第79話 不器用な意地と、静かな誓い

「──私は、この領地を愛しております」


 憂いを帯びた表情を浮かべながら、滔々とリーゼロッテは語り始める。

 その心の内に秘めた想い。貴き姫として育てられたがために、迂遠な前置きを挟まなければ、真意をぼかす手順を踏まければ、決して語ることのできなかった心の澱。


「まだ拝領して間もない身でありますが、この地を愛しておるのです」


──不器用な娘だと、ルトは内心でリーゼロッテを評した。政務も、社交も、全てを高水準でそつなくこなしていたが、自らの弱みを晒すことだけはここまで苦手としていたとは。

 これが帝王学の弊害なのだろう。権謀術数が渦巻く政の世界では、ほんの些細な失態が破滅に繋がってしまうから。誰にも弱みを見せないようにと、リーゼロッテは徹底的に教育されてきたのだろう。

 なんと嫌な世界であろうか。か弱く幼い少女ですら、弱音を吐き出すことがこうにも難しい。そういうものだと言ってしまえばそれまでだが、やはり思うところはある。

 隔絶した力の持ち主であり、何者にも真に縛られることのないルトからすれば、リーゼロッテの在り方は窮屈に思えて仕方がない。それが一方的な同情であることは承知の上で、ルトは目の前の少女を『不器用』だと哀れんでいた。


「……そうか。意外と言えば失礼かもしれないが、キミがそこまで言い切るとは思っていなかったよ」


 だからこそ、ルトはその内心をおくびに出さずに話を合わせる。匂わせるようなこともしない。ただ紡がれる言葉のみを受け止めていく。

──『いい男』というものは、素直に女の言葉に騙されるものなのだから。


「領主である以上、領地を重要視するのは分かる。なにせ飯の種であると同時に、お家の力に直結する重要な資産だからな。……だがキミの口ぶりからするに、そういう損得の話ではないのだろう?」

「ええ。もちろん論理的な意味でも同様ですが、これはもっと幼稚な情の話でございます」

「ふむ……」


 幼稚。自らの抱く情を語ることは、やはりリーゼロッテの中ではよろしい行為ではないようだ。

 優れた為政者は情を利用することはあっても、情で判断を変えることはない。そういった価値観が根底にあるからだろう。

 とはいえ、これが本心からの言葉かどうかは不明である。ただの自虐か、それとも強がりの一種か。意図が定かではない故に、ルトは慎重に言葉を選んでいく。


「そうだな。これはキミの婚約者としての意見だが……。キミは少し大人びすぎていると思う。一度ぐらい年相応、または幼い部分を見てみたくもある、と言っておこうか」

「ふふ。そう言われてみれば、旦那様には可愛げのないところばかり見せていたかもしれませんわね。そういう意味では、これもいい機会だったのでしょう」


 リーゼロッテが笑う。婚約者の立場を利用した迂遠な言い回しは、後押しの一つとしてちゃんと機能したらしい。


「何時だったか、旦那様は私にこう訊ねましたよね? 領主の立場は嫌ではないのかと」

「……ああ。そういえば訊いた気がするな。細かい部分は憶えていないが、そんな内容だった気がする」


 何処かのタイミングで、確かに似たようなニュアンスの質問をリーゼロッテにした記憶がある。

 確かその時は、リーゼロッテは『むしろ楽しみ』だと返していたはずだ。アクシアという前例があるから、帝国では地位ある女性の活躍が他国よりも進んでいると、そんな情報を添えて。


「あの時の答えは、私の本心でございましたの。なにせ私は、この国の柱の一つとなるために育てられた身。そして身につけた知恵は、試してみたくなるのが人の性でございます。故にこそ、磨いてきた全てを振るえる領主の地位はとても魅力的でした。……それこそ、ただの貴族の妻という立場よりもずっと」

「……なるほど」


 本来ならば、リーゼロッテは帝国に利となる男の『妻』として一生を終えるはずだった。

 ここで指す『妻』とは、純粋な伴侶のことではない。家を守る貴族の妻である。

 その役目は子を孕み、育てるだけではない。社交の場に出て、男が立ち入れぬ独自の人脈を築く。使用人、時には第二夫人や妾を管理し、家を維持する。夫が留守、または手が離せない状況では、名代として政務を処理することもある。

 立派な役目だ。それでいて重要だ。……だが、貴族の妻が本分は家の維持なのだ。いくら優秀な能力が、それこそ国政に携わる能力があろうとも、優先順位は決まっている。

 地位ある者の『妻』とはそういうものであるし、リーゼロッテもそれを疑問に思っていなかった。叩き込まれた帝王学の数々は、未来の夫を支えるために活かされるだろうと考えていた。

 だが現実は違った。リーゼロッテの夫となるルトは、魔神格の力でもって帝国に利を与えた代わりに、軍事以外の全ての政務を放棄した。

 ──そしてルトが負うはずだった貴族の、当主としての責務の大半を、リーゼロッテが肩代わりすることになった。


「私はずっと、密かに夢を抱いておりました。私の全てを注ぎ込み、帝国に利をもたらすこと。ただの妻では実現できないような、大きな成果を上げることが」


 人は仕事を、それも本来ならば背負うはずのなかった仕事を振られた場合、大半の者は不快な感情を抱く。

 だが稀に、嬉々としてその仕事に打ち込むものがいる。当人が生来のワーカホリックであったり、その仕事に関わりたいと常々願っていたりと理由は様々。だが、そういう人間は確かにいるのだ。

 そしてリーゼロッテは後者であった。為政者として辣腕を振るう。そんな叶うはずのない夢を内心で抱いていた。


「道理で……。随分と熱心に政務に取り組んでいるなとは思っていたが、そういうことか」

「ええ。政務がお嫌いな旦那様には、あまり理解はできないかもしれませんが……。正直、夢のようでした。楽しくて楽しくて仕方がありませんでした」


 花のような笑みを浮かべて、リーゼロッテは語っていく。


「文官から上げられてくる書類に目を通し、書類の不備や成否を考えている時は胸が踊ります。手元の情報を分析しながら、政策の素案を考えている時間は心地よいものでした。書類に捺印し、私の命で正式に事業などが動き始める瞬間はとても……とても素敵でした」

「……そうか」


 言葉の端々に籠る熱が、嘘偽りのない本心であることを証明していた。

 怠惰を標榜するルトには理解できない感覚だが、それでも納得することはできる。

 本来ならば叶うことのなかった夢。それが望外の幸運によって叶ったのが現在いまなのだ。あるはずがない奇跡の時間だからこそ、どこまでも胸を踊らすことができたのだ。


「──だからこそ、私はとても悲しいのです」


──だが、その奇跡の時間はもう直ぐ終わる。強大な力を宿す魔神によって、幼い少女の夢は無惨に踏み躙られることになる。


「……恥も外聞も、全てを捨て去ることができたのならば。赤子のように、無様に泣き叫んでいたかもしれません」

「……」

「……だって、あんまりではないですか。こんなの、ぬか喜びもいいところです……」

「……ああ。そうだな」


 ポツリと呟かれた言葉。それをルトは短く肯定する。

 それはそうだろう。渇望していたからこそ、叶った時の喜びは大きい。そして喜びが大きいほど、零れ落ちた際の絶望はより大きいのだ。


「……まだまだやりたいことはあったんです。考えていた方針も、温めていた政策も……沢山あったんです。……もっともっと……サンデリカを、ガスコイン領を……発展、させたかった……!!」


 堰を切ったように、いや事実そうなのだろう。心に溜まった澱が、とめどなく小さな口から溢れてくる。

 言葉は途切れ、瞳の端にはきらりと光るものが。そこに普段の余裕はない。淑女らしからぬ、ただ年相応の少女が肩を震わせていた。


「……っ、ですが……!!」


──だがそれでも、リーゼロッテはリーゼロッテであった。どんなに絶望しようとも、彼女は帝国の柱たれと育てられた、強き娘なのだ。


「私は、領主です。例え短くとも、まだ何も成していなくとも……! 私は、領主なのです……!!」


 大声ではないにも関わらず、その言葉はとても強いものだった。『血を吐くような』と、そんな修飾語が思い浮かんでしまうぐらいには、悲しみに満ちたものだった。

 それでも少女は言葉を紡ぐ。全ての不条理を飲み込み、この地を治める者として決断する。


「領主が街を、自らの所領を守ろうとしなくてどうするのですか……! 管理者として、私はこの地を守る義務があるのです!!」


 言葉は徐々に明瞭となり、瞳に浮かぶ雫はか細く白い指によって力強く拭われた。

 そしてリーゼロッテは、ルトの真っ直ぐと見据えて宣言した。全てを振り払うかのように、躊躇いなく言い切った。


「旦那様は仰いました。何人殺すと。ええ、そうなのでしょう。私の決定で多くの民が死にます。多くの財も喪われます。それは否定致しません。躊躇うこともありません。──ですが、全てを承知した上で言い換えさせていただきます」

「……聞こう」

「犠牲は最小限に抑え、多くを救ってください。半数と言わず、全てを救うつもりで臨んでください。それが私の、領主としての願いです」

「……」


 無茶振り、いや荒唐無稽な妄言の類いだ。単騎で国を滅ぼす魔神を相手に、犠牲ゼロを目指せなどと。

 普通ならマトモに取り合わない。鼻で笑って話は終了となるだろう。──だがリーゼロッテが、優秀という言葉では生ぬるい才媛である彼女が、そんなことを理解していないはずがない。全てを分かった上でこの言葉を告げているのだ。

 これは意義の話だ。名誉、誇り、誓いなどの観念的な話だ。分かりやすい利などない。形ある成果など想定していない。身も蓋もない言葉で片付けてしまえばただの『気分』だ。

 だが代わりにどこまで重い。形もなく、数字に現れることもないが故に、一度重きを置いたのならばそこには際限はない。それを決めるのは、他人ではなく己である。


「旦那様。私は未熟な領主です。人並み以上の才があると自負しておりましたが、結果はこの通りでございます」

「……仕方のないことだ、と言ってもキミは納得しないんだろうな」

「ええ。敵性の魔神格に暗躍されるのは、確かにとてつもない不運でしょう。ですが、この世は結果が全て。現実では、実を結ばぬ努力にはなんの価値もないのです」


 運も実力の内と、リーゼロッテは言い切った。結果が出てない以上、全ては無意味な言い訳だと切って捨てた。


「これはなにも成し遂げられなかった領主ができる、唯一残された仕事なのです。そして素直に本心を晒し、助けを請うこともできない不出来な女の意地でございます」


 そしてリーゼロッテは告げる。領主として、婚約者としてルトに頼る。


「ガスコイン領領主、リーゼロッテがコイン大公に要請します。──無力な領主に代わり、この地をお守りください。被害は最小限に。犠牲は一人でも少なくなるよう、ご尽力くださいませ」

「──承った。被害ゼロを確約することはできないが、できる限りの力を尽くすことを誓おう」


──ルトもまた、大公位を戴く魔神として、婚約者として少女の要請に応じたのだった。





ーーーー

あとがき

文字数の関係で長くなった。でも前回と合わせるとくどいやん?

……と、そんな言い訳はさておき。賛否両論あったために控えていたあとがきですが、流石に今回ばかりは許してつかぁさい。

という訳で本作、【怠惰の王子は祖国を捨てる】は書籍化します。これもひとえに、読者の皆様がいてこそでございます。……感謝の言葉はとめどなく溢れてくるのですが、くどくなってもアレなので端的にさせていただきます。


本当にありがとうございました。


なお、書籍化の詳細につきましては、許可が降り次第おって連絡させていただきます。とりあえず、いろいろと作業させていただいているとだけ。


それでは、改めてありがとうございました。今後ともお読みいただけると幸いでございます。



……本でたら買ってね。いやもう冗談抜きでお願いします。

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