第81話 第四の魔神格

 執務室に備え付けられていたバルコニー。そこから聞こえてきた、粘つくような悪意。


「──ッ!!」


 振り返るよりも早く、声の聞こえた方角目掛けルトが氷弾を放つ。

 音よりも早く、数はとめどなく。一つ一つが砲弾を凌駕する威力の弾幕が、バルコニーごと粉砕する。


「いきなり容赦がないですねぇ」


──しかし、声は変わらず聞こえてくる。大穴の空いた執務室に、小馬鹿にしたような声が響いた。


「……鳥?」


 突然の事態に理解が追いつかないのか、残っていた誰かがソレを見て呟いた。呆然とした様子で、ただあるがままに目の前の異常な光景に首を傾げた。

 粉砕されたバルコニー。生物ならば血煙となって消滅しているはずの攻撃に晒されながら、平然と佇む一羽の白鳩を。


「ええ。鳥ですとも。今は、ですがね」


 鳩が喋る。嘴をカチカチと動かしながら、理由は不明なれど人の言葉を紡いでいる。

 何故、鳥が人語を解している。何故、鳥の口から人語が紡がれる。──それは誰が見ても分かる理外の光景だ。


「お前が、コソコソ裏で動いていた魔神格か……!!」


 だからこそ、ルトは正しくその正体を看破する。理外の光景を生み出せる者は、理から外れてしまった者のみであるが故に。


「その通り!!」


 白鳩が笑う。比喩ではなく、文字通りの意味で。

 グチャリと鳥の身体は崩れ、肉塊となって膨れ上がる。質量保存の法則に喧嘩を売るような光景のあと、肉塊は人型へと変貌する。


「お初にお目にかかります、皆々様。私、ニコラス・カールトンという名のしがない研究者でございます。さる方々から【尊厳遊び】と呼ばれております故、お好きなようにお呼びくださいませ」


 そして肉塊は人になった。慇懃無礼なお辞儀とともに現れたのは、黒い獣の皮に身を包んだニコラスと名乗る男。

 薄緑の髪を靡かせ、ライムグリーンの瞳を歪める不健康そうな痩身の男。──だが決して見た目では侮れない。

 何故なら男は淡い燐光を身にまとい、常人ならば膝を折りかねないような覇気を放っているのだから。


「いやはや。ある程度は尻尾を掴まれているとは思っていましたが、まさか新たな魔神格というところまで勘づいていたとは。これでは驚かしがいがありませんねぇ」

「……」


 くつくつと魔神ニコラスが喉を鳴らす。愉快そうに、それでいて確かな嘲りを宿して笑う。

 対してルトは無言。眼前の大敵の一挙一動に集中し、次の一手を模索していた。


「──頭を働かせるのは結構ですが、この場で無理に動こうとするのは最悪手だと思いますよ? 少年大公」

「チッ……」


 だが、ニコラスの一言によってそれも中断。イニシアティブは相手側にあると認め、舌打ちとともに口を開いた。


「目的はなんだ、法国の魔神」

「名乗ったはずなんですがねぇ。あと、私は噂の少年大公を見物にきた、しがない研究者ですよ。そんなありがたーい国の名前は知りませんなぁ」

「あくまでシラを切るか……」


 態度はあからさまに、台詞も侮辱的に。だが魔神ニコラスは法国の関与を否定した。

 それが偽りであることは明白。むしろ逆に匂わせているようなもの。だからこそ腹立たしく、そしてこれ以上の追及は無意味であった。

 法国の関与などこの際どうでもいい。考察など後回し。今この場で重要なのは、いかにして最小限の被害でこの場を切り抜けることのみ。


「そうか。ではニコラス・カールトン。観光は済んだか? ならさっさと帰ってくれ。ここは関係者以外の人間は立ち入り禁止でな」

「おっと失敬。ですが『人間』ということは、そうでなければいて構わないということですね?」


 そして再びニコラスの姿が崩れる。一瞬にして人型から蠢く肉塊に。さらにサイズは縮み、ドブネズミの姿となって再誕する。

 白鳩から人間に。人間からドブネズミに。そこに一貫性もなにもなく、ただ滅茶苦茶な現実のみが存在していた。


「……それがお前の力か」

「ええ。ついでに言うと、こんなこともできます」

「っ……!!」


 言葉と同時、ルトの視界の端で神威が煌めく。その色は緑。ルトが操る青ではない。──故にそれは攻撃であった。


「ガッ、ひゅっ……?」

「テメェ……!?」


 狙われたのは、ニコラスに最も近い位置にいた文官。距離の問題があったために、ルトによる凍結の防御が間に合わず……死んだ。

 文官の足元。立っていた床が緑の神威に触れた途端、巨大な怪物の顎へと変貌し、文官の胸から下を食い千切ったのだ。


「クソがッ……!!」


 遅れて届いた青の波が巨大な顎を凍結させるが、すでに半身を喰われた文官の前では意味をなさない。

 ルトの悪態だけが虚しく響く。


「ひっ……!!」

「っ……!?」


 そして初めて死者が出たことで、ついに恐怖が現実へと追いついた。

 誰もが目の前で起きた異常な光景に、凄惨な殺人現場に恐怖した。その圧倒的な狂気を前に、悲鳴すらもあげられない。

──だがそれだけだ。命の危険に直面しているはずなのに、誰も逃げることができなかった。いや、一歩も足を動かすことができなかった。

 圧倒的な魔神の威に押し潰され、ルトを除く全員が身動きを取れなくなっていた。逃げろという意思に反し、身体が石像のように硬直していた。

 地獄のような戦場を潜り抜けたハインリヒも。帝国軍人として鍛えられたアズールも。天龍帝フリードリヒを筆頭に、偉大なるお歴々と交流が深かったリーゼロッテも。

 なにもできない。かつてルトが帝国軍に向けたそれよりも、遥かに濃密で明確な殺意の波動。只人では抗うこともできない魔神の害意。


「面白いでしょう? あなたが凍結の概念を操るように、私も『命』の概念を掌握しているのですよ。あらゆる生物、それこそ現実に存在しない怪物だって生み出せる。生物、無生物を問わず、私の思うがままに再誕させ操ることができるのです!!」


 魔神ニコラスが高らかに告げる。その内容はデタラメ極まりないものだ。『命』という絶対不可侵な領域を踏みにじり、自由自在に玩弄する悪辣なる神の御業。


「愉快そうにしやがって! よくも俺の目の前でふざけたことをしてくれたな……!!」

「おや。ならば怒りに任せて、この場でやり合いますか? 物言わぬ肉塊が増えても構わないのなら、是非ともお付き合いをさせていただきますが」

「っ……!!」


 ニコラスの言葉に、ルトは血を吐くような表情で歯を軋ませた。不変の肉体でなければ、奥歯が砕け散っていたほどに強さであった。

 死体が増えるだけ。その言葉は正論だ。魔神同士がぶつかれば、至近距離にいる者が助かることは決してない。

 いかにルトが守ろうと努力しても、それだけはまず間違いなく不可能だ。街が消し飛ぶような戦闘が間近で発生して耐えられるほど、只人は丈夫ではないのだから。


「……すぅぅ……」


──だがそれでも。だがそれでも、やらなければならないことはある。詰んでいるというのなら、犠牲を呑み込んで動くことこそが護国の神たる者の義務。


「……死体は増えるんだろうよ。だが被害は最小限に抑える」

「ほう? できるとでも?」

「やるんだよ。そういう誓いなんだ」


 被害は出る。その上で全てを守る。そう努力してくれというのが、リーゼロッテと交わした誓い。

 一度交わした誓いは違えない。少なくとも、そうなるよう努力する。……それが婚約者との最後の誓いとなれば尚更だ。全力で遂行しにいくのが大公として、いや男としての義務である。


「それでも出てしまった犠牲には、お前の命をもって弔いとする。命の徒花の散り際には、お前の首を添えてやる……!!」

「っ、はっはっはっ!! これはこれは! 実に見事な宣戦布告。……ならばこちらも、その覚悟に応えなければ無作法というもの」


 氷神、炎神、使徒に続く第四の魔神。【生命神】と呼ぶべき新たな現人神は告げる。


「──場所を変えましょう。私たちが戦うには、ここはいささか狭すぎる。あなたにとっても、悪い提案ではないでしょう?」


──命を弄ぶ邪悪な魔神は、全てを等しく踏み躙る。






ーーー

あとがき

分かる人は分かる能力説明。

常時発動、生物・無生物問わず、範囲が国家規模の三拍子揃った、閉じない【自閉円頓裹】。

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