第83話 魔神の戦い その二

──最初の衝突を征したのはルトだった。


「砕けろ」


 数えることが叶わぬほどの怪物の群れ。人よりも遥かに巨大で、それでいてあらゆる生物に当てはまらない異形。獣のようで、魚のようで、蟲のようなバケモノたちの津波。

 その全てが凍りつき、細氷の如く霧散する。軍をすり潰し、街を粉砕し、国を均す命を濁流も、永久凍土をもたらす嵐の前には意味をなさない。


「あの物量を一瞬ですか! これは凄まじい! ──が、甘い! 甘すぎますねぇ!!」


 だがニコラスもまた魔神。ルトと同格の化け物なれば、この程度の絶望など必殺たりえない。

 極寒の冷気が迫るのならば、それを遮るだけの肉壁を生み出せばこと足りる。それを証明するかのように砂粒を、大気を、物質を構成する全ての分子を異形の化け物へと変えていく。


「チッ」


 ルトの口から舌打ちが漏れる。並の相手なら周囲の環境もろとも確殺するであろう寒波は、無限の物量によって見事に防がれた。

 物質の芯の芯。物理法則を飛び越え、存在の根幹まで凍てつかせ粉砕する魔風も、耐えず生み出される肉壁の前には限界があった。


「この世の全てが材料、それも質量すら無関係な供給能力か。やってらんねぇなクソッタレ!」


 塵に変えた先から、いや塵芥からも化け物が産み落とされるのだ。不毛すぎて付き合いきれない。

 故に悪態とともに次の一手を考える。それでも寒波の勢いが変わらないのは、ルトもまた無限のリソースを抱えているからこそ。

 もたらす結果が異なるだけで、際限なく力を行使できるのは互いに同じ。甚大な被害を生み出す破壊を、片手間に放ち続けることができるからこその超越者。


「──ならば、だ」

「次はこちらの番ですねぇ」


 絶え間ない破壊と創造。無限のリソースを背景とした拮抗状態は、戦闘を次のステージへと押し上げた。

 互いに力を一点、向かい合う敵に絞っていた戦闘から。ルトが被害を抑えるために神威でもって牽制し、ニコラスがその隙を突かんとより攻めて研ぎ澄まさていたからこそ、実現していた一種の均衡。

──それが今この瞬間に破られる。砂浜を舞台にした超越者たちの戦いは、より相応しく、よりどうしようもないものへと移ろっていく。


「叩き潰してさしあげましょう!!」


 先に動いたのはニコラスだ。自らの肉体を蠢かせ、その身を恐るべき巨人へと変貌させる。

 その体躯は山を超えるほど。拳だけで今までの舞台であった砂浜を超える規模。ただこの巨体で移動しているだけで、国など簡単に滅ぶことになる。

 これまでの無尽蔵の物量による圧殺ではなく、究極の一による甚大な質量攻撃。轢き殺すのではなく、周囲諸共粉砕して消し飛ばす大規模破壊。


「質量攻撃か。だな」


 対してルトの選択もまた、ニコラスと同質のものだった。

 凍結は効果が薄いと見切りをつけ、物理的な破壊へと方針を切り替えた。すなわち超巨大、それこそ巨人ニコラスに匹敵するサイズの氷塊を生み出すことで対抗したのである。

 なにも物量攻めはニコラスだけの十八番ではない。命を生み出すことはできなくとも、氷ならばルトも生み出し操ることができる。

 凍結させた方が手っ取り早く、それでいてスマートにことが終わるから多様しているだけ。その気になれば、このような手荒で甚大な破壊をもたらす攻撃手段も所有している。


「さぁ、死になさい!!」

「かっ飛べ」


──巨人ニコラスの拳が。ルトの放った大氷塊が。遥か上空で激突する。


「ぬぐっ!?」

「チィッ!」


 大質量の衝突により、世界から音が消える。そして遅れてやってくる衝撃。大気が震え、破壊のエネルギーが迸る。

 ルトは咄嗟に自身を空間に固定。さらに砂浜とサンデリカの間に存在する大気にも同様の処置を施すことで、絶対防御の障壁とした。

 もしこの判断が一瞬でも遅れていたらどうなっていたか。衝撃によってルトは地平線の彼方まで吹き飛ばされ、サンデリカは衝撃の余波によって壊滅していたことだろう。

 それほどまでの破壊。余波ですら天変地異に匹敵する、そんな終末の具現を真っ向から受け止めている者がいる。


「ぬおおおおおっ!?」


──当然、ただで済むはずがない。


「足腰が弱ぇんだよドブネズミ!! もっと腰入れて拳打てや研究者ぁ!!」


 どのような摂理かは不明なれど、ルトの耳にまで届く驚愕と苦悶の叫び。そしてそれすら打ち砕くようなルトの罵倒。

 巨人ニコラスの拳はひしゃげ、その肉体に大氷塊が突き刺さる。それでもなお大氷塊は勢いを落とさず、巨人の肉体ごと水平線まで吹き飛ばす。

 ただの冷たき大質量と、同等の質量であれど肉でできた巨人では、この結果になるのは必然だった。ニコラスが自らの肉体ではなく、今までのように怪物を生み出していればまた違ったのかもしれないが──。


「──ふん」


 結果はこの通り。巨人ニコラスは水平線の果てまで吹き飛び、大氷塊に押し潰される形で海の底まで沈んでいった。

 大質量が海面に叩きつけられたことで、母なる海は荒れ狂い、大地震と大津波という形でその怒りを体現する。

──だがそれすらも氷の魔神の前では無意味なこと。大地震はエネルギーの凍結という形で沈められ、大津波は荒れ狂う海ごと水平線まで凍らされた。


「……」


 大陸の拡大。そうとしか言い表せないほどの大凍結。自然災害という形で現れた、魔神同士の戦いの影響を鎮めるためのやむを得ない一手。──否。

 これはそんなチャチなものではない。魔神同士の戦いの余波から、か弱き只人を守らんとする慈悲では、戦闘の後始末などでは断じてない。

 これは追撃だ。海に落ち、深き水底まで沈むニコラスを永劫に凍らせるための追撃。魔神格がこの程度で終わるわけがないという、そんな確信からくる当然の攻撃。


「──いやはや、死ぬかと思いましたねぇ」


──だがその追撃も、平然と砂浜からニコラスがことで無意味なことだと証明された。


「……やはり無駄だったか。しぶとすぎて嫌になるな」

「いえいえ。結構惜しかったと思いますよ? なにせ身体を捨てる羽目になりましたしねぇ」

「身体を捨てる、ねぇ。それがお前の身を守る術か」


 やってられないと言わんばかりにルトが吐き捨てる。事実、ニコラスのそれは呆れを通り越すほどのしぶとさであった。

 魔神格の魔法使いは、それぞれの力を応用する形で不死性を獲得している。絶大な力を宿すが故に、どこまでも死に難くなっているのだ。


──例えばアクシアは、自らの肉体を実体無き炎に変えることで、ほぼ全ての攻撃を『無効』とする。


──例えばルトは、自らの肉体にまつわる全てを概念的に凍結させることで、擬似的な『不変』の肉体を獲得している。


「その通り! 私は『命』を掌握する魔神格の魔法使い! 故に私は不滅なのです! 肉体をいくら壊そうとも、痛くも痒くもないのですよ!」


──ニコラスもまた同様に。その身がいくら滅びようとも、新たに自身を生み出すことで『不滅』を実現させていた。


「デタラメだなお前は。どこまでも増え続けるなんて、本当にドブネズミみたいで反吐が出る」

「そういうあなたの方こそ。ここまで滅茶苦茶だとは思いませんでしたよ。てっきり上等な氷室だとばかり」


 規格外なのはお互い様。だがしかし、敵であるが故に両者揃って自らのデタラメさは棚上げしている。


「厄介だ。──だが今ので大体分かった」

「これはこれは。奇遇ですね。私もあなたの評価が決まったところです」


 睨み合い。一挙一動に注視しながら、二柱の魔神は同時に口を開く。

 一連の攻防。そこから導き出した結論を述べる。


「しぶとさ、厄介さは抜きん出てる。だがそれだけだ。──想定よりも弱いな、ドブネズミ」

「攻守ともに隙がない。負けることはないでしょうが、正面から戦っても勝ち目は見えませんね。──予想以上に強いですね、少年大公」

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