第98話 法衣の中で火種は燻る

──微かにすえた匂いが染み込む、薄暗い一室。明らかに碌でもない気配が漂うその場所で、一人の女児と複数の男たちが向かい合っていた。


「担当者からの連絡によって参上した。魔神七号で相違ないな?」

「ん」


 代表者と思われる男の問いかけに、女児、いや魔神七号は頷いた。


「連絡役から話は聞いている。……が、改めて本人の口から聞きたい。尊厳遊びニコラス・カールトンはどうした?」

「お父様は死んだ。例の魔神に殺された」


 正確には七号の中に存在した【ニコラス】という概念が凍結させられたことで、二度と眷属として生誕することができなくなったわけだが……。

 意志薄弱で受動的、そこからくる言葉足らずという特徴を持ち、ルトに敗北したことで二度と改善する機会が喪われた七号には、それを正確に伝えることはできなかった。

 実際、状況的には死亡しているのと大差ないため、幸いなことに情報の差異からの問題は起きなかったが。


「工作活動の継続は?」

「無理。お父様はいないし、私も弱ってる」

「……そうか」


 男、法国の暗部に所属する諜報員は、七号の否定の言葉を聞き思案する。

 ニコラスと七号に与えられていた使命は、新たに帝国に現れたという魔神格の調査と、それに伴う破壊工作。

 命の概念を掌握し、あらゆる生命を創造し操るという、使徒スタークとは異なるタイプの数の暴力。故にこそ、破壊工作を筆頭とした暗躍において無類の強さを発揮するはずであったのだが……。


「はぁ……」


 結果としてそれらは失敗。上からもたらされた情報と、目の前の女児からのたどたどしい報告を精査したところ、かなりままならない結末を迎えたことが伺える。

 本命その一であり、ある種の囮であった神兵が捕縛されたことは構わない。損失ではあるが、同時に露見することを含めたプランも立ててはいたのだ。それを踏まえれば、彼らの拘束は予定通りと言えなくもない。

 問題は目の前の七号、いや彼女を手駒としていたニコラスである。まさか本命中の本命であり、絶大な戦力を保持していたはずの者が仕損じるとは思わなかった。


「一応訊ねるが、何故表に出た?」

「お父様の気まぐれ」

「そうか……」


 予想通り、それでいて実に不合理な理由に、男の口から大きな溜め息が漏れる。

 本来ならば、ニコラスと七号は終始暗躍に徹する予定であった。未確認の魔神格による暗躍を匂わせつつ、各種工作を行うことで氷神、及び帝国の要所であるサンデリカに大きな負担を強いる算段だったのだ。

 なにせ七号の力が力だ。生命創造による無尽蔵の物量、他者の魂を取り込むことによる情報収集、肉体改造による潜入などなど。

 それに加え『魔神格の魔法使い』が持つ破格の戦闘力。国すら容易く滅ぼすその力が与える影響は計り知れない。

 だからこその暗躍。それも存在を完全に隠匿せず、あえて魔神格の影をチラつかせることで、長期的な影響を帝国に与える予定だった。

 実際、計画通りにことが進めば、氷神ルト、及び帝国上層部に心理的な負担を与え、さらにサンデリカを起点として毒のように帝国全土の経済は停滞していたことだろう。

 さらに帝国に敵対する魔神格が新たに存在すると判明すれば、再び魔神格の拮抗状態を作ることができたはずだったのだ。


「これだから道理を理解しない愚か者は……!」


──しかしながら、それらの策略はニコラスの短慮によって見事に瓦解してしまった。


「……頭が痛いとはこのことだ。独断専行をした挙句、マトモな損害を与えることなく敗北するとはな。これで件の氷神を討ちとれていたならば、まだ擁護のしようもあったものの……」


 作戦失敗。その事実がなんとも重い。さらにこの後の帝国の報復を考えると、なんてことをしてくれたんだと関係者一同が頭を抱えることだろう。

 しかし同時に、これも仕方ないことなのかもしれないと男は思う。ニコラスの性根と立場を考えると、制御が効かないのはある種の必然でもあったのだから。

 ニコラス・カールトン。元は法国に所属する優秀な研究者であったが、私的な人体実験などの違法行為に手を染め、罪人としてその立場を追われた男。

 だがなまじ優秀であったために、捕縛される寸前で見事に逃げ延び、紆余曲折の果てに法国の暗部と繋がり、付かず離れずの距離感で表に出せない取引きを行っていた。

 が、その関係は唐突に終わりを迎えることになる。ニコラスの実験体であった孤児の少女が、魔神格として覚醒したのである。

 突如として手元に現れた超戦力。しかも実験のために施していた洗脳を筆頭とした諸々の処置により、七号はニコラスを『父』と定め従っているときた。

 結果、法国上層部はニコラスを対等な相手と扱わなければならなくなった。性格、言動に問題があり、七号の発生を自らの研究成果と信じて疑わない愚物であろうとも、付き従う七号の力は本物だからだ。

 タチの悪さなら使徒スタークすら凌駕する超戦力を相手に迂闊なことはできず、ニコラス自身も自尊心が高く扱いやすい人種であったために、上手い具合に手綱を握って付き合ってきた。


「……まあ、仕方あるまい。アレを作戦の主軸に置かねばならなかったのは事実だ」


 状況が変わったのは、帝国に新たな魔神格が降臨してから。どう破裂するか不明の爆弾故に飼い殺し、またいざとなれば切り札として運用する予定であったニコラスを、本当に運用しなければならなくなったのが全ての原因。

 仕方のないこととはいえ、人格破綻者を対等に扱ってきたのは法国である。形だけでも対等に扱い、ニコラス自身も対等だと認識していた以上、気まぐれで暴走することは想定内でもあったのだ。……それはそれとして、本当にやらかすとは思いたくはなかったので、こうして頭を抱えているわけだが。


「──切り替えよう。魔神七号。ニコラスという保護者がいなくなったわけだが、今後お前はどうするつもりだ?」

「考え中」

「なら我が国に来い。法国はお前、いや貴殿を最高の待遇で迎え入れる用意がある」

「じゃあ行く」


 即決。迷う素振りすら見せずに頷いた七号に、男は内心で歓声を上げた。

 別段、男の誘いに七号が魅力を感じたわけではないのだろう。七号の特徴である、意志薄弱で受動的な性格が働いたからにすぎない。ただ来いと言われたから頷いたにすぎない。

 元々、この勧誘は予定されていたことでもあった。もし万が一、何かの拍子に七号が『毒親』から解放されることがあれば、最速で法国に勧誘するよう指示が下っていただけだ。

 実際、七号は極めて有能だ。能力はもちろんのこと、指示に忠実で従順な性格は駒として理想的とも言える。

 これまで勧誘されなかったのは、ニコラスという人型の厄災を父と定めていたからであり、その呪縛が消えた以上は確保に動かない理由がない。

 そう考えれば、ニコラスの暴走は悪いことばかりではなかったかもしれない。法国上層部の悩みの種は消え、結果として命令に忠実な魔神格が手に入ったのだから。


「では七号殿。法国に所属するに際し、いくつか確認したいことがある。氷神との戦闘によって弱体化したとのことだが、具体的にはどのような影響が?」

「んーと……力が上手く練れなくなったせいで、命の質が下がった。これまでよりずっと脆くて、命令通りにしか動かなくて、私からあんまり離れられなくなった。あと、一瞬で沢山は創れなくなった」

「……話を聞く限りだと、かなりの弱体化をしているようだな」

「うん。今の私、弱っちい」


 七号の自己分析を聞き、男は困ったように顔を顰める。どうやら七号は想像以上に弱体化しているらしい。少なくとも、完全状態だった際の強みのいくつかは、確実に喪失していると思われる。

 男の所感ではあるが、戦力としては期待できそうもなない。いや、弱体化した現状でも、凡百の者はもちろん、神兵ですら束になっても敵わない可能性が高いが……。少なくとも、対魔神格としての運用は難しいだろう。

 事実、七号も魔神格が相手となれば、間違いなく瞬殺されると認めていた。


「ふむ……まあ、上の判断次第ではあるが、気にすることはないだろう。七号殿の力は有用だ。戦闘以外でも十分以上に役に立つ。それこそ、後方に回って無尽蔵の労働力を提供してもらえるだけでもありがたい」


 如何に弱体化しようとも、魔神格は魔神格である。戦闘面で活躍できなくとも、活用の仕方などいくらでもあると男は断じる。

 そもそも真正面からルトに挑んだニコラスが愚かであって、七号の力は根本的に後方からの支援こそが真髄である。

 シンプルな物量での圧殺。肉体改造による敵方への侵入や、魂を吸収しての情報収集、無限の労働力を提供することによる生産力の向上などなど。

 使徒スタークが強化された人材を運用することによる最強の【軍】ならば、七号はその都度必要な能力を備えた駒を生み出し操る最強の【群】。

 その本質は蟻や蜂に近く、たった一人の力で成り立つある種の国家である。

 故に侮ることなどできはしない。方向性こそ違うものの、七号もまた法国を守護し発展させる、新たな護国の守護神なのだから。


「──ああ、そうだ。七号殿、少し頼みたいことがある。後ほど然るべき場で報告することになるとは思うが、我ら諜報部としても事前にある程度の情報はほしい。氷神ルトを筆頭に、向こうで得た情報を提供してほしい」

「ん。じゃあ、向こうのお屋敷で吸収した者たちを出す」

「ありがたい。……命令通りにしか動かなくなったとのことだが、情報などの欠落はなされないのだな?」

「それは大丈夫。魂の複製はこれまで通り。ただ器である肉体の方が不自然になった。端的に言うと『人間』というより『人形』っぽい」

「なるほど。つまり自我の部分が弱くなったと」


 工作に向いた能力が激しく劣化していることに残念に思いながらも、この場においては問題なしと男は思考を切り替える。

 そして近くで控えていた部下たちに指示を出し、七号が生み出した複製体に対し聞き取りを開始する。

 人形のようになったとはいえ、訊ねれば素直に答えてくれることには変わらない。そして複製元となったのは、氷神に宛てがわれた皇女が興した新たな公爵家に仕える者たち。

 なればこそ、得られる情報は有用である可能性が高く。


「お前の名と役職、そして主な職務を答えろ」

「名前はリック・アンブロス。役職は発明家。主な職務は──異世界の知識を元に新たな発明を生み出すこと」

「……なに?」


──事実として、彼の家には世界を塗り替えかねない劇薬が存在していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る