第94話 偽りの魔神格 その二
「っ……!」
この世の真理とでも言いたげに語られた結論によって、空気が変わったことをニコラスは察した。
ルトに道化と嘲笑されようとも、ニコラスの頭脳が一級品であることには変わらない。事実として、ニコラスはその悪辣さでもってルトを出し抜き、その喉元に刃を突きつけてみせた。
ニコラスは極めて優秀な研究者であるという自負がある。故に己の頭脳を疑わない。直感を決して疑わない。唐突に弾き出されるそれは、ただ洗練がされてないだけの、その時点では上手く表現ができないだけの、己が頭脳が導き出した根拠のある仮説の一つ。それを理解しているから。
「……なるほど。あなたの主張は確かに説得力がある。ですが破綻しています。如何に不可能だと叫んだところで、私と七号が魔神格の魔法使いであることには変わらない」
「おやそうかい? 俺には綻びの一つも見当たらないんだがな」
「ならば何故! 私たちがあなたの前に立っていると言うのです!? こうして魔神の領域に至っている以上、私の叡智が不可能の壁を飛び越えた証明だ!」
──そして今、そんな優秀な頭脳が全力で警鐘を鳴らしていた。これはマズイと。具体的な説明はできずとも、この瞬間に流れがひっくり返ったと理解してしまった。
「ハッ! ようやくクソッタレな余裕が消えてきたな。声が荒くなってんぞ道化。紛いものとしての自覚が出てきたようでなによりだよ」
「っ、戯言を! 私たちが存在する限り、あなたのそれは現実逃避の負け惜しみです。私の叡智によって七号は魔神となり、私もまたそれに続いた。これは覆りようのない事実なのですから!」
「ところがどっこい、そうでもないんだなコレが。妄想だと切り捨てられるぐらいの推論はもうできてる。ま、荒唐無稽と言われるような代物だがな。──それでも、人の身で神の領域に届いたという妄言よりかは、遥かに上等な内容さ」
それ以上聞くな。それ以上語らせるな。ダメだダメだ。ニコラスの脳内に響く警鐘が、より強くそれを訴えてくる。
「テメェは言ったな? 自らの手でそこのガキ、七号を魔神にしたと。俺はその内容については知らん。投薬か、それとも人体改造か。ま、どちらにせよ碌なもんじゃないだろう。どうせテメェみたいな下衆なことだ。聞くに耐えない冒涜的なアレコレもやったんだろ?」
未だに直感の域を出ず、あやふやで具体的な説明のできない危機感。しかし、ニコラスの優秀な頭脳が直感に対する解析を掛け、ゆっくりとではあるが仮説が組み上がっていく感覚。……それこそが致命的な誤ちであると理解しつつも、決して止めることができないという矛盾。
「……だがよ、人体実験なんてありふれた手段で、魔神格の魔法使いが誕生するわけないだろう? 人類をなんだと思ってるんだ? 人間の強欲さを考えれば、似たようなことを、お前以上に狂った天才が星の数ほどやっているに決まってんだろうが!」
至高の力など、誰もが求めるものだ。古今東西、それこそ異なる世界の古代の人間ですら、不老不死を筆頭とした幻想を求め足掻いた。
当然、そこに倫理の類いが介在する余地などない。実にくだらない夢、いや妄想を実現させるために、ありとあらゆる手段に手を出した。手を出すのが人類が宿す業である。
それでも魔神格は片手の指以下しか存在しない。ならばそれが全てなのだ。
「人造魔神? 馬鹿らしいことこの上ないな! その時点で弱者の発想なんだよ! 違うナニカになりたいと願う、何者かになれなかった奴らの思考に他ならない!」
ルトはそうであった。そしてアクシアや使徒スタークも、そうであるだろうという確信がルトにはある。何故なら魔神になる方法など、皆目見当もつかないのだから。
つまるところ、魔神格の魔法使いは、全員がなりたくてなったわけではない。気付いたらなっていただけであり、だからこそ魔神格の魔法使いは理不尽なのだ。
「テメェは現実をなんだと思ってんだ? 抜けば勇者になれる伝説の剣なんて、この世にあるわけないだろうが! 切っ掛けを求めている時点で、テメェが人の域から出ることはねぇ! 望み、挑めば叶うのは人の範疇だ。少なくとも、超越者の領域には届かねぇ!」
「……やめろ」
やめろやめろと、ニコラスの口から言葉が漏れる。それ以上は話すな。いや、それ以上は話さないでくれという無自覚な懇願。
「自分たちの存在こそが、人造魔神の証拠だと? 馬鹿らしい。そんなの、テメェに弄られてたガキが、偶然にも魔神として目覚めだけだろうが。そしてその力が命の操るものだったから、テメェの望みをそいつが叶えた。そんな単純な話だよ」
──だがしかし、ルトは決して口撃を弛めることなく、致命的な答えを口にした。
「黙れぇぇぇぇ!!」
「おいおい! やっぱり自覚があるんじゃねぇか! 人の語りを妨害しようなんて、これまでのテメェじゃ考えられない行動だぞ? なあ道化よ」
その言葉と同時に、ニコラスの視界が青に染まっていく。ルトの神威による世界の侵食。ニコラスも負けじと同量の神威を操り抵抗するが……青の侵攻は止まらない。
同格であり、互角であるはずの神威のぶつけ合い。現象への転化すらしていない状態であるにも関わらず、緑の神威が押され始める。
「なっ……!? っ、七号!」
「ん」
明らかな異常事態。七号に加勢を命じてようやく拮抗するが、それは偽り。ニコラスの感覚は、自分たちの神威がジリジリと、しかし確実に押されていることを捉えていた。
それだけではない。異常を察して撤退の一手を打とうした瞬間、ニコラスは己の『存在』が拘束されていることに気付いた。これまで使用してきた回避術、新たな命の創造による自らの新生が阻害されていると。そしてそれは七号も同様のようであると。
原因はその身にまとわりつく氷。余興として受け入れたはずのそれが、正しく拘束として機能している。決して抜け出せないわけではないが、そのためにある程度の意識を割かねばならず、二人掛りでルトの神威に抗っている状態では難しい。
「何故っ、何故だ! 一体なにが起きたというのだ!? 何故いきなり……!?」
「そりゃ簡単なことだよ。魔神格としてもっとも重要なものが、テメェらには足りていないからだ。正確に言えば、現在進行形で欠落しているからだ」
扱う力の相性こそあるも、魔神同士は本質的には互角。戦闘における有利不利などまやかしで、互いの生命にまで届かせることは困難極まる。少なくとも、自らの命を度外視し、周囲の全てを犠牲にしなければ不可能だ。
だがしかし、それは互いに十全であるという前提のもと。片方が弱体化してしまえば、当然ながらその限りではない。
「俺たちが力を行使する際に用いる神威。その本質は『意思』。つまるところ、世界の理を踏みにじり、自らの我欲を優先させるという傲慢さ」
──傲慢であれ。理不尽であれ。意思一つで世界の理を塗り替えることが魔神の権能。我らを神たらしめる特権。なればこそ、意思の強さ、自我の強さこそが全ての根幹。
「片や意志薄弱な人形擬き。片や狂気はあれど己が魔神であるという自負が揺らぎ、正気に戻った憐れな道化。……弱くなるのも道理だろうよ。もはやテメェらには、世界を踏みにじる魔神としての狂気がねぇ!!」
ルトの喝破とともに、青の侵食が加速する。ニコラスたちが操る緑の神威が蹴散らされ、凄まじい勢いで世界が青に染まっていく。
「夢から醒めるお時間だ! 一度足並みもつれた道化に、残酷なダメ出しをしてやんよ! ──ニコラス、貴様は魔神などでは断じてない! 貴様の正体は、貴様が七号と呼ぶ真なる魔神によって生み出された眷属! 貴様が扱う力は、主から与えられただけの借り物だ!」
実験体として、ニコラスの指示に従順だった女児。彼女が命の魔神格として目覚めた結果、ニコラスの願望を指示と判断し、魔神の力で知らず知らずの内に変容させられたのがニコラス。
力が同じなのも、操る神威の色が同じなのもそれが理由。眷属であり端末であるニコラスが、主であり供給元である七号から力を受け取っていただけにすぎない。
ルトと互角に戦えていたのは、ニコラスが自らを独立した魔神であると錯覚していたから。そしてなにより、主である七号に供給元たる自覚がなかったから。
「ぐっ……!? 力が、何故上手く操れない!?」
「テメェが眷属で、主が人形擬きだからだよ! 余裕こいてふんぞり返ってるから足元すくわれんだこのド阿呆!! ……これに関してはあまり俺も人のこと言えねぇけどな!」
若干の苦笑いを浮かべつつも、ルトは神威を迸らせ全力で凍結の力を振るう。
圧倒的な不利な状況から始まり、全てを犠牲にしてでも仕留める覚悟を決めた中、降って湧いたこの好機。
主と眷属が揃ったこの瞬間。主従揃って自らを知らず、ペラペラと無自覚な弱味を語った末に成立した望外の幸運。
なればこその全力。怨敵の慢心と無視を利用し、一気呵成に仕留めに掛かる。
「さあド阿呆ども、覚悟はいいか。テメェらの全てを凍らして、このバカ騒ぎを仕舞いにすんぞ!」
「っ、七号! なんとしてでもこの窮地から脱します! 力を振り絞りなさい!」
「ん。分かった」
──かくして魔神と魔神が激突する。片や好機をものにするために苛烈さを増した氷の神。片や意思薄弱にして、眷属に従ってしまう命の神。その結末は……。
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