第91話 氷神の宣戦布告

──轟音が鳴り響き、破壊の嵐が吹きすさぶ。


「ちっ。嫌になるぐらいに死なねぇな。何度凍らしたと思ってんだよ」

「それはこちらの台詞ですよ。攻撃は届かず、届いたところで意味もない。実に面倒だ」


 二人の超越者による殺し合いは苛烈を極め、自然が生み出した浜は凄惨な様相を呈していた。

 大地も海も凍りつき、絶対零度の大気が満ちる氷の世界。そこに蠢く無数の異形。毎秒ごとに夥しい数の命が喪われ、その骸を苗床に無数の命が溢れる無間地獄。

 常軌を逸した理外の光景。これこそ魔神同士が争えばどうなるかを示す模範解答。数多の国が消え去りかねない、絶対的な力の一端。


「──腹立たしい。いつまでこの茶番に付き合わなきゃならねぇんだか」


──だがしかし、ルトはそれを気に食わぬと吐き捨てる。この神話の如き大戦を、くだらぬ茶番と評してみせた。


「おいドブネズミ。そろそろ目的を答えろよ。テメェはなんのためにここに来た? 何故こうして表に出てきた?」

「……ふむ? これはまたおかしなことを訊ねますね。そんなの、貴方を殺すために決まっているでしょう?」

「ハッ。寝言は寝て言え。テメェがそんな分かりやすいことをするタマかよ。その力にその性格。斬った張ったなんかより、暗躍こそが本分なのは明白だ。畜生以下のクソ野郎だろうが」

「おやおやおや。これはまた手厳しいですねぇ」


 くつくつと喉を鳴らすニコラスに対して、ルトは舌打ちをしつつ凍結の力を行使。嫌がらせにニコラス目掛け氷塊を放ちながら、氷の玉座を生み出しドカリと腰を下ろす。


「テメェの目的は俺を殺すことじゃない。殺せれば万々歳ぐらいには考えてるだろうが、どうせ殺せなくても構いやしないんだろ? 陽動なのは丸わかりだよ」

「ほほう? では何故、こうして貴方は戦っているのです? この状況では、負け惜しみの類いにしか聞こえませんが」

「ああ、そうだ。癪なことにこれは負け惜しみさ。テメェの暗躍を許した時点で俺らの負け。魔神格の後出しが、相手にとってどれだけ致命的なことか。それは俺がもっとも理解している。他ならぬ俺がやったことだからな」


 かつてルトが参加し、全てをひっくり返した戦争。ランド王国に対する、帝国の報復侵攻。そこでルトは実現してみせた。

 未確認の魔神によるどんでん返し。ただ姿を晒すだけで、超大国が屈せざる得ない真なる理不尽を。

 だからこそ、ルトは魔神の影を察した時点で負けを悟った。なんだったら苦笑した。『これは確かにひとたまりもない』と。


「非常に気に食わないが、徹頭徹尾テメェの手のひらの上だったよ。陽動だと分かっていてなお、乗らなきゃならないぐらいにはしてやられたさ」


 苛立ちは隠そうともせず、されどルトは素直に敗北を認める。ニコラスに終始翻弄され続けたことは、紛れもない事実であるが故に。

 敵対的な魔神格の潜入を許した。その段階で全ては詰み。ゲームセット。ルトたちにできることは、もう負け方を考えることしか残っていない。そして、それすら相手の出方に合わせなければならないのだから、どうしようもなく後手に回っている。

 この陽動とてそうだ。あからさまな罠だと分かっていてなお、ルトには乗らぬという選択肢はなかった。魔神という超戦力が姿を現した以上、野放しにすることは決してできなかった。


「せめて陽動でも、テメェを仕留められれば状況は変わったんだろうが……。残念なことに、それも無理そうだ。当初の想定よりは弱かったから、万が一を信じて挑戦してみたがな。一発逆転からの大団円とはいかなそうだ」


 直接的な戦闘力では、ルトの方がニコラスよりも数段上。だが生存能力という点では、ニコラスはルトを遥かに凌駕している。いや、現在確認されている魔神格の中でも頂点だろう。

 殺せないとは言わない。だが時間が掛かりすぎる。被害が大きすぎる。状況を巻き返すには、あまりに魔神ニコラスは厄介すぎる。


「せめてテメェが、俺やアクシア殿と同系統の魔神だったら良かったんだがなぁ。残念なことに使徒スタークと同じ系統。圧倒的な『個』による広域殲滅ではなく、無尽蔵の『群』による広域制圧。後手に回った時点でどうしようもない。あと俺にできるとすれば、土台ごと粉砕して痛み分けを演出するぐらいだろうよ」

「それはつまり、降伏宣言ということでよろしいでしょうか?」

「ああ。──そしてコレは宣戦布告だ」


 表向きはどこまでも冷静に。だがしかし、心の内では煮えたぎるような激情を燃やしながら、ルトはニコラスを睨みつける。

 声音には憎悪を。瞳には憤怒を。眼前に立ち塞がる大敵を讃え、不倶戴天の誓いを告げる。


「今回は負けを認める。未知故に遅れをとった。……だからこそ次はない。テメェの存在を知った以上、決して野放しにはしない。テメェを俺の終生の敵と定め、必ずこの手で殺す。これは俺の誇りと、この一件で散ったであろう我が同胞たちにかけての宣告だ」

「……散った同胞、ですか。これはまた異なことを。貴方のお仲間らしき者など、あの文官一人しか殺めておりませんが?」

「しらばっくれんなよ。戦ってる最中、俺が屋敷に気を払うたびに妨害してきやがって。その時点でテメェがなにか仕込みをしてるのは明白だ」


 激闘の最中であっても、ルトは守るべき者は決して見失うことはなかった。隙を見て何度も神威を飛ばし、凍結の概念にて公爵邸全てを覆い守ろうとした。

 だがそのたびに、ニコラスもまた神威を操り妨害した。意識の逸れた隙を突くのではなく、神威による押し合いを選び続けた。

 結果、ルトは凍結の力を公爵邸に届かせることはできなかった。同格の力故に押し負けることこそなかったが、事象に転換させれば公爵邸もまた魔神同士の戦場となってしまうが故に、断念せざるを得なかったのだ。

 そしてここまで執拗な妨害を受ければ、どれだけ鈍くとも察せられる。ニコラスが公爵邸で何かをしていると。


「同時襲撃にもってこいの力を持ってる相手が、素直にタイマンなんかやるわけねぇだろうが。どうせその気色悪いバケモノどもでも向かわせてるんだろ? テメェはそういう輩だよ」

「ほうほうほう。その割には冷静ですなぁ? 祖国を捨ててまで守った臣下たちに、皇帝の愛娘である婚約者。彼らの身に危機が迫っていると承知してなお、貴方がここに留まる理由はなんですかな?」

「優先順位の問題だ。例えこれが無駄の極みであったとしても、テメェの前から退く選択肢は俺にはない。それが帝国に仕える魔神としての義務だ。故に屋敷の連中は見捨てる。彼らは最後の一瞬まで勇敢に抗い、だが。俺はそう判断する」


 どこまでも冷たく。どこまでも淡々と。ルトは自らの責務を優先すると宣言し、そのために私情は全て捨て去った。

 大公として、守護神としての立場に殉ずる。それは祖国を捨て、帝国に仕えた者が示すべき一つの誠意。絶大な権力を与えられた以上、果たすべき義務がルトにはある。


「ハッハッハッ! そのためだけに身内を切り捨てると!? 滅私奉公と言えば聞こえはいいですが、随分と薄情なことですねぇ! 少数のために祖国を捨てるだけはある! まだ仕えて間もない帝国のために、貴方を信じてついてきた者たちを切り捨てるとは! 彼らが哀れでなりませんなぁ!」

「……だろうなぁ。お前程度にゃ決して理解できんだろうよ。お里が知れたな、ドブネズミ」

「──なんですと?」


──嘲りには侮蔑を。挑発には憐憫を。畜生以下の犯罪者の戯言には、誇りを込めた口上を返すことこそ戦の作法。


「俺は基本的には働かないが、それでも為政者の末席にいる自負はある。──そして為政者が守るべきは国家であり、国家に属する民たちだ」

「……」

「為政者が国家を、民を守らんとせずになんとする。我らが民の上に立てるのは、それに伴う義務が存在しているからだ。それすら理解してない青二才とでも思ったか?」

「ふむ。随分と上等な台詞ですが、ご自分の所業をお忘れで? 祖国を捨てた無能王子の言葉では、理想論も随分と空虚なものになりますな」

「やはりドブネズミだな。為政者というものを理解できていない。アレは祖国に対する最後の奉仕さ。ま、テメェにゃ至れぬ境地だから当然か」


 ルトが祖国を捨てたのは、滅亡間際のランド王国を少しでも延命させるため。そして魔神格という超戦力を奪うことで、民にとって害しかない無能な上層部を一掃するための下準備。

 そうした諸々の主枠のもと、ルトはランド王国を去ったのだ。帝国に与する最後の瞬間まで、ランド王国の為政者としての務めを果たしたにすぎない。

 だがそれは、ニコラスには決して理解できないことだろう。少なくとも、ルトの分析ではそうだ。慇懃無礼な言動の裏には、自分以外の全てを見下す傲慢さが覗いている。


「俺は為政者として、大公としてのなすべき務めを果たす。負けるのはこれっきりだ。必ずこの手で殺してみせる」

「どれだけの身内を切り捨ててでも、ですか?」

「ああ、そうだ。それが国に仕えるということだ。それを理解できないほどの愚鈍は、あの屋敷にはいねぇよ。少なくとも、俺以上の為政者であるリーゼロッテ、そして同じく民を守る兵士である俺の忠臣たちはそうだ。──テメェみてぇなロクデナシとは、覚悟からして違うんだよドブネズミ」



ーーー

あとがき

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