第86話 魔神の戦い その五

「──ほら、早く考えて? 後ろの人たちも出てきて。早く」


 通路に響く七号の声。抑揚もなく、大声でもない。それでも絶対強者の言葉であるが故に、一言一句が耳にこびりつく。

 そして指名された一団。姉弟とその護衛たちは無言で固まった。荒事に不慣れなリックとナトラは恐怖で。護衛の兵士四人は警戒で。


「……どうする?」

「分かりきったことを訊くな。こんなん、どうもこうもねぇだろ」


 逆らえるかと、指揮役の兵士が吐き捨てる。選択の余地などない。状況はそれぐらいには悪い。

 相手がその気になった時点で、自分たちは全滅する。ならば従うしかあるまい。少しでも長く生き残るには、そうするしかない。


「とりあえず、俺とお前で出るぞ。二人は待機で、引き続き護衛だ」

「出るのならば、全員で行くべきでは?」

「いや、そこまでする必要はない。誰かが出てくれば、あのガキは多分満足する。ありゃそういう手合いだ」


 これまでの会話から推測するに、七号は他人を路傍の石としか認識していない。それでいて根本的な部分が受動的だ。

 だから只人、有象無象の行動になどいちいち目くじらを立てないし、ある程度の要求ならすんなりと受け入れる。

 幼さ故の純粋さと、絶対強者としての傲慢さが合わさった結果だろう。敵対者としては与しやすい部類に入るのだろうが、無垢だからこその底知れなさも感じられる。

 この判断も正直、悩ましいところではある。吉と出るか凶と出るかも不明だ。だがそれでも、怯える姉弟を怪物の前に晒すのは躊躇われた。

 なにせ相手は子供。少なくとも外見に限っては幼児のそれ。そして子供というものは、唐突に残忍さを覗かせるものだ。恐怖で震える姉弟を目の当たりにして、つい魔が差すなんて可能性は全然ある。

 だったら出さない方がマシだ。言いくるめが成功しそうな相手ならば尚更。


「──早く」

「ともかく行くぞ。受け答えは俺がやる」

「了解」


 頷くと同時、指揮役と斥候役が動く。恐怖を無理矢理に嚥下し、魔神七号の前に出た。


「……他の四人は? まだいるでしょ?」

「いるにはいるが、勘弁してやってくれ。二人は荒事に慣れてなくてな。アンタはあの二人には、ちと刺激が強すぎる。なに、その代わりに俺が四人分の話し相手になるからよ」

「そう。じゃあそれでいい」


 返答はあっさりとしたもの。特に悩む素振りも、不快感を抱いた様子もなく、七号は隠れ続ける四人のことを受け入れた。

 予想通りだ。只人である以上、なにをしようとも魔神格の脅威にはなりえない。それを確信しているからこそ、敵対者の言葉にすら従ってみせる。

──気に入らなければ、その時に叩き潰せばそれでこと足りるから。


「あ、あとついでに報告だけさせてくれねぇかい? なにぶん俺らは下っ端でな。アンタの話し相手をするには、偉い人らの許可が必要なんだわ」

「構わない。どうぞ」

「……ああ、助かるよ」


 綱渡りでもしてる気分だと、会話を担当する兵士、指揮役だった男は内心でごちる。

 すでに七号の性格は把握している。有事の際、仲間内で指揮役を任される程度にその手の能力が高かったからこそ、下手を打たないという自信もあった。

 そして七号は分かりやすい。単純と表現してもいい。知能だけなら外見以上のものを備えていそうだが、性格的な部分は表情の乏しい幼児と大差ないと言えるだろう。

 そうした諸々をふまえれば、この程度の要求なら問題なく通ると確信していた。だが確信はしていても、安心することはできなかった。

 なにせ相手は子供で、只人など塵芥の親戚と認識しているであろう怪物だ。幼児というのは人よりも獣に近いものであるし、それでいて意思だけで殺されかねないともなれば恐ろしくもあるというもの。


「報告いたします!」


 それでも恐怖は表に出さない。無様を晒せば、その瞬間に殺されてもおかしくないのだ。不快だと、見苦しいものを視界に入れたくないと思われてしまえば、その時点で終わってしまう。

 七号の趣味嗜好は不明なれど、大の男が震え上がっている姿など、見たいと思う者の方が少数派だろう。ならばマトモな兵士らしく振舞った方が無難というもの。


「──承りましょう」


 そして返ってくるリーゼロッテの言葉。執務室の面々も七号の性格を見抜いたのか、予想以上にすんなりと話が通った。


「この場に到着いたしましたのは、私たちを含めて兵士が四人。そして行動をともにしていたアンブロス姉弟でございます。先ほどの轟音によって異変を察知。姉弟を閣下の庇護下に置くべき、この場にやってきた次第です」

「……なるほど」

「結果として、姉弟を危険に晒すことになりました。我らの罰は如何ようにも」

「仕方のないことです。これを想定しろというのは不可能に近い」


 敵対する魔神格を間に挟み行われる、兵士と領主の情報のやりとり。

 それはあまりに奇妙で、実に間抜けな光景であった。まるで喜劇の一幕。それが実現しているのは、舞台の中心である神が許しているからであり、端役に微塵も関心を抱いていないから。


「そして新たにやってきたあなたたちに、悪い情報を教えましょう。旦那様は見ての通り、この場にはいません。そこの魔神の仲間、それも同様の人造魔神とやらと、サンデリカの外で絶賛戦闘中です」

「……そのようで」

「ついでに言いますと、旦那様を呼び戻すのは不可能です。私の抱える術士は、彼女曰くすでに全滅しているとのことですので。使。もう屋敷にはいないのです」

「っ!」


──だがそれでも、端役には端役の意地がある。


「さて。ここは私の家で、この場の責任者は私ですが……。あなたたちは、私ではなく旦那様の臣下です。ならば、私があれこれ指示するのは筋が違います。ですので私が言うべきはこれだけです。──役目を果たしなさい。旦那様が宝と言ったあなたたちならば、それに相応しい働きができると信じております」

「……御意」


 言葉は短く。残りは行動で。


「この場を頼めるか?」

「……構わない。だがなにをする気だ?」

「思い出せ。俺たちに降っていた命令は、あの可哀想な過去を持つ姉弟を見守ることだろう?」

「……そういうことか」


 納得の声を上げるとともに、斥候役が腰の剣を引き抜いた。

 明確な敵対行為。言葉よりもなお雄弁な交戦の意思を見せたことで、どうでもよさげに状況を眺めていた七号がはじめて興味を見せた。


「まさかやる気? やけになって血迷った? それとも、今のやりとりで策でも思いついた?」

「さあな。だが別にどっちでもいいだろ? 塵芥の悪足掻きなんざ、アンタにゃ脅威でもなんでもないんだ。少しぐらい見逃してくれや」

「構わない。なにをする気か分からないけど、その余興に付き合ってあげる」


 またもや二つ返事。ここまで見逃され続けると、もはや不気味な領域だ。性格の二文字で片付けるには、少しばかり納得できないほどに。


「はっ。分かってはいたが、随分とお優しいんだな。いくら魔神格の魔法使いといえど、もうちっとばかり警戒してもいいだろうに」

「だってどうでもいい。あと、こういうのはお父様が好き。希望をチラつかせた方が、あとにくる絶望は大きいって」

「なるほど。親の教育か」


 悪趣味この上ない理由だった。人体実験を平気でやる外道が親なのだから、当然と言えば当然なのかもしれないが。

 だが好都合だ。マトモな教育を受けていない幼児の無垢さにつけ込むのは気分が悪いが、もとより戦闘能力に圧倒的な差があるのだから。利用できるものは全て利用しなければ。


「そんじゃ、せいぜい絶望しないようにしないとなぁ! ──行け!!」

「応っ!!」


──そして動く。指揮役の兵士の号令と同時に、斥候役が七号へと斬り掛かった。


「オラァッ!!」


 顔面狙いの横薙ぎの一閃。確実に殺すという殺意のもと放たれた、全力の一撃。

 鍛えに鍛え抜かれた歴戦の兵士が、経験と筋肉を総動員して振るった剣撃。それは子供の頭蓋など容易く吹き飛ばし、血の海を生み出す暴力そのもの。


「っ……!?」

「ふぁ……」


──だが効かない。それどころか、七号は防ぐことすらしなかった。平然と剣撃を顔面で受け止め、挑発なのかこれみよがしに欠伸を零した。


「無駄。私にこんなの効かない。力を使うまでもない」


 七号は語る。魔神格がそれぞれ備えている、不死性すら不要だと。

 魔神格の魔法使いは、理の軛から逸脱した超越者だ。寿命もなく、食事や睡眠などの生命維持活動すら必須ではなくなる。それすなわち、物理現象の影響が受けづらくなっているということであり。

 只人の放つ攻撃など、よほどの達人の一撃でもなければ影響を与えることすらできないのだ。


「バケモノめ……!!」

「承知の上のはず。それよりこれ邪魔……ああ、目隠し狙いか。無謀な突撃じゃなくて、さっきの男と隠れてた仲間を逃がすのが目的だったと」

「チッ……!」


 斥候役の口から舌打ちが漏れる。渾身の攻撃が防御もせずに無効化されたどころか、一瞬で目的が看破されたのだから当然だろう。

 だが予想の範疇でもある。なにせ七号は、隠れていた彼らを一瞥もせずに発見してみせた非常識だ。

 気を逸らし、ついでに剣で視界を塞いだ程度で、隠し通せるとは思っていない。


「我々の悪足掻きに付き合ってくれるんだろう!? だったら吐いた唾はそのままにしてもらいたいものだな!! それとも、我々の抵抗を脅威とみなして全力を出すか!?」

「──まさか。余興を台無しにすることはしない。約束しよう」


 故に、言葉でもって魔神を縛る。絶対強者としての傲りを逆手に取り、自らで制限を設けさせる。

 もちろん、所詮は敵との口約束だ。守る道理など微塵もない。それでも言質は取らねばならない。

 なにせ元がゼロなのだ。抗うことなど不可能な超越者が相手なのだ。ならばどんなにみっともなくとも、相手の気まぐれに頼ってでも成功率は上げるべきなのだから。


「ところで、あなた名前は?」

「……ガストだ。それがどうした」

「そう、憶えておく。犠牲前提の囮を、二つ返事で了承した兵士の鑑だと」

「……はっ! 子供の癖してこまっしゃくれたことを言う」

「こういう時は、そうするものだとお父様が言っていた」

「それはそれは。お前の父とやらは、外道のわりに随分とキザなのだな」

「お父様、アレで読書や演劇とか好きだから」

「だったら作家にでもなっていたらいいものを!!」

「それはそう」


 くだらぬ会話だ。殺し合いをしているとは思えないほどに。場所が場所、状況が状況なら、顔見知りの幼児と中年兵士の和やかな日常の一コマにしか見えないだろう。

 それだけ場違いな雰囲気なのは、七号が目の前を男を敵として認識していないから。そして斥候役、ガストはガストで、全ての覚悟を済ませているから。


「さて。頑張ったご褒美。なにか遺言があればどうぞ」


──だから終わりの時は、とてもあっさり訪れた。


「お優しいことだな。それも父親の教育か?」

「そういうこと。ないならないで構わない」

「いや、お言葉に甘えさせてもらおう。──ハインリヒ殿!!」


 叫ぶ。喉が裂ける勢いで。通路に響くは、歴戦の兵士の最後の忠義。


「……なんだ」

「閣下にお伝えください! お仕えできて光栄だったと! そしてお先に失礼しますと! ……ともに過ごした日々は短くとも、とても楽しく素晴らしい時間であったとお伝えください!!」


 悔いなどないと。本望だったと。どこまでも快活な、実に兵士らしいハキハキとした口調で遺言は伝えられた。


「……承知した。必ず伝えよう」

「ありがとうございます! それではハインリヒ殿、そしてリーゼロッテ様、他の方々も御壮健で! ──おさらばです!!」


──その言葉を最後に、廊下に物言わぬ肉袋が転がった。

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