなら?
故人が反論できる、意思を持ってどこかにいると断言できるようになったら?
亡き人への神格化の意識は、薄れるかもしれない。
では、その神格化が……それを形作る殊更故人を敬う気持ちが、取り払われてしまったら?
遠く彼岸に渡る存在ではなく、生者と同様に確からしく何処か近くに存在する、つまりは幽霊となることが確約されたら?
幽霊には未来が閉ざされている。地に足のついた生活が望めない。肉体などの実体は著しく制限される。変化がない。三台欲求が排除されるか、極端な偏り方をする。
生者の特権を失った、停止している存在。
現代においてもなお、死にたくないと生者が言うのは、死者になりたくないと無意識に思うから。
死者となることを嫌がるのは、深層心理で死という状態にあることを見下しているから。
この現代でそのことに真っ当な罪悪感を抱きにくいのは、幽霊には『死なない。死に怯えなくて良い』という特権があるから。
幽霊の存在が確認された昨今、立て続けに変革が起きた。
国の中枢から末端へと順に、徐々に濃度を増して広がる意識。
生者が、守護霊をあたかも己が使役しているように、目に見えない特典のように吹聴し始めた。
それは、幽霊の『死なない』特権が目につくあまり、守護霊は生者を守って当然と考えてしまうから。
そして、そのように蔑ろにしても、一度成仏を果たした守護霊が生者を憎み直接的な報復を企む見込みは薄いから。
私は今、自分の墓が埋め立てられた上に建った集合住宅に住まう女性の守護霊をしている。
先日、主である彼女の、お祖母さんの老人ホームのスタッフ全員が成仏してしまった。
仕方なく祖母のモモコさんと住宅に帰ってきた。狭い集合住宅ではお祖母さんの車椅子は少々不便だが、久々に祖父母がそろって家にいることは孫娘として喜ばしいことのようだ。
隣を見る。守護霊となった
彼のカーキ色のジャンパーの二の腕を興味本位でもこもこ触ると嫌がられた。
殺し屋と守護霊は正反対の職業だ。警察と泥棒ぐらい正反対だ。
でも、三枝さんは殺し屋の時も守護霊になっても変わらず、死や生に対して平坦な態度を貫いている。平坦というのか、感情論に左右されず何処か俯瞰して捉えているという感じだ。
――だから、なのだろうか。生前も死後も変わらない彼に安心してる。
この先少なくとも主人が変わるまでは、片時も離れず彼と一緒にいられる。
それでも、死んで良かったとは思えない。
自分も三枝さんも、今も実体を持って生きていられたらいいのに、と思わずにはいられない。
もちろん現世の未練は絶った。だからそれとは別に湧き上がる思考だ。
窓際の小型の丸テーブルの上の、硝子の花瓶。
茎の切り口を水に浸らせたカーネーションが春天に背伸びしていた。
手折られた生花は、生きている。呼吸し、光合成をする。つぼみが開く。
しかし根から栄養を吸収できないせいで、大半は種子を作ることが叶わない。次の命を遺すことはない。
花瓶のなかで、人間の目を楽しませるためだけに生き永らえている。
もしかしたら現世にいる守護霊も、そのような存在なのかもしれない。
〈完〉
ポップに成仏 葛 @kazura1441
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