第75話 氷の魔神が灯す炎

「帝国と法国。この二国が争うのは必然なわけだ。向こうの言い分に付き合わされる立場からすれば、そりゃあ堪ったもんじゃねぇんだが……。国家ってものは難儀なもんで、舐められたら殴り返さなければならない」


 カツ、カツと。ルトがおもむろに広間の中心に向かって歩きはじめた。

 一歩、一歩。そのたびに生まれる氷塊。それらを踏みしめ、ルトは高みに登っていく。


「……さて、講義はこれで一段落としよう。そして皆も集まったようだし、そろそろ本題に入ろうじゃないか。──ああ、高いところにいるのは気にするな。演説のために見栄えを重視しただけだ」


 振り向き、見下ろす。リーゼロッテを筆頭にした、広間に集まった者たちを。文官に武官、使用人の責任者など、ガスコイン公爵家に仕え、ガスコイン公爵領を動かす者たちを。

 彼らは皆、公爵家に仕えるに相応しい能力と、身分を持つ者たちである。ルトの部下たち、そして発明家である姉弟は少々事情が異なるが、それでも公爵領を運営するために必要な人材であることには変わりない。

──だからこそ、彼らは真剣な表情でルトのことを見つめていた。おどけた台詞に惑わされることなく、ルトがわざわざ『演説』を選んだ意味を正しく理解していた。


「まずは感謝を。それぞれの仕事を中断してまで、こうして集まってもらったわけだからな。ただ安心してほしい。そして嘆いてほしい。これから伝える内容は、諸君らを引き摺ってでも集めるに値する、クソのような内容だ」


 その言葉に、誰もが息を呑む。特にハインリヒを筆頭としたルトの部下たちは、今のルトがまとう雰囲気に覚えがあった。

 凶弾の雨が大地に降り注ぎ、溢れ落ちる臓物と血潮で大地が染まる。絶叫と爆発音が常に鳴り響き、かつての同胞という名の肉袋が無数に転がる地獄絵図。

 今のルトは、あの戦場に立っていた時とそっくりなのだ。魔神格の魔法使いとして侵攻軍と対峙したあの時ではなく、只人として振る舞い血と泥に塗れていた時の雰囲気とそっくりなのだ。

 この世の理不尽に舌打ちし、死にゆく者たちに嘆息し、最終的に全てを飲み込んでいたその姿に。それを言葉に例えるのならば『覚悟を決め、そして覚悟を問う者』の姿である。


「本来ならば、最重要機密として秘匿するべき内容だ。故に他言することは禁ずる。諸君らに今こうして伝えているのは、想定される被害規模があまりにも大きく、有事に備えるために情報を共有せざる得ないからだ」


 そこで一旦、ルトは言葉を切った。そして広間にいる全員の顔を見回してから、その言葉を口にした。


「──結論から言おう。現在、このサンデリカにおいて巨大な陰謀が進行している。その影にいるのは法国であり、彼の国が擁していたと思われるだ。最悪の場合、このガスコイン領の何処かに敵対する魔神格の魔法使いが潜んでいる」


 一瞬の静寂。そしてわずかなに間をおいて広間に訪れる、悲鳴と驚愕が混ざりあった大混乱。


「っ、そんな馬鹿な!?」

「ありえない!! 新たな魔神格が存在していただと!?」

「不味いなんてどころの話ではありません! こんなの下手をすればガスコイン領、いや帝国そのものが滅びかねない!!」


 誰もが顔を蒼白に変えていた。リーゼロッテも、ハインリヒも、アズールも。文官も武官も、使用人たちも等しく狼狽えている。

 優秀なはずの者たちが、無様なまでに右往左往するその光景。これこそご只人では決して抗うことのできない魔神の威。それが敵意として向けられた時、只人がどれだけ無力なのかということを、まざまざと見せつけてくれている。


「落ち着け諸君」


 だが忘れてはならない。魔神格はこの場にもいるのだ。高みから降り注いだルトの一言は、物の見事に騒ぎを抑え込んでみせる。大声というほどのものではないにも関わらず、広間に集まった全ての者たちの耳に届いたのだ。


「狼狽えたくなるのも分かる。信じられないのも分かる。だが今は聞け。静かに傾聴しろ。これは大公として、魔神としての命令だ」


 氷の舞台の上で、大仰にルトが宣言する。それだけで広間の空気が変わる。パニックにまで発展しかねなかったざわめきは、たったそれだけで沈静化した。

 演説とはパフォーマンスである。偉そうな態度も、もったいぶった言い回しも、全ては場の空気を掌握ためにある。聴衆の感情を誘導し、士気を高めるためにある。


「説明を再開する。ことが発覚したのはライン基地。知っている者も多いだろうが、先の捕物で捉えた法国の諜報員たちの尋問に立ち会うために、俺もあそこに足を運んでいてな。その尋問中にソレは起こった」

「……ソレとはなんでしょう? 旦那様」

「諜報員の腹を食い破って、未知の化物が飛び出してきたんだよ。他の奴の腹をかっ捌いて確認したら、特定の言葉で腸が化物に変容しやがったのさ」


 伝えられた内容。そのあまりの悍ましさに誰もが絶句する。それと同時に納得する。何故、ルトが新たな魔神格という荒唐無稽な結論に至ったのかを。


「無生物を生物に変える。それは人の身では叶わぬ理外の御業だ。そんなデタラメを可能とするのは魔神格の魔法使いだけであり、それでいて表舞台に立っている全ての魔神に当てはまらない力だ」


 魔神格の力は万能である。だが全能ではない。その御業の全ては根幹となる力の延長線上にあるために、どうやっても実現不可能な事象も存在する。

 そして命の創造は、三柱の魔神格では扱うことのできぬ領域の力である。ならば否応なしに一つの結論に辿りつくのだ。新たな魔神が現れたという結論に。


「現在、レオン基地は第一種厳戒態勢を取っている。関係各所にも通達済みだ。以降、我々もこれに倣うことになる」


 帝国軍が動いている。その事実は更なる裏付けとなり、全員の心に重くのしかかる。


「非常に残念ながら、こちらにできることは少ない。既に後手に回っているだけでなく、相手は何をしでかすか分からないデタラメだからだ。完璧な対策などまず不可能と思え」

「旦那様。ハイゼンベルグ夫人の手は借りれませんか?」

「ランドバルド大佐曰く、まず不可能だそうだ。法国の仕掛けである以上、こちらの動き次第では使徒スタークが出てくる可能性がある。アクシア殿はその備えとなるだろうと」

「左様ですか……」

「最善手は使えない。対策も難しい。だがそれでも、我々にはやらなければならないことがある」


 そう前置きした上で、ルトは一つ一つ指を立て、これから行うべきことを告げていく。


「まずこの情報を外部に流さないこと。先程も言ったが他言無用だ。レオン基地ですら、厳戒態勢は秘密裏に行われているほどだからな」

「閣下。認識の共有のためにお訊ねします。それは何故ですか?」

「ありがたい質問だハインリヒ。単純に領内の混乱を避ける以上に、魔神格が潜伏していた場合を想定している。いきなり俺と相手の最終決戦が始まるなんて、お前たちもゴメンだろう?」

「違いありませんな」


 魔神格同士が激突した場合、サンデリカどころかガスコイン領そのものが消し飛びかねない。それを避けるためにも、情報封鎖は必ず実現し維持させなければならない。


「外部に勘づかれないよう、我々は通常通りを演じることになる。その上で情報収集を行う。これはこの場にいる全員でだ」

「全員、ですか?」

「ああ。相手の力が分からない以上、あらゆる視点から異変を探る必要がある。というか、探さないとまずい。なんとしてでも相手の足取りを掴まなければ、その時点で最悪詰む」


 敵は意思の一つで街を滅ぼすことが可能な魔神格。ルトという対抗戦力がいるにせよ、後手に回った時点で圧倒的なまでに不利。

 それを少しでも避けるためにも、情報収集もまた絶対に行われければならない。


「帝国軍も密かに動いているが、人手は多いに越したことはない。武官たちは先の捕物を名分に、街全体の見回りを。文官たちは街から上がってくる資料で、妙な点があれば即報告。どんな些細なことでも構わん。使用人たちは日常の中での違和感を探せ」


 それぞれの立場に合わせた指示が下される。この場に役目のない者はいない。この非常時において、皆が一丸となって事態に当たらなければ先はない。


「また外に出る際は必ず複数人でかつ、緊急連絡要員として砲弾の魔術を使える者を一人つけるように。これは見回りをする武官たちにも当てはまる。その辺りを折り込んで人員を配置しろ」


 それと同時に危機管理に対する指示も忘れない。命あっての物種というのはもちろんだが、身の安全を疎かにして報告できなければ本末転倒だからだ。


「そしてなにより重要なのは、もし外で異変や違和感を察知しても決して探ろうとしないこと。気付いた時点でそれとなく引き返して報告。お前たちは専門家ではない。武官以外は完全な素人だ。情報封鎖が大前提である以上、無駄な危険を犯す必要はない」


 安全マージンは最大限に設定する。そして役割は明確に。公爵家の面々がやるべきはあくまで情報収集。そこから先の裏付けや分析は専門家の、帝国軍の役割である。


「以上が現状の方針だ。具体的な部分は各自、責任者たちと協議して詰めるように。また今後も更に指示を追加する可能性もある。その辺はリーゼロッテ、及びライン基地の面々との協議で決めるので、適宜柔軟に対応してくれ」

「「「はっ!!」」」


 広間に響く返答に、ルトも満足そうな表情で頷いた。ひとまずこれで実務面での話は終了。


「そして最後! ある意味でもっとも重要な内容であり、諸君らも胸に刻め!!」


 ルトが表情を引き締める。声を張り上げ、広間の全員にその言葉を叩きつける。


「これよりガスコイン領は事実上の戦時体制となる! 正体不明の魔神格という脅威は、戦争に値する非常事態である!! 武官だけではない、諸君ら全員が当事者だ!! ──だからこそ問おう。死ぬ覚悟はできているな!?」


 叫ぶ。今までは現実を伝えてきた。非常に険しい事実を伝えてきた。……だがここから先は違う。言葉によって熱を注ぎ、空気によって聴衆を酔わせていく。

 演説とはパフォーマンスである。場の空気を掌握し、心を束ね、士気を高めて先導する。非常時に必要なのは熱狂であり、狂気の夢を見せる者なのだから。


「この地はすでに安全ではない! 誰もが死の瀬戸際にいる隠された戦場だ! 我々は死の淵で足掻く一兵卒と大差なく、全員が棺桶に片足を突っ込んでいるのを自覚しろ! その上で棺桶の底を蹴破って進め!! 戦場ではそれができるものだけが生き残る!!」


 魔神の威によって、公爵家に仕えるに値する能力の持ち主たちは恐慌した。直接対峙したわけでもなく、ただ敵意の影がチラついただけでそうなった。

 ではそれが味方ならば? 後ろに控え、いつでもその力を振るえるよう待ち構えているならば?


「もちろん不安に思う者もいるだろう。武官はともかく、他の面々は話が違うと叫びたくもなるだろう。──だが忘れるな。諸君らがいる場所こそが、この地でもっとも安全であるということを!」


 言葉は薪。身振りは風。そして魔神格という事実は種火。この三つが合わさった時、熱狂という炎が煙とともに立ち上がる。


「絶対に安全とは言わない! 戦場に絶対はなく、ましてや相手は俺と同格の魔神格! デタラメの化身なのだから! それでもあえて言おう。俺を頼れ!! 俺に縋れ!! 俺はそれに応えるぞ! この地の主の一人として、この国の新たな守護神としての任をまっとうするぞ!!」


 狂気が伝播する。熱が渦となって広間を包む。この場にいる全ての者が、恐怖という名の正気が焼かれていく。


「さあ、再度問おう!! 諸君、死ぬ覚悟はできているな!? その上で足掻き、自らの棺桶をぶっ壊す準備はできているな!? ──ならば気張れ!! ここから先は、幕引きまで続く正念場だ!!」

「「「おおぉぉっ!!」」」


──こうしてガスコイン領は、密やかに戦時体制へと移行した。

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