第80話 急転
リーゼロッテが領主としての覚悟を示し、ルトが国家の守護神として誓いを立てた夜から、五日の時が経った。
──その間、ガスコイン領は不気味なほどに平穏だった。
「──武官からの報告は以上となります」
戦時体制を宣言して以降、毎日行われるようになった会議。夜の帳が降りる時間に、一日の報告を受けるための場。
参加しているのは、屋敷の中でも地位のある者たち。主であるリーゼロッテとルト、それぞれが率いる者たちの中で、責任者とされている者たちだ。
また、レオン基地からも連絡役として一人、軍人が派遣されている。表向きは捉えた諜報員たちの調査報告として、レオン基地とも密に連絡を取り合っている。
「……やはり今日も動きはなしか」
「そのようですね……」
文官、武官、使用人、レオン基地。各報告を整理し終えたルトとリーゼロッテが、疲れたような呟きを漏らす。
この地を、民を守ることに全力を尽くす。そう誓ったはいいが、状況は依然として悪い。どれだけマシな形で『負けるか』という重圧は、着実に二人の、いやこの場にいる全員の精神を削っていた。
確かにサンデリカは、ガスコイン領は平穏だ。トラブルらしいトラブルは見受けられず、これまでの日常と変わらないと言ってもいい。
だがそれは裏に潜む悪意を知らなければの話。この場にいる全員が、この平穏が仮初のものであることを理解している。
故に気が休まらない。いっそ次の瞬間にことが起こってくれと、願った者も少なからず存在しているほどに。
いつ崩れるかも分からぬ砂上での生活は、それだけ負担が大きいのである。
「まったくもって読めねぇな。なんでこうも動かねぇんだ……」
ガリガリと頭を掻きながら、予想外だとルトは吐き捨てる。
先日行われた大捕物は、間違いなく相手側の予定を狂わせるに足る一手だったはず。にも拘わらず、何も起きない。相手が上手で、尻尾をルトたちに掴ませないのではない。本当に何も起きていないのだ。
確かに公爵家も、レオン基地も、堂々と動いてはない。相手に気取られないことを前提に、平時を装って行動している。そのため、通常よりも情報収集能力が落ちていることは否定しない。
だがそれにしてもだ。ここまで静かなのはありえない。異変の『い』の字すら感じさせないレベルの変化のなさは、相手が一切動いていないと仮定しなければ説明がつかない。
「まさか大捕物で撤退を決めたか……?」
「ありえないでしょう。帝国に比肩するかの国が、そんな甘い判断をするとは思えませぬ。ましてや魔神格を投入しているとなれば、です」
「分かっているハインリヒ。ただ夢の話をしただけだ」
そう、ありえない。すでにこの地は詰んでいる。詰みにまでもっていったゲームを、わざわざ勝者側が投げ捨てるわけがない。
「──そもそも使徒が動いている以上、何も起きないなんてことはありえない」
なにより明確な理由があるのだ。それは先日、皇帝フリードリヒの名が刻まれた手紙によってもたらされた一報。
ガスコイン領の現状を記した緊急の報告書、その返答として送られてきた同様の緊急書類に。
「使徒スターク、特使としてクラム王国に入国なんてな。やってくれたぞまったく……!」
クラム王国は、帝国と法国、それぞれが率いる勢力の境界に存在する法国側の国家である。
もし帝国と法国が衝突した際、最前線となるであろう国の一つ。故にその国に魔神格が足を運ぶ意味は大きい。国境沿いでの軍事演習に近い示威行為である。
法国側の勢力に潜入している諜報員、及びクラム王国で活動している外交官からもたされたという情報に、受け取ったルトも思わず書類を握り潰したほどだ。
「帝国に圧力を掛けるために、こちらの属国と隣接する国々に使徒が足を運ぶことはままありましたが……。流石にこの時期のこれは、作為的なものを感じずにはいられませんわね」
「ああ。外交戦としては無難な一手だろうが、それは平時ならばだ。今の状況では一気に意味が変わる」
平時ならば、使徒の移動もそこまで気にすることではない。ある意味で外交における恒例行事であれ、帝国とて似たようなことはやっている。
だが事実上の戦時である今ならば。状況次第では大陸を割る大戦に雪崩込むかもしれない今ならば。使徒が最前線に足を運んだとなれば、帝国も相応の手を打つ必要がある。
帝国が保有する、使徒と同格の超戦力。アクシアを同様に動かせなばならない。少なくとも、戦力として控えさせておかなければ。
「これでアクシア殿の助力は完全になくなった。法国側のアレコレに完全に釘付けだ。元から大して期待はしてないとはいえ、可能性の有無はデカい」
「ええ。……しかし、完全になりふり構わなくなりましたわね。この地に対する工作活動に加え、こんなあからさまな一手を打ってくるとは。向こうは開戦を望んでいるのでしょうか?」
「さあな。真っ向から殴り合う可能性は高いが……。まだ証拠がないとしらばっくれる可能性もゼロじゃねぇ。破壊工作で国内の混乱を引き起こし、それを名分に内政干渉する腹かもしれん」
「……そんな暴論、通るわけがございません」
「ああ。だが白を黒に変えるのもまた外交だ。卓上で真面目くさった顔で議論しながら、机の下では無様な足の踏み合いが起きるだろうよ。挑戦して実現すれば申し分なく、実現しなくとも相手が激怒して戦争をしかけてくればよしってな。大義名分は言い出しっぺより、受ける側の方が上等なものができあがる」
大義名分とは、第三国の干渉を防ぐものであると同時に、味方の士気を高めるためのものである。
そして人間というものは、他者を攻撃するよりも、自分を含めた仲間を守る方が熱を上げやすい。誰かを攻撃することは時に悪となりえるが、自分たちを守ることは明確な正義であるからだ。
人は正義を掲げる時、どこまでもタガを外すことができる。何故ならそれが『正しい』ことなのだから。
「まあ、きっかけの台詞ではねぇが、これも頃合いだったってことなんだろうよ。帝国と法国はいつか必ずぶつかる。それが今だったってだけだ」
「きっかけなどと仰らないでくださいな。敵に新たな魔神がいると発覚した今、我々としては旦那様の存在がどれほどありがたいものか。魔神格の数で差をつけられていては、どう足掻いても勝ち目はございませんもの」
圧倒的な戦力差。強さの問題ではなく、もっとどうしようもない数の問題で、帝国は負けていたとリーゼロッテは語る。それがルトが帝国にいないIFの物語。
アクシアがいかに百戦錬磨であろうとも、一人である以上はできることも一つだけ。片方の魔神がアクシアを引き付け、もう片方が別の場所で暴れれば、それだけで勝負が決してしまう。
それこそ今回の例でいえば、アクシアがスタークに釘付けになっている状況で、ガスコイン領は為す術なく崩壊していたことだろう。
数の差というのは、時に単純な戦闘能力の差よりも悲惨な結果を巻き起こすのだ。
「……そういう意味では、わざわざ何故この地を選んだのか不思議です。旦那様がいない他の領地を選んでいれば、もっと甚大な事態を引き起こせたかもしれませんのに」
「それについては同感だが、もう考えるだけ無駄だろうよ。この五日間の動きのなさといい、相手はこっちの埒外の考えで動いている可能性が高い。完全に投げ捨てるのは論外だが、変に固執しても足元を掬われるだけだ」
狙いの分析は確かに重要だが、それは極論言ってしまえば今やるべきことではない。優先順位は変わらない。最小限の被害で終わらせることと、そのために備え続けることだ。
「──よし、今日はこれまでとする。今後も警戒体制は維持するように。状況は一瞬で変わる。決して気を抜くな」
「「「はっ!」」」
ルトが解散の指示を出すと、全員がテキパキとした動作で動き始める。
報告書をまとめる、最後にもう一度軽く書類に目を通すなど、解散を告げられてなお全員が気を弛めることがない。
それもそうだ。今自分たちが立っているのが砂上の楼閣であるということは、この場にいる全員が嫌というほどに理解しているのだから。
良くも悪くもルトが念押しするまでもなく、誰一人として気を抜くようなことはしない。いやできない。
「……はぁ。注意喚起しといてアレだが、これじゃあ近いうちにどこかから崩れるぞ。あれだけ張り詰めてちゃ、休息とてマトモに意味をなさないだろうに……」
「それを言うなら旦那様もでは? 報告が上がっておりますよ。あの日以降、一睡もせずに警戒していると」
「俺はまた別枠だ。魔神格は生物の軛から外れた存在だ。睡眠や食事も本質的には不要、趣味嗜好の類いでしかない。ならこの状況で眠ってなんかいられるかよ」
「言いたいことは分かりますが……」
ルトの言い分に、リーゼロッテは困ったような表情を浮かべる。
敵の魔神に唯一対抗できる戦力が、個人の趣味嗜好で警戒を怠るなどあってはならない。まったくもって正論だ。
活動する上で睡眠が必須の只人ならばともかく、魔神であるルトにとって睡眠は必須ではない。寝ようとすれば自由に眠れるが、寝ようとしなければ永遠に眠らずすごすことも可能。その程度の行為でしかないのだから。
ならば眠るという選択肢など取れるものか。睡眠を取るということは、意識を手放すことと同義。それすなわち、有事の際には後手に回ることを意味する。
そして後手に回ってしまえば、状況は致命的なことになるだろう。大勢の人間の生死を分けるかもしれないとなれば、尚更そんな選択肢など取れるはずもない。
「俺のことは気にするな。普段惰眠を貪り倒しているんだ。ならこういう時ぐらいは寝ずの番ぐらいはするとも。それよりもキミの方こそしっかり寝るべきだ。頭であるキミが寝不足で倒れられたら、それこそ大変なことになる」
「普段のんびりしている姿を知っているからこそ、こういう時に身を削られているようで良心が咎めるということなのですが……」
「なに。ことが終わればまたぐうたら眠り続けるとも。だから気にするな」
なんとも言えぬ表情を浮かべるリーゼロッテに、ルトは肩を竦めながらも笑ってみせる。
そんなことより休みなさいと、執務室の出入口を指し示すことで主張する。ぞろぞろと退室し始めている者たちとともに、さっさと自室に戻りなさいと言外に告げる。
繰り返し述べるが、状況は敵の意識一つで一瞬で切り替わるのだ。だからこそ、常に万全の状態を維持しなければならない。
「──そうですか、どうやら悪いことをしてしまったようですねぇ。では、偉大な氷の魔神様が、ゆっくり休息できるようにしなければなりませんねぇ」
──でなければ、いざことが起こった際に、取り返しのつかない事態になるのだから。
ーーーー
あとがき
ちょっとした宣伝をさせていただきます。
書籍化となった今作に続く、二の矢を確保したいと思い、お仕事コン用の新作を新たに投稿しました。
『キノコ狩りのフェアリーリング〜マジックなマッシュルームをお求めですか?』
異世界を舞台に、現地生まれの少女を主人公とした異世界ファンタジーです。全体的には日常コメディもので、恋愛要素を混ざった作品にする予定でさので、是非とも読んでほしいなと。
ということで、よろしくお願いいたします。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます