第89話 魔神の戦い その八

──ソレは人の頭を生やした化け物と、人の身体を持った化け物だった。


「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い」


 苦痛に歪む女の顔と、そこから生える八本の細長く巨大な脚。人面蜘蛛とさえ称していいかも不明な怪物が、カサカサと不気味な音を立ててやって来る。


「どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして」


 血濡れになったメイド服を身にまとい、頭部が存在していた部位には脈動する肉塊。人の形をしていながら、およそ『人』とは呼べぬヒトガタが、手足をバタつかせてやって来る。


「ヒッ……!?」

「冗談キツイぞ……!!」


 鳴き声のように呪詛を吐き、獣の如き俊敏さで迫り来る二体の異形。

 それはあまりに悍ましく、荒事とは縁のなかった姉弟たちはもちろん、歴戦の兵たる護衛たちすら総毛立たせた。


「「なんでなんでなんでなんでなんでなんで!! なんでなのおおおっ……!!」」

「っ……!! 走れぇ!!」


 肌が震えるほどの憎悪。大敵たる魔神の眷属だからと片付けるには、あまりにも過剰すぎる敵意がナトラたちを襲う。

 込められたメッセージは実にシンプル。『お前たちによって、理不尽に私は殺された。だから私もお前たちを殺す』という怒り。そこから転じた、漆黒かつ粘り気のある殺意。

 ──これは駄目だと、護衛たちは即座に悟った。七号は生み出した眷属を、凶暴な獣と大差ない強さだと語った。だが、あの憎悪は危険だ。ただでさえ敵は理外の異形。そんなのが、ドス黒い憎悪を抱いて追ってくるなど危険がすぎる。


「俺が残る! 先にいけ!」


 判断は一瞬。護衛の一人が、先程メイドの首を撥ねた一人が足止め役を買って出る。


「一人か!?」

「ああ! 恐らく俺が一番恨まれてるからな! 囮としては最適だ!」


 それは敗れてなお足止めするという覚悟の言葉。倒せずとも、怨敵として命が尽きる最後まで引きつけ続けるという宣言。

 本来ならば、万全を期して追っ手を迎え撃つのがベスト。最低でも同数で対峙するべきだ。

 だが状況がそれを許さない。七号が心変わりする可能性もある以上、最速で事態を終わらせねば危険。それでいて護衛対象は二人いて、先には未知の罠も仕掛けられているという。

 はっきり言って、現在の人数でも心許ないレベル。それでも捻出しなければならないために、断腸の思いで足止め役を捻出したのだ。


「っ、スマン! 頼んだ……!!」

「応っ!! そっちが生き残ったら、閣下によろしく言っといてくれ!」


 別れ際に託された伝言、いや遺言。なにせこれから相手をするのは、自分たちに恨み骨髄のバケモノだ。一度敗れれば、死ぬ間際までいたぶられてもおかしくない。これはそれすら承知の上、いや望んですらいる決死の足止め。


「お二人とも! 先を急ぎますよ!」

「は、はい!」


──故に、護衛の男たちは振り返らない。恐怖で顔を青くする姉弟の背を叩き、さらに速度を上げろと叱咤する。


「この先どうする!?」

「外に出ることを最優先だ! あいつが足止めしている今の内に! 階段近くに窓があったろ!?」

「了解! 先行する!」


 護衛として残った二人は、素早く役割分担。指揮役だった男は姉弟の側に。そしてもう片割れは斥候として先を駆ける。

 目指すは現在地から最も近い階段。それを降った先の一階廊下、階段近くに存在する窓。姉弟の身の安全と、速度を考慮しての選択。すなわち、窓を叩き割っての脱出。


「罠は踏み抜く! 距離を詰めすぎるなよ!?」

「っ、頼んだ!!」


 七号の言葉を信じるのならば、障害となるのは二体の異形と罠。異形は仲間が決死の覚悟で足止め中。そして罠は、単発式かつ一種類。それも規則性がありとの証言がある。

 故に、斥候役は一人で一気に突き進む。罠は警戒しない。むしろ作動させる勢いで。不明だからこそ警戒に値するのならば、種を割ってしまえばどうとでもなると考えて。

 もちろん、これもまた犠牲を前提とした作戦。罠を踏み抜けば、恐らく斥候役は死ぬ。だがしかし、種さえ分かれば分析するだけ。安全かつ迅速に姉弟を脱出させることができるのならば、兵士一人は安い対価。

 兵士は命令に従うもの。命令さえあれば死地にも向かう。必要とあれば命を棄てる。それこそが兵士の本懐であり、一つの誉れ。


「階段確認! 目視できる範囲で異常なし!」

「進め!」

「応っ!」


 だから彼らは躊躇わない。目的のために平然と、それでいて苛烈に自分たちを犠牲にできる。

 斥候役が突き進む。突き進む。自らを鉱山のカナリヤとして、自分の命で行く先の安全性を保証する。


「窓確認! 開ける──んなっ!?」

「ロイン!?」


 そして見事に罠を踏んだ。先行して窓に手をかけたその瞬間。窓枠の一部が蠢き、巨大な怪物に変化し斥候役を喰い千切った。


「キャァァッ!?」

「お兄さん……!?」


 顔見知りの、これまで守ってくれていた護衛の男が死んだことで、姉弟が悲痛な叫びを上げる。……それでも、先程までの力強い声はもう聞こえない。返ってきたのは、唯一残った下半身が、血溜まりの中にぐしゃりと崩れ落ちる音のみだった。


「クソがっ……!!」


 分かってはいた。承知していた。だがそれでもと、唯一となった指揮役は悪態を吐く。あまりの理不尽に、頭が沸騰しそうだった。

 しかし、荒ぶる感情に反して思考は落ち着いていた。冷静に、目の前の状況から情報を読み取っていた。

 窓に触れた瞬間、蛇のような怪物となって襲いかかってくる窓枠。その動きはとても素早く、かつ巨体であるあるために作動したらまず回避は不可能。

 代わりに、怪物は噛み付くアクションだけしか恐らくできない。それも一回限り。その証拠に、斥候役を喰い千切った怪物は以降ピクリとも動いていない。七号のいう単発式というのは、多分そういうことだと思われる。


「……お二人とも、予定変更でさぁ! 恐らく罠は窓に仕掛けられているようで! ですので、このまま正面玄関に向かいます!」


 七号は言っていた。罠の種類は一つで、規則性があると。そして、この状況で推測できる規則性は窓だ。脱出ゲームという背景を考えれば、この罠の本質はショートカットの防止。

 安易に窓に近づいた者を殺すと同時に、怪物に変えることで窓そのものを塞ぐことが目的だと思われる。


「安全のために窓側には近づかないように!」

「わ、分かり──」

「「アアアアァァッ!!」」


──先導しようとした瞬間、廊下に響く怨嗟の叫び。寒気がするほどに悍ましい二重奏が、階段の上から聞こえてきた。それと同時に理解する。足止めに残った男を殺して、あの異形たちがやって来たと。


「っ、急ぎますよ!」

「「は、はい!」」


 迫り来る危険から逃れるために、三人は全力で駆け出した。可能な限り早く、この呪いの鳴き声から離れなければ不味い。そんな本能の警告に従い、疲労すらも無視して廊下を走る。


「待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て」

「ヒッ!?」

「振り向くな! 前だけを見て走れ!!」


 メイド服のヒトガタが、血を流しながら現れた。人のように走るでもなく、獣のように四つん這いで駆けて来る。

 幸いにして、異形のスピードは初遭遇時のそれより遅い。野生の獣のような機敏さは消えている。異形に殺されたであろう足止め役が、最後の足掻きとして異形の機動力を落としたのだと思われる。

 だがそれでも、その光景はあまりに不気味だ。吐き気がするほどに悍ましく、恐怖と焦りで姉弟たちの身体が強ばっていく。

 異常事態の連続。極度の緊張状態に加え、広大な屋敷を舞台にした必死の逃走劇。それらの要素が合わさり、姉弟の身にはすでに無視できぬほどの疲労が蓄積されていた。


「ハアッ、ハッ……!」

「キッ、ッゥ……!!」

「もうすぐ正面玄関です! あとひと踏ん張りだから頑張ってくだせぇ!」


 もはや正面玄関は目と鼻の先。しかし、姉弟の顔色は蒼白だ。走る速度も目に見えて落ちている。


「逃げるな逃げるな逃げるな逃げるな逃げるな逃げるな!!」


 そして異形との距離は、もうほとんどない。獣のような機敏さこそ喪っているが、そもそもが理外の怪物。手足を負傷してなお、その速度は姉弟たちのそれより若干速い。──これ以上は、迷っている暇などない。


「ナトラ殿! 炎弾は一発以上撃てますか!? それと一発撃つのに掛かる時間は!?」

「えっ!? ハァッ、えっと、何回か、ならっ! 時間は、十秒、ぐらい、です!」

「なら問題ありませんね! 自分が今からアレの足止めをします! その内に扉から出てください! ただ罠が扉にも仕掛けられてる可能性もゼロではないので、炎弾の魔術で扉を吹っ飛ばすように! いいですか!?」

「はっ、はい!」

「では行ってください! 時間はできる限り稼ぎます!」


 姉弟の背を叩き、指揮役の男が立ち止まって剣を構える。正面玄関との境目にて陣取り、ここから先には一歩も進ませないと示してみせる。


「許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない」

「許してくれとは思ってねぇ。俺らは地獄で、アンタがいくのは天国だ。──だが今は、故あってまだおっ死ぬわけにはいかねぇんだよ! 無様に生にしがみついて、時間稼ぎをさせてもらうぞ!!」


──散っていった仲間たちに倣い、最後のツワモノは任務のために命を燃やす。







ーーー

あとがき

 更新遅くなりました。申し訳ございません。あと二話ぐらいで一段落かなと思うので(予定は未定)、もう少しだけお付き合いくださいませ。


 そして前回に引き続きとなりますが、お知らせをさせていただきます。


 本作、【怠惰の王子は祖国を捨てる〜氷の魔神の凍争記】が、ついに明後日、12月23日に発売となります。

 一巻におきましては、Web版をさらに加筆修正した内容に加えて、Web版では描かれなかったランド王国サイドのエピソードも盛り込まれておりますので、気になる方は是非ともお買い求めください。

 さらに特典として、メロンブックス様、ゲーマーズ様でご購入いただいた際、書き下ろしSSペーパーがついてきますので、そちらも是非。詳しくはMFブックス公式サイトからご確認ください。


 来月には二巻が発売され、そしてコミカライズ企画も進行中ですので、そちらも是非楽しみにしてお待ちください。


 では皆さま。店舗、ネット予約、電子。どれでもウサギが飛び跳ねて喜びますので、何卒よろしくお願いいたします。



買ってくださいっ!!!!!!!!!!!

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