第93話 偽りの魔神格 その一

「……私が道化、ですと?」


 二柱の人造魔神と真なる魔神。彼らは人界に存在するべきではない超越者たち。故にこの場は、世界で最も危険な戦場である。

 ほんの些細な切っ掛け一つ。それだけで大陸が滅びかねない。そんな繊細で張り詰めた状況でありながら、言葉という名の火種が容赦なく投げ入れられていく。


「これはまた随分な評価ですねぇ。ですがお忘れですか? あなたはその道化とやらにいいように翻弄されたことを。不倶戴天の敵と認めたことを」

「別に忘れてなんかいないさ。敗北は敗北だとも。ただ能力と人物評は等価じゃない。俺はお前のオツムの弱さを馬鹿にしているんだよ」


 優秀な間抜け。それがお前だとルトは嗤う。人の手で魔神を造りあげた、至上の天才であるニコラス。その頭脳をルトは侮辱したのである。


「……」


 負け惜しみ。そう受け取るのは簡単だ。事実としてルトはこの戦いでは後手に回っている。領地を、公爵家を危険に晒し、あわや全滅一歩手前まで追い込まれた。

 たまたま情報に欠落があった。その欠落を頼りに、屋敷にいた者たちが死力を尽くして奮闘した。……なにより、屋敷に降り立った魔神七号が気まぐれを見せた。

 だから運良く助かった。それはまさしく望外の幸運であり、ニコラスや七号の意思一つで容易く『最悪』に転じ得るものであった。


「……ふむ」


──だからこそ、ニコラスはルトの嘲笑を無視できない。人類最高を自負する己の頭脳を侮辱された怒りはあれど、それ以上に興味、そして警戒が先に立つ。


「良いでしょう。貴方が私を道化と呼ぶ根拠をお聞かせください。負け犬の遠吠えと片付けるには、貴方はあまりに理性的すぎる」


 ルトは合理によって物事を判断する。それは持ち得る情報から状況を分析するだけではない。時には考えうる限りの最悪を飛躍させ、それ以上の想定外が起きることも想定して行動する。

 『有り得ない』を許容する。その上で目的のためにリスクとリターンを天秤にかけ、非情な決断すら容赦なく下す。

 こうして敵対しているニコラスだからこそ、ルトを侮ることなどできない。今回の襲撃に伴い、婚約者を、臣下を全滅したものとして扱い、敵性魔神を仕留めることを平然と優先するような合理の化身が、負け犬の遠吠えなど吐くわけがないのだから。

 そんな暇があるのなら、目の前の真なる魔神は切り替えて次の行動に移る。どんなに内心で腸が煮えくり返っていようとも、それはそれと片付けるという確信がある。


「ああ、良いだろう。──だがその前に」

「……む?」

「……冷たい」

「せっかく手間暇かけてお前の道化っぷりを語ってやるんだ。羞恥に悶えることのないよう、専用の拘束具を誂えてやったのさ」


 首から下が氷漬けとなった二人を前にして、ルトは小馬鹿にするような笑みを浮かべる。

 攻撃、と判断するにはあまりにも大雑把。命の概念を掌握する二人の人造魔神にとって、この程度の凍結など無意味に等しい。

 ダメージらしいダメージはなく、氷による拘束とて新たに身体を創造すればこと足りる。そもそもこの凍結自体、避けようと思えば容易く避けることができた。言ってしまえば、回避という判断を下す必要がない程度の攻撃ということだ。

 ルトとてそれは承知しているはず。故にこれは嫌がらせの類いだろう。それも不愉快と感じるよりも先に、徒労と呆れてしまう程度に低俗なもの。


「そうですか。わざわざお気遣いいただきありがとうございます」


 ならば付き合うのも吝かではないと、ニコラスはルトと同種の笑みを浮かべて凍結を受け入れることにした。もちろん、無意味と主張するために最大限に寛いだ気配を漂わせるのも忘れない。

 これまでの地獄のような戦闘から一転し、和やかな談笑タイム。だがそれは表面上のものであることは明らかで、ルトもニコラスも目は笑っていなかった。

 戦いは未だに継続している。世界を脅かす破壊の嵐から、互いの主義主張を否定し誇りを踏みにじる舌戦へと移っただけ。


「ではまず訊ねよう。おい道化。魔神格の魔法使いとはなんだ? ざっくりでいいから説明してみろ」

「……人を超えた超越者。概念を掌握し、それによって世界を蹂躙する怪物。御伽噺に語られるような真なる魔法を操る者などなど。魔神格を形容する表現は数多くありますが、ひとまずこんなものでしょうか」

「まあそうだな。簡単に言えば理解不明なバケモノ。それ以上でもそれ以下でもない」


 正確に言えば、あまりに桁違いすぎてそれ以外に例えようがないのだが。その点は大して重要ではないので脇に置く。

 理から外れた怪物。この一点を共通認識に据えさえすれば、それ以外はどうでもいいとさえ言える。


「では重ねて訊ねよう。魔神格が操る力。俺の凍結でもいいし、お前たちの生物創造でもいい。アクシア夫人の炎熱、使徒の祝福でも構わない。この超常の力の数々に、ただの人間は抗うことはできるか?」

「無理でしょうねぇ。それが可能ならば、我々は絶対者として畏れられていない」

「それも正解だ。人は神には抗えない。技術の進歩によって似たようなこと、俺たちが巻き起こす事象の一端ぐらいならば、模倣することはできるかもしれない」


 ルトは知っている。前世において、超低温を発生させる技術も、命を生み出す技術もあることも。アクシアのように高熱を操ることもできる。重機を使えば強化された人類に匹敵するパフォーマンスも可能だろう。

 『科学』はそれだけ万能だ。無数の智の積み重ねは、着実に人類の可能性を拡張していく。

 

「……だがそれは模倣止まりだ。過程が違う。本質が違う。上っ面の結果だけを真似た紛い物未満だ」


 それでもなお、魔神格の魔法使いが振るう御業には決して届かない。そこに『いつか』という形容詞は存在せず、決して覆せぬ『絶対』の壁が聳えたっているのである。

 何故なら科学とは物理法則に従って発生する現象だから。世界の理に沿った代物が、どうして理を踏みにじる御業に追いつくことができようか。


「ならばこれが答えだろう。評価の根拠? そんなものは単純だ。不可能を可能にしたと思い込み、誇らしげにしてる間抜けを道化と呼ばずになんと呼ぶんだよ」


──なればこそ、ニコラスのそれは妄言に他ならず。紛い物の夢遊病者を嘲笑うかのように、終わりの吹雪が吹き荒れた。





ーーー

あとがき

脳内プロットの変更、確定申告などで大変遅れました。ごめんなさい。


それはそれとしてお知らせです。

怠惰の王子のコミカライズ版が、現在『マンガがうがう』アプリにて連載中となっております。

担当してくださっているのはふじわら夏一様。よろしければ是非お読みいただき、コメントなどしていただければ幸いでございます。

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