第82話 魔神の戦い その一

 魔神ニコラスの場所を変えるという提案を、ルトは素直に受け入れた。正確に言えば、受け入れるしかなかった。

 主導権はニコラスにある。守るべきものがあるルトはなにもできず、ただ悍ましい男の後をついていくしかなかったのだ。

──かくして、二人の魔神は公爵邸から移動する。ルトは氷を操り、ニコラスは鳥に変じて空を進む。


「この辺りがいいでしょう」


 そして降り立ったのは、サンデリカから外れた位置にある海岸。港に向かぬ地形からか、人の手が入っていない自然の浜だ。


「……」

「おや? なにか不満でも?」

「……ねぇよ。屋敷から、街から距離を取れただけでも万々歳だ」


 ニコラスの問いかけに、ルトは舌打ちを交えつつ適当に言葉を返した。

 不満? そんなものはあるに決まっている。前提として、今の状況そのものが不満だ。それを抜きにしても、挙げていけばキリがない。

 例えばこの地。街から離れはしたが、見えなくなるほどではない。視線を向ければ、公爵邸を目視することも叶う程度の距離。

 まるでルトの覚悟に敬意を抱いたかのような口ぶりで行われた移動は、されど魔神同士の戦闘となれば、容易く全てを巻き込める距離に留まっている。

 それが実に嫌らしい。合理的と言ってしまえばそれまでだが、ニコラスの根底にあるのは兵法ではない。

 あるのはひたすらに愉悦だ。魔神格の魔法使いという絶対強者を、己の掌で転がすことを愉しんでいるのだ。

 なによりタチが悪いのは、全てを理解した上でルトは転がされる選択肢しか取れないこと。守るべきものから距離を取れただけでも万々歳というのが、誤魔化しようのない事実であるからこそ腹立たしい。


「再度訊くぞ。お前の目的はなんだ? 答えろドブネズミ」

「答えるまでもない。違いますか?」

「そっちじゃねぇよ、殺すぞテメェ。わざわざ場所を変えた理由を訊いてんだよ」


 悪態と同時、ルトがニコラス目掛け冷気を放つ。

 無造作に放たれた一撃。いや、攻撃と表現するにはあまりにも雑すぎるソレは、されど魔神の放つ殺意の断片である。

 並の生物ならたちどころに身体の芯の芯まで凍りつき、砕け散る必殺の風。事実として、浜の半分が今の一瞬で凍結していた。


「気軽に殺しにきますねぇ?」

「ほざくなドブネズミ。この程度でテメェを殺せるなら苦労はねぇよ」


──ルトのその言葉の通り、只人ならば確殺の、それこそ軍隊すら全滅するであろう極寒の風を受けてなお、ニコラスは薄気味悪い笑みを浮かべていた。


「それでもですよ。私が主導権を握っていることには変わりない。私があなたの軽卒な行動に怒り、街に矛先を向けたらどうするのです? 場所を変えた意味がなくなる」

「犠牲が出るのははなから承知の上だよ。その上で被害を最小限にするだけだ。舐めんなドブネズミ」


 かつてルトは、リーゼロッテに領主としての覚悟を問うた。何人殺すかを訊ねてみせた。

 ならば、ならばだ。問い掛けた側が、覚悟を済ましていないとでも? ──否。ルトはとっくに済ましている。数多の命を、守るべき者たちを殺す覚悟など、とうの昔に済ませている。


「なるほど。流石は祖国を捨てて帝国に鞍替えした少年大公。見捨てた祖国の民と同じように、下々の命など塵芥に等しいと。いやはや、中々どうして非情なお方だ」

「非情もクソもあるか。その場その場でマシだと思われる選択をしてるだけだわ」


 ニコラスの揺さぶり未満の嫌味を、ルトは鼻で笑って受け流した。

 非情などという評価は今更だ。ルトが大きな決断をする時は、大抵が損得勘定を完了して動いているのだから。

 ランド王国は頭を挿げ替えた方がいいと判断し見限った。部下の命が惜しかったから帝国に身売りした。帝国で不自由なく活動するために大公位を戴いた。

──そしてより多くの民を救うために、必要な数だけ民を殺すのだ。


「で、さっさと質問に答えろよ。背後のやつらの思惑じゃねぇ。テメェ自身の狙いはなんだ?」

「答える必要性は感じませんねぇ」


 拒絶の言葉とともに、緑の神威が煌めく。そして大地から夥しい数の化け物が飛び出し、ルトを殺さんと突撃してきた。

 元となったのは恐らく砂の一粒一粒。その全てが熊を丸呑みできるほどの巨大さを誇る蛇型の怪物、ワームとなってルトに迫る。


「──家畜自慢は終わりか?」


 だが圧倒的な数と質量による攻撃も、只人で構成された軍隊なら一人残らず挽肉となる必殺も、同格の魔神であるルトには通じない。

 次の瞬間には全てが凍結し、粉々に砕け散る。この世の理の外で生み出された怪物たちが、粉雪の如く海風とともに消えていく。


「……ふむ。やはり魔神格が相手となると手強いですねぇ」

「ハッ。マトモにやってねぇ癖に言ってくれる。神威もこもってねぇハリボテで、同じ魔神格をどうこうできるわけがねぇ」


 アクシアとの模擬戦で、ルトは同族との戦い方を学んでいる。

 魔神同士の戦いとは神威のぶつけ合い。凍結、炎熱、強化、生命創造。操る事象は異なれど、行っていることは大差ない。神威を生み出し、己が掌握する事象に転化させ、世界へと叩きつけているだけ。

 神威とは魔神の威、すなわち意思。故にこそ魔神同士の戦いは、つまるところどちらの殺意が強いかの勝負でしかない。


「お前のアレは意趣返しの延長だ。それもまったく本気じゃないな。違うかドブネズミ」

「ふっふっふっ。その通りですよ少年大公。なに、ちょっとしたお遊びですよ。アレを家畜と言ってくれるなら、あなたは随分とお優しい」


 ルトの指摘にニコラスが笑う。そして添えられるのは、先ほどのワームの群れが家畜未満という訂正。

 大した神威を込めず、砂粒から生み出した怪物たち。だがそれは只人基準のものでしかなく、魔神格が相手となれば賑やかしにすらならないもの。

 ルトが悪態のついでに放った冷気と同じだ。違うのは基となった感情だけ。

 ルトの冷気が不快感の発露なら、ニコラスのワームは遊び心の発露である。


「お遊び、冗談というのなら、さっきの返答も冗談ってことでいいんだな? なら答えろよドブネズミ」

「ええ。といっても、個人的な興味なのですがねぇ。先ほど名乗った通り、私はしがない研究者。だから貴重な機会は無駄にしたくないのですよ。──魔神同士の戦いなんて稀なこと、ちゃんとした条件で記録したいではないですか」


 やるのならば全力で。そう語るニコラスは、実に嘘くさい笑みを浮かべており。


「そうか、そうか。そういう理由か」


 返答を聞いたルトも、これまた白々しい笑みで頷き。


「──なら死ね、ドブネズミ」

「あなたが死んでください、少年大公」


──月も隠れる曇天の夜。永久凍土を生み出す吹雪と、悍ましく蠢く魔性の群れが激突した。

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