第96話 危機は去り、されど慌ただしく

「軍の方に協力を要請しろ!」

「早急に被害の詳細をまとめて報告するんだ!」

「街の方にも人員を回せ! スラムもだ!」


──未知の魔神格とその眷属による、公爵家襲撃という前代未聞の大事件。ルトを筆頭とした屋敷の面々による奮闘により、なんとか直接的な危機こそ脱したものの、依然として修羅場は継続中であった。


「……悲惨だな」


 ルトが屋敷に戻り、事態の把握に務めてからそこまで時間は経っていない。故に上げられてくる報告も限られた内容になるはずなのだが、それでもなお『惨劇』と呼ぶに相応しいものであった。


「伝令役の兵は全滅。他、屋敷内にいた武官、文官、使用人にも被害あり。俺のところの馬鹿どもも似たようなもん、と」


 一応、魔神七号が提案した『余興』とやらの結果、想定よりも被害は少ない。が、それでもゼロというわけではない。

 調査してみたところ、余興に参加していた者以外にも行方不明となっている者が確認されている。推測ではあるが、潜入初期の段階で目を付けられ、人知れず始末された可能性が高い。

 それでも魔神襲撃という凶事の中、生存者がいる時点で幸運ではあるのだが……。やはり新興の公爵家としては、この人的損害は計り知れないだろう。


「はぁ……。貴重な伝令役たちを全て潰されたのは痛いな。リーゼロッテも頭抱えるなこりゃ」


 荒事に不馴れかつ、幼いという理由から無理矢理に休ませた婚約者を思いつつ、ルトは大きくため息を吐いた。

 実際、リーゼロッテが休んである間、領主代理として政務をこなすルトですら気が重くなっているのである。本来の領主であるリーゼロッテからすれば、これらの報告は悪夢以外のなにものでもないだろう。


「ったく。本当にやってくれた。術士なんざ早々補充できるもんじゃねぇんだぞ……」

「閣下。あまりそのようなことは……」


 ガリガリと頭を掻きながらルトが嘆息していると、新たに報告を上げにきたハインリヒが渋い表情で諌めてくる。

 犠牲者を物資の如く表現する言い草は、あまりよろしいものではないと考えているのだろう。


「ハインリヒ、弔いは後だ。今は時間が惜しい。涙も後悔も、全ては一区切りを付けてから。お前もそれは分かっているだろう」

「その上で、です。我らや武官はともかく、文官や使用人は中々割り切れますまい。危機が去った直後となればなおさらでしょう。表現ぐらいは気を使うべきかと」

「……」

「閣下」

「無用な発言で反発を招いても、諸々に差し支えるだけか。……駄目だな。俺も少しばかり気が立ってるみたいだ」

「致し方ないかと」


 頭を振って思考を切り替える。やはりルトとしても、今回の一件は平静を保つのは難しかったようだ。

 周囲の心情をふまえ、あまり為政者の側面を覗かせないよう注意していたのだが……。過剰なまでに冷静さを示そうとしていたせいか、返って仮面に罅が入っていたらしい。


「それで用件はなんだ?」

「確認できた犠牲者たちについてと、ナトラ殿のことで少々」

「聞こう。まずはナトラからだ」

「ハッ。付けた使用人からの報告では、今は泣き疲れて眠ってはいるようです。ですが、相当に魘されているとのことで」

「……分かってはいたが、やはりかなり堪えてるようだな。まあ、無理もないか。唯一の肉親が目の前で死んだんだからな」


 ルトは目を伏せ、ほんの少し前に目撃したナトラの姿を思い起こした。

 七号を退け、屋敷へと帰還したルトが最初に目撃したのは、リックの亡骸を抱えながら玄関前で泣き叫ぶナトラであった。


「あの姉弟には悪いことをした。経緯はどうあれ、抱え込んだ以上は庇護を与えるのが主の責務だ。それを果たせなかったってのは、あまりに情けない」

「ことがことです。不測の事態が起きるのは、ある種当然であったと割り切るしかありますまい」

「まあな。冷たい言い方にはなるが、結局リックは他の非戦闘員の被害者と同じだ。特別扱いはしないさ。俺とリーゼロッテが背負うべき罪。その一つだ」

「いえ。武官である我らも、その罪は背負うべきでしょう。非戦闘員を矢面に出した時点で同罪です」

「──口が過ぎるぞハインリヒ。臣下の分を弁えろ。恨まれ憎まれるのは、上に立つ者の義務であり権利だ。気安く触れてくれるな」


 冷たく、それでいて毅然とルトはハインリヒを叱責する。その失言の意図は気遣いか、それとも罪悪感か。だがどちらにせよ、ルトにとっては不愉快極まる思い上がりだった。


「……失礼いたしました。ナトラ殿を案じるどころではありませんな。どうやら私も堪えていたようです」

「ああ。本当、誰も幸せにならないクソッタレな夜だったよ。当分、ナトラには常に使用人と護衛を付けておけ。言葉は悪いが、リック亡き今、ナトラは唯一無二の人材だ。錯乱して自死されては叶わん」

「……素直に身を案じてと仰ればよろしいかと」

「俺は事実を述べたまでだ。この非常時に人員を割くに値する。これはそういう話でしかない」


 呆れるハインリヒに対し、ルトは素知らぬ顔で命令を下す。実際問題、ただでさえ人手不足が見込まれる非常時に、わざわざナトラを特別扱いするには相応の名分がいる。

 それはハインリヒも理解しているがために、この一件はそれ以上追求することはしなかった。


「多少落ち着いたら連絡するように。今後の待遇を伝えるのと、恨みごとを聞きに行く必要があるからな」

「左様で。次に、現状で判明した限り犠牲者たちです。簡素ではありますが、こちらが一覧となります」

「……把握した。では担当の文官に回せ。追悼文と見舞金の許可はこちらで出しておく。また、葬儀は状況が落ち着き次第合同で行うことも伝えておけ」

「かしこまりました」


 ルトの指示にハインリヒが頷き、そのまま早足で去っていく。その後ろ姿は完全に文官のそれであり、主としては苦笑するしかなかった。

 だが同時に、この有事においては頼もしくもある。武官と同様に奔走する他の部下たちが頼りないとは言わないが、やはり政務に携われる人材は使い勝手が違う。

 特に公爵家としての機能が半ば麻痺している現状では、高度な政治的判断ができる者はいくらいても足りないほど。

 事実として、公爵家に仕える文官は、交代用の面々を除いて総動員となっている。それこそ、名目上とはいえ指揮系統が異なるハインリヒ、アズールすらも狩りだされている。

 いやむしろ、文官働きこそできるものの、実際は武官であるために、他の文官以上に容赦なく酷使されていると言っていいだろう。


「閣下。使用人から連絡が。ランドバルト大佐がお越しになられたそうです」


 今もまた、関係各所を駆け回っていたアズールが報告のためにルトの下に慌ただしく戻ってきたぐらいである。


「分かった。状況が状況だ。悪いが応接室ではなく、俺の執務室に通すよう伝えてくれ。そのあと、アズールは俺の補佐として話し合いに加わる。なにか他に抱えている仕事はあるか?」

「いえ。私しかできないようなものはございません。引き継ぎのために、少しばかりお時間をいただければ問題ありません」

「なら終わったらこい。急げよ」

「ハッ」


──危機を脱してなお、公爵家の修羅場は終わらない。そしてままならぬことに、世の中というのは事件の対処よりも事後処理の方が煩雑なのである。








ーーーー

あとがき

次回も水曜更新予定

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