第85話 魔神の戦い その四

 水を打ったような静寂に包まれる公爵邸。執務室を中心に、重い空気があらゆる物音を拒絶していた。


「──おー。お父様も派手にやる」


 そんな中で唯一、気楽に振る舞う者がいた。幼子特有の無表情を浮かべ、されどどこか楽しげに身体を揺らす女児。

 街から離れた浜で行われている終末の如き決戦を、観客気分で眺めている彼女こそがこの空気の中心。

 只人では決して抗うことのできぬ超越者。大陸にこれまで三人しか確認されていなかった怪物たち、その五人目。そして絶対にあってはならぬ、怪物。

──人造魔神七号。存在全てが世界を揺るがすであろう、女児の形をしたナニカ。


「で、どうすればいいと思う?」


 ゾクリと、その場にいた全員の背筋が粟立つ。七号が超常の争いの観察を止め、意識をこの場に戻したのだ。

 ただそれだけで、身体に鉛が差し込まれたのかのような錯覚が襲う。魔神格の魔法使いと敵対するとはこういうこと。敵意と呼ぶにはささやかすぎるただの視線ですら、まるで毒のように只人の肉体を脅かす。


「……無意味な質問ですね。どうせ私たちを皆殺しにするのでしょう?」


 七号の問いに答えたのは、意外なこと荒事を知らぬリーゼロッテであった。領主としての矜恃を胸に、恐怖に震える身体を叱咤し言葉を吐き出したのだ。


「それよりも、こちらから質問をさせていただいても? 人造魔神という言葉、流石に聞き捨てならないので」


 そして一度踏み出してしまえば、もう止まらない。後戻りできないが故の開き直りによって、リーゼロッテは命懸けの逆質問を行った。

 七号の機嫌次第では、言葉ではなく死を叩きつけられてもおかしくない蛮行。それでもなお強行したのは、燃え尽きる前の蝋燭が如き足掻きであり、帝国にて最も貴き血を宿す貴種としての意地である。


「ふぅん……」


 表情の乏しさを変えることなく、七号がリーゼロッテに注目する。思案するかのような呟きが、より不穏さを増している。

 執務室の面々が、特に主の覚悟に我に返った武官たちが動く。相手を刺激しないことを第一に、襲いかかるようなことはしない。ただ七号とリーゼロッテの間に入り、主の姿を背中に隠した。

 そしてハインリヒ、アズールが最終防衛ラインとして横に控える。もしもの際には、我が身を盾にしてでもリーゼロッテを守るという決意の陣形である。


「よくやる。それこそ無意味な行為」

「否定はしませんな。魔神格の魔法使いが相手となれば、只人である我らなど紙の盾にもなりはしないでしょう。ですが我ら兵士ですので。守るべき御方のためならば、無駄と分かっていても足掻くものなのですよ」

「そう。まあ、どうでもいい」


 ハインリヒの宣言に対し、七号は素っ気なく答えた。本当に興味がないのだろう。そして幸いなことに、動くこともしなかった。

 有象無象の抵抗などないのと同じ。塵芥がいくら足掻いたところで、一息で全てを吹き飛ばせばそれで終わり。気にとめようとも思わない。

 だからこそリーゼロッテたちは見逃された。敵とも思われていないからこそ、反抗の意思を見せてもスルーされたのだ。


「それで、私についてだっけ? 気になるの?」

「ええ。どうすれば人造魔神などという恐ろしい存在ができあがるのか。とても興味があります。どうせ殺されるのでしたら、最後に知的好奇心を満たして死にたいではありませんか」

「そう。でも残念。私もお父様の研究はよく分からない。獣の身体を人にくっ付けたり、薬かなにかを使ってるぐらいしかしらない」

「……それであなたは魔神になったと?」

「うん。なんかなった。お父様もついでになった」

「……つまり量産ができると。ならもう一つ質問です。七号ということは、あなたとあの男以外に人造魔神はいるのですか?」

「いない。私とお父様だけ。増やせとも言われてない」

「そうですか……」


 もたらせる驚異的な情報の数々に、リーゼロッテは平静を装いながらも内心で絶望していた。

 只人を魔神へと至らせる脅威の技術。そんな御伽噺のような御業を、敵対勢力が保持しているという事実。

 人造ではあっても、性能が粗悪というわけではない。七号の言葉が真実ならば、遠くの浜でルトと戦っているニコラスもまた人造魔神。ルトとマトモな戦いになっている時点で、少なくとも只人がどうこうできるような存在ではない。


「それにしても、随分とあっさり教えてくるのですわね? 質問したの私の方ですが、まさか答えていただけるとは思いませんでしたわ」

「訊かれたから答えただけ。お父様にも、教えるなとは言われてない」

「……そうですか」


──なんとしてでも、この情報は帝国上層部で共有しなければならない。そんな決意のもと、リーゼロッテはさらに口を動かしていく。

 武官たちによって姿を遮られていることを利用し、それとなく文官たちに目配せすることも忘れない。

 ペンを手にできるものはペンで、そうでないものは指を裂き、血文字でもって情報を記録していく。紙、壁、身につけた衣服などものはそれぞれ。情報を伝えることを第一として、全員が密かに役目を果たすために動いていた。

 それだけ重要な情報なのだ。この場においてもっとも身分の高いリーゼロッテですら、即座に生存と情報伝達の優先順位を入れ替えたほど。


「つまり、あなたは訊かれたことは素直に答えてくれるのですね」

「お父様が禁止したこと以外なら。私もお父様が戻るまでは暇だから。ただ時間稼ぎが目的なら、最初に無駄だと言っておく。連絡役の術士は全員潰してる。空に連絡用の魔術が打ち上がることはない。氷神ルトの助けはない」

「……左様ですか」


 なんとかリーゼロッテは舌打ちを堪える。密かに狙っていた最善策がこれで潰えた。

 屋敷を見回りをしている武官たちが、異常を察知して空に炎弾を放てばまだ希望はあった。屋敷の危機をどうにかルトに報せることができれば、まだ助かる見込みはあったのだが……。

 やはり魔神格。幼い見た目に反して、一筋縄ではいかない大敵である。


「ちなみに、どうやって我が家の連絡要員を見抜いたのです? 非常時に備え、その手の情報は機密に設定しているはずなのですが。……まさか、見回りしていた者たちは、いえ私たち以外の屋敷の人間はすでに殺害済みですか?」

「いいや。お父様は、さっきみたいに名乗り出ることを楽しみにしてた。だからあの瞬間まで隠密行動。派手な動きはしていない。──だからこうやった」


 七号が呟くと同時に、彼女のすぐ側の床が蠢き、人型を取る。


「……っ、その者は!?」


 思わずリーゼロッテが声を上げた。これまではなんとか平静を装っていたが、流石に今回ばかりは無理だった。

 生み出されたのは、リーゼロッテの記憶にある人物。公爵家の機密の一人である、連絡役の武官だった。


「私は生み出した命、作り替えた命を取り込み支配下における。だから適当な武官を一度取り込んで、そこから記憶を抽出。あとはバレないように、見た目と自我を再現して偽装した」

「なんという……」


 悪辣という言葉ですら生温い所業に、リーゼロッテのみならずその場にいた全員が言葉を失った。

 あまりにも非道で、なにより凶悪がすぎる。殺した相手と瓜二つの、それこそ自我まで備えた人型を生み出せるなど、いくらでも悪用ができてしまうデタラメだ。

 もちろん、魔神格なら理不尽の一つや二つ実現できるもの。ルトも遠隔で人の心臓を止めることはできる。これとて十分以上に凶悪だ。

 問題なのは、そうしたデタラメを実現させる相手が、明確に自分たちと敵対していること。そしてその相手が、公の立場を持たぬ暗部の人間であろうということ。


「法国も厄介な札を隠し持っていたものですわね……」

「私たちが誰の指示で動いているかは秘密。お父様から話すことは禁止されてる」

「白々しいことを……!」


 これまでの情報、そして状況を踏まえれば、法国が裏で糸を引いていることは明らかだ。

 だがしかし、それでもなお七号たちは認めない。例え始末する相手であっても、言質を与えるようなことはしない。

 厄介だ。あらゆる点で厄介にすぎる。ただの無法者で片付けるには、力、技術、そして精神性が異常すぎている。


「あなたばかり質問しているから、今度は私の番。一方的な会話はつまらない」

「っ、左様ですか。ですが、そちらが質問するようなことなどないのでは? これから死にゆく私たちの、遺言でも記録しますか?」

「まさか。私の質問は変わらない。氷神ルトをおちょくるにはどうすればいい? ──部屋の中でコソコソ必死にいろいろ書いてる人たちも、後ろで隠れている人たちも考えて」


──隠しごとなど意味がない。あらゆる努力が無駄なこと。只人たちの必死なまでの抵抗も、魔神は平然と踏みにじる。

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