第88話 魔神の戦い その七

 仲間を囮にし、身内を斬り捨て、我が身すら盾にすることを厭わぬ必死の逃走劇。目的はただ一つ、ナトラを外へと連れ出すこと。


「──ふうん。そういうこと」

「っ……!?」


──だが、運命というものは残酷である。絶望というものは、唐突にやってくる。


「先に逝く!!」

「っ、スマン!」


 まるで植物のように、前方の廊下から突然理外の怪物。魔神七号。

 幼子の姿を視認すると同時。即座に護衛の一人が捨て石となることを決意し、一切の躊躇をせずに女児の形をした怪物の顔面目掛けて剣を振るう。


「オラァァァァッ!!」

「効かない。あと逃がさない」


 それでもやはり、魔神格には敵わない。反撃も承知の上で全てを賭した一撃は、防ぐことすらされずに幼子特有の柔らかな頬で受け止められた。

 仲間の捨て身の特攻を囮とした、全力かつ必死の逃走も、通路そのものを巨大な異形で埋められたことで無意味と化した。


「っ……!!」


 たった一瞬。ほんの瞬きの間に全てが終わった。只人では抗うことのできぬ魔神と、魔神に使役される怪物によって行く手を阻まれた。完璧なまでの詰み。


「へー。その子が鍵なんだ。まさか戦闘魔術師の卵モドキが、使用人として働いていたなんて。これは盲点」

「何故それを……!?」

「何故もなにも、全部筒抜け」


 ほらと魔神七号が指を立てる。すると一人の護衛の服のボタンが蠢き、蜂となって彼女の指へと飛んでいく。


「なにをするか気になったから、ちょっとだけ細工した。面白いでしょ? 生物そのもの無から生み出すから、擬態とかの生態もいろいろ設定できる。そして虫は虫でも私の眷属だから、見聞きしたものは共有可能。……ああ、安心して。変えたのはボタンだけ。あなたたちは無事だから」

「クソがッ……!!」


 思わず悪態が漏れる。なんというデタラメだ。つまり目の前の女児は、盗聴のためだけにボタンに擬態する能力をもった蜂を創造したということ。こんなもの、神の御業そのものではないか。

──分かってはいた。分かってはいたことだ。魔神格がその気になれば、その瞬間に完膚なきまでに叩き潰されると。

 だが、あまりにも理不尽がすぎる。全てが魔神七号の、女児の形をしたバケモノの手のひら上。必死の逃亡も、仲間殺しの汚名も、まるで観劇のように堪能されていたとなれば、どうしようもなく堪えるものがある。


「……ここまでか。ならば、兵としての最後の意地を通すまで」

「無謀。それに早合点というもの。何度も言うけどこれは余興。私は直接あなたたちを害することはしない。それはあまりにつまらない」

「……なんだと?」


 せめてもの矜恃を示さんと、剣を構えたその直後。戦闘放棄の梯子外しに、自然と怪訝な声が漏れる。

 護衛の者たちは歴戦の兵。敵の言葉を鵜呑みにすることはない。故に警戒を解きはしないが、それでも針の穴程度の希望が見えたと密かに胸を撫で下ろした。

 誇りを重視する輩ではないのは明白であるが、わざわざ口八丁で自分たちをだまくらかす輩でもない。なにせ七号は魔神格の魔法使いであり、只人である彼らに対して小細工など不要だからだ。

 ただ気ままに蹂躙できる相手に、わざわざ『害さない』というのなら、最低限は信じても問題ないと判断できる。


「ならば、こうして姿を見せた理由はなんだ?」

「簡単。伝えるべきことができた。だから出てきた」

「……伝えるべきこと、だと?」

「そう。この余興での決めごと。余興は公平でないと面白くない。そっちの目的が判明したのなら、それに合わせて勝利条件と私の制約を考えた」


 それはまるで、ボードゲームを解説するかのような口ぶりであった。ただそれだけのためだけに、彼らの必死の逃走は遮られた。ナトラを守るために全てを懸ける彼らの前に、ふらりと七号は現れたのだ。

 ……いや、実際に七号にとって、現状はただのゲームなのだろう。父である魔神ニコラスの教えに則って、羽虫の如き只人が必死で足掻く様を無感動に眺めているだけなのだ。

 だから勝利条件などという、本来ならば不要なはずのリスクをわざわざ作りだした。その上でさらに、自らに制約を課したと宣言してみせた。


「あなたたちの勝利条件。それは彼女をこの屋敷の外に連れ出すこと。それが叶えば、私はその時点で手を引いてあげる。逆に彼女が死ねば、その時点で余興は終わり。この屋敷にいる人間を全滅させる」

「……それはつまり、余興が続く間は全員の命が保証されるということか?」

「そういうこと。もちろん、参加者であるあなたたちは例外。下手を打てばちゃんと死ぬ」

「……そうかよ」


 返答は悪態混じりに。だが、この上ない朗報ではあった。現状における最悪の事態は、屋敷の人間が全滅してしまうこと。

 なんとかナトラを外に連れ出し、ルトと連絡を取れたところで、リーゼロッテを筆頭とした面々が死んでしまっていては意味がないのだ。

 だからこそ、このルールはありがたい。例え信頼性が皆無な空手形だとしても、そもそも致命的に詰んでいる現状では、明確な希望があるだけで気力が湧くというもの。


「あなたたちの勝利条件は以上。そして次は妨害手段について」


──だが忘れてはならない。魔神ニコラスの教えとは、絶望の前に希望を与えるということ。故に勝利を得るためには、とてもとてもか細い糸をどうにか手繰る必要がある。


「私の制約。あなたたちに勝ち目を与えるために、攻撃手段を限定させる。私は直接力を行使しない。眷属と罠。この二つであなたたちを妨害する」


 タンと、七号が廊下を爪先で蹴った。それと同時に、屋敷中の窓という窓が大きく震え、さらに廊下には甲高い二つのおぞましい叫びが鳴り響いた。


「今、この屋敷に罠を仕掛けた。そして二体の眷属を放った。私がするのはコレだけ。罠の追加はしないし、眷属にも手を加えない」

「罠の数や、眷属とやらがどんなバケモノか教えてくんねぇと、こっちとしては信用のしようもねぇんだがな」


 指揮役が不満そうな表情で文句を零す。それは混じり気のない本音であり、同時にできる限り勝率を上げるための探りであった。

 罠、眷属の詳細を事前に把握できれば、ぐんとナトラの生存率が上がり、それだけ勝機を得ることになる。勝利はリーゼロッテたちの身の安全にも繋がる以上、決して妥協できるところではない。

 相手によっては不況を買いかねない危険な賭けではあるが、すでに七号の人となりは把握済みだ。だからこそ、指揮役は躊躇なく攻めてみせた。


「……ふむ。一理ある。でも、詳細を教えたら余興としての質が下がる。だから内容は絞らせてもらう」

「というと?」

「まず罠。数と内容は秘密。ただ一回作動すればそれで終わりの単発式。種類も同じもの。あと規則性もあるから、それに気づけば回避はたやすい」

「ほう……」


 七号の言葉に、微かに指揮役の口元が緩む。予想以上に詳細が伝えられた。ブラフを疑いたくなるほどだが、恐らくそれはない。単純に、余興に対する七号の興味が薄いだけだろう。

 半ば事務的にこなしているからこそ、躊躇なく利になる情報を公開してくるのだ。


「次に眷属。強さはそこまで。あなたたちでも苦戦はすれど勝てる程度。魔獣のように特別な能力もないし、私も手を加えないから普通に攻撃が通じる。ちゃんと傷つき、ちゃんと死ぬ」

「そうかい」


 これもまたいい情報だ。恐らく先程の絶叫の主が件の眷属。聞こえてきた悍ましさからして、マトモな生命である可能性は極めて低いが、脅威度としては絶望的ではない。ひとまず大型の肉食獣程度の危険度に設定する。

 これなら対処できる。これならばまだ勝機はある。そう内心で護衛たちは拳を強く握り。


「ああ、でも一つだけ注意点。眷属の素材となったのは、あなたたちが警戒して斬り殺した使用人。のに殺された、彼女の頭と身体。見た目は少し変わって、意識も混濁してるけど。──恨まれてるから気をつけて」


──付け加えられた想像を絶する情報によって、一気に現実を突きつけられた。


「それじゃあ、頑張って」

「っ、貴様……!! 待ちやがれこの外道が!!」


 絶句する彼らを気にもとめず、最初と同じ唐突さで七号の姿が解れていく。後ろを塞いでいた怪物もそうだ。

 護衛たちが憤怒の叫びを上げた時には、もう既に女児の姿はどこにもなく、そこには小さな蜘蛛が一匹。


「クソがっ……!!」


 悪態とともに蜘蛛を踏み潰すが、恐らく無意味。あの命を操る変幻自在の魔神は、変わらぬ無表情で自分たちを眺めている。そんな確信が彼らにはあった。


「微塵もやる気がない癖に、意味わかんねぇ嫌がらせをしてくれる!」

「やはりバケモノはバケモノか……!!」


 悪辣で、デタラメで、それでいて嫌がらせとしては最適で。無機質でありながらも、怖気がするほどに研ぎ澄まされた邪悪な遊戯。

 強制的にプレイヤーにされた彼らが、使命を忘れて思わず悪態を吐いてしまうのも無理はない。


「──なんで。なんでなんでなんでなんでなんで!! なんで私を殺したのぉぉぉ!!」


──だがしかし、すでにゲームは始まっている。








ーーー

あとがき

あと数話でひと段落。更新頻度が低下し、それでいてシリアスが続いているため、モヤモヤさせて申し訳ありません。


そして緊張感を壊すようで、これまた申し訳ないのですが、この場を借りて一つ宣伝をさせてください。

近況ノートにも記載してはいるのですが、作品だけしか追ってないよ、という方にもお伝えしたいのです。


本作、【怠惰の王子は祖国を捨てる〜氷の魔神の凍争記】が、MFブックス様より12月23日に発売予定です!

加筆修正したり、編集様のチェックが入ったことで、全体的にクオリティが上がった(当社比)一冊となっています!


そしてなによりイラスト! ルトたちが明確な姿でもって物語を駆け回ります!

担当してくださったのは岩本ゼロゴ様。めちゃくちゃ素敵なイラストをご用意してくださったので、是非とも楽しみにしてください。


あと詳細はまだお伝えできませんが、コミカライズも予定しておりますので、諸々含めてお待ちくださいませ。


それでは最後に二言。

まず第一に、お読みくださっている皆様のおかげで、こうして商業作家としてデビューすることができます。本当にありがとうございます。


そして第二。


小説とコミカライズ、皆さん両方買って!!! 本当に買って!!!! よろしくお願いしまぁぁぁす!!!!


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