第84話 魔神の戦い その三
──時は少しばかり遡る。
「──っ!? なに今の音!?」
突如として鳴り響いた轟音に、就寝の準備をしていたナトラは飛び跳ねて驚いた。
「っ!」
なにかが壊れる音に、衝撃からかわずかに揺れる自室。明らかな異常事態だと察したナトラの行動は早かった。
「あのっ!」
「っ、ナトラ殿。起きてましたか」
私室のドアを開け、外で控えていた監視要員、ルトの臣下たちに駆け寄る。
荒事に不慣れな自分が一人で部屋に籠るよりも、優れた兵士である彼らの傍で指示を仰いだ方がマシという判断だ。
「これ、一体なにが起きてるんですか!?」
「不明です。我々にもなにがなんだか」
「だが、間違いなくロクでもない事態でさぁ。頼む前に出てきてくれて助かりました」
ナトラの質問に首を横に振りつつも、部下たち二人は素早くナトラの両脇を固めた。
監視員であり、もしもの際の処刑人である彼らだが、実のところ護衛としての役割を担っている。
万が一姉弟が襲撃を受けた場合、命懸けで二人を守れとルトに厳命されているために、彼らの動きは実にスムーズであった。
「っと、リック君も出てきましたね。やはりあの子も賢い」
「リック!」
「姉ちゃん!」
わずかに遅れて開かれた隣室の扉から、リックが慌てたように飛び出してくる。恐らくナトラと似たような判断をしたのだろう。
血の繋がった姉弟であり、監視など諸々の効率をふまえて並び合う形で与えられていたことが功を奏した。
すぐにリックと合流することができ、さらにリックの監視要員の二人が追加されることになる。
「これからどうする?」
「閣下と合流一択だろ。あの方の側が一番安全だ」
「だが音の方向的に、ことが起こったのはリーゼロッテ様の執務室だぞ。護衛対象を連れて火中に突っ込むことになる」
「それでもだ。戦闘をしてようが、閣下の側が一番安全なのは変わらん。というか、普通に考えりゃもう終わってるだろ。魔神格だぞ」
「それもそうか」
歴戦の兵士たち四人による話し合い。小声かつ迅速に方針を決めつつ、荒事に不慣れな姉弟を慮って軽めの雰囲気のまま指示を出す。
「そんなわけで、閣下たちのところに向かうことになりました。お二人もよろしいですね?」
「は、はい。それが一番、安全なんですよね?」
「ええ、もちろんでさぁ。なにが起きてるのかは不明ですが、閣下が動けばそれでほぼ終いです。もう解決しててもおかしくない」
「我々が音の発生源に向かうのは、状況の確認という面もあります。申し訳ないですが、お二人もご一緒にお願いします。我々の指示に従ってください」
「だ、大丈夫です。むしろ、俺たちだけ残される方が不安なので……」
「よし。じゃ、ちゃっちゃっと移動しましょうか」
姉弟の了解も得られたということで、素早く部下たちは隊列を組む。
護衛対象である姉弟を中心に、二人が前後を固め、一人が姉弟の真横に並び指揮役兼最終防衛ライン。そして残りの一人が斥候役としてさらに前方に。
「終わってるかもと言っておいてアレなんですが、とりあえずこの隊列で進ませていただきます。念のためってやつですな」
「念のため……」
「ええ。閣下がいるとはいえ、非常事態なことには変わりません。安全が確認できるまでは、流石に気は抜けませんわ。襲撃者がうろついていて、出会い頭でバッタリなんて困るでしょう?」
「そう、ですね」
──流石に返事が硬い。表面上は軽めの雰囲気を維持しながらも、指揮役の兵士は内心で眉を顰めた。
いくら安心させようと言葉を重ねても、それ以上に非常事態という現実が姉弟の心に重くのしかかっていることは明らかだった。
パニックにならないだけマシとはいえ、一体いくつもの『安全』という言葉が、先ほどの轟音によって塗りつぶされたことだろうか。
ないものねだりをしても仕方ないが、今この瞬間だけは主の持つ有無を言わさず従わせる重圧がほしくなる。
「んじゃ、いきますよ。なに、こんな物々しい隊列も、すぐにおしまいになりますよ。公爵邸は広いですが、幸いなことに執務室とここは近い。知ってるでしょう?」
だが、そんな内心はおくびにすら出さず、指揮役は軽快さを演出し続ける。
護衛対象が取り乱すことは絶対に避ける。長年の兵士としての経験が、彼らの演技を絶やさせないのだ。
正気を失った者から死んでいく。それは戦場だけでなく、あらゆる有事で言えることだ。事実、彼らは正気を失い命を落とした新兵たちを何度も見てきた。
そしてつい最近では、古参の兵士の中からも恐慌して死んでいった者が出た。状況次第では、誰でも恐怖に呑まれるという証明だ。
だから彼らは気軽さを見せ続ける。護衛対象を守るために。まだ若い姉弟を死なせないために。
「──よし。進みます」
斥候役が先行し、通路の先を探る。そして問題無しというサインを確認してから、ナトラたちを率いて移動。そしてまた斥候役だけが先行する。
これを二度繰り返し、あと一回。あと一回というところで──それは起こった。
「っ、止まってくだせぇ。待機です」
リーゼロッテの執務室はもう目の前。状況を目視してるであろう斥候役から出された停止のサインは、それだけ重い意味がある。
──なによりも、斥候役の発する尋常ならざる気配が雄弁に語っていた。姉弟を慌てさせまいと、落ち着いた雰囲気を絶やさなかったはずの兵士が、分かりやすく顔を強ばらせていたのだ。
「これは……」
指揮役は悩む。斥候の様子を見るに、彼の先にある状況は間違いなくロクでもない。ルトがすぐ近くにいるであろう状況で、なお待機のサインを出すほどにはロクでもない。
詳細は不明なれど、確実に危険度が跳ね上がった。このまま待機するよりも、一度撤退し姉弟たちの安全を確保するべきではないかと。
「……なに?」
だがその悩みも、斥候役から再び出されたサインによって遮られる。
出されたのは『来い』というサイン。だが出してる本人の表情は未だに険しい。
その矛盾に訝しみながらも、恐らく熟考の末に出されたサインであると判断し、従うことに決める。
「報告を。なにがあった?」
「完全に状況が変わった。護衛対象の安全よりも、優先すべき事態だと判断した」
「……なんだと?」
斥候役の言葉によって、イッキに警戒レベルがはね上がった。兵士全員が静かに腰の剣に手を置き、即交戦可能な構えを取った。
対してナトラとリック。二人は優先順位が変わったことに怯えの気配を滲ませながらも、斥候役のジェスチャーに従い騒ぐまいと手で口を塞いだ。
「どういうことだ」
「地獄みたいな状況だ。リーゼロッテ様が、いや執務室にいる全員が危険だ」
「……なんだって?」
「見れば分かる。だが、絶対に声を上げるなよ。絶対にだ。気づかれないよう、細心の注意を払え」
「……了解」
再三の念押し。そしてその口ぶりから、通路の先にはよほどの『ナニカ』がいるらしい。
忠告に従い、細心の注意を払って通路から顔を覗かせ、角の向こう側を確認する。
「っ……!?」
──そしてソレはいた。
「どうも。こんばんは」
執務室の入口で、中にいるであろう者たちにペコりと頭を下げる少女。
年齢はリックのさらに下だろう。言葉にもたどたどしさが残り、物静かな幼児特有の浮世離れした雰囲気を感じさせる。
こんな時間のこんな場所。夜中の公爵邸に現れた、見たこともない女児。実に問題だ。非常事態という状況も合わされば、不法侵入している女児など問題以外のなにものでもないだろう。
だが違う。そんなことは些事だ。一つの事実の前には、その程度の問題など霞んでしまう。今この状況で、なにより問題なのは──彼女の淡く輝く深緑の髪だ。
「っ……」
アレは駄目だと、本能的に悟ってしまう。あの髪は駄目だ。あの特徴は駄目だ。あの人間離れした特徴は、まさしく人間の枠組みを超えた超越者のみに許されたもの。
「お父様にならって自己紹介を。私は七号。お父様の研究成果である──人造魔神」
告げられた言葉は、ある意味で予想通りであり、そして信じられないもの。
「お父様は囮。本命は私。出された指示は、氷神ルトをコケにしろ。……ねぇ、どうすればいいと思う?」
──魔神ニコラスの悪意は、公爵邸を離れてもなお泥のようにまとわりつく。
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