第74話 ロマス法国
「屋敷内の文官、武官たちを広場に全て集めろ。その他の責任者たちも、職務を中断して連れて来い。大至急だ」
ルトが公爵邸に帰還してからの第一声。それによって、屋敷内はにわかに騒がしくなった。
それもそうだろう。なにせそれを命じた際のルトは、極めて剣呑な空気をまとっていたのだから。
「──旦那様、何事ですか?」
しばらくすると、騒ぎを聞きつけたリーゼロッテが、ルトのいる広間にやってきた。
その後ろにはハインリヒ、アズール、そしてリックとナトラもいる。恐らく姉弟に関わる話し合いの最中だったのだろう。
「詳しい説明は皆が集まってからだ。……だが覚悟だけはしておいてくれ。法国の諜報員から始まったこの一件。状況は最悪なんて言葉じゃ生温いぐらいに逼迫している」
「っ……!?」
わずかな焦燥が混ざったその言葉に、リーゼロッテは息を呑んだ。姉弟以外の二人も、似たようなリアクションを取っている。
言動こそ荒い部分が目立つが、ルトは基本的に温厚だ。それでいて絶大な力を宿しているために、有事であってもなんだかんだ余裕を見せている。
状況によっては機嫌が悪くなることはあれど、真に焦りを浮かべることなど滅多にない。最強の最終手段である、魔神格の武力によるちゃぶ台返しが可能だからだ。
荒事にさえ持っていけばどうとでもなる。そして物事というものは、損得や面子を抜きにする覚悟さえあるのならば、大抵は荒事に変化させることができるのだから。
「……」
──そんなルトが、ここまで焦りを見せている。その事実は重い。いや、重いという表現ですら足りない。どうしようもなくマズイ。
少なくともリーゼロッテたちは、とてつもない『ナニカ』が判明したということだけは理解できた。
「……あの、少々よろしいでしょうか?」
そんな中、小さく声を上げた者がいた。状況をイマイチ理解できていないリックである。
対象はハインリヒ。だが周りが沈黙していたタイミングであったために、その声はリックの予想よりも響いてしまった。
「何か気になる点でもあったか?」
「あ、いえ!? その、自らの不勉強を恥じるばかりなのですが、どうしてもお訊きしておきたい点がございまして……」
「構わん。言ってみろ」
「えっと……根本的な疑問なのですが、何故ここまで我が国とロマス法国は険悪なのでしょう? 大陸の二大巨頭故に不仲なのは知っているのですが、それにしては度が過ぎている気も……」
根本的な疑問。なるほど、それは確かにその通りである。この二国が不仲なのはもはや常識。なにせ大陸におけるツートップであり、覇者の座をかけて争うのはある種の必然だからだ。
だが、それを踏まえても両国の関係は極めて悪いのが、リックには気になった。いや、言葉にしないだけでナトラも、そして政治に関わらない平民たちの誰もが心の奥底で不思議に思っていた。『なんで帝国と法国って、こんなに仲が悪いんだろう?』と。
実際、勢力が拮抗しているが故の仮想敵国と片付けるには、あまりにも火花が散りすぎている。
その身の大きさと、国土が離れているために戦争になっていないだけで、銃口同士は常に互いで突きつけあっているかのような状態なのだ。
リックの脳内に『冷戦』という言葉が浮き上がるぐらいには、両国の関係は悪かった。
「ふむ。つい先日まで平民だったことを考えると、この辺を知らんのも仕方ないか。……では簡単な講義をしてやる」
続々と人が集まりつつある広間を眺めながら、あえてルトは講義という名の前置きを用意することに。
幸いにして時間的な余裕はある。……正確に言えば、事態が事態であるために、この程度のロスは誤差にすらならない。
そもそも帝国軍が動いている以上、ガスコイン公爵家にできることは多くないのである。精々が各所に対する報告と、事が終わった後の対策を練るのみ。だが事後処理に備えるにしても、被害予測が青天井である以上はどうしようもない部分がある。
非常事態を共有するために大勢を呼び出したが、喫緊の問題ではあるかと言われれば否なのだ。
「──ついでに俺のところの馬鹿どももよく聞いておけ」
だからこそ、ルトは長めの前置きを語ることにした。なにせリックとナトラ以外にも、背景の説明が必要そうな者たちが大勢いるのだから。
「なんで俺たちは名指しなんですか!?」
「リーゼロッテのところのはともかく、お前らは歳食ってるだけで元は小国の一兵卒じゃねぇか。ハインリヒ以外、国際情勢の背景まで理解しているか怪しいだろうが」
「そうっすね!!」
「明るく断言すんじゃねぇよ馬鹿野郎!」
ある意味で兵士らしいリアクションに、思わずルトは頭を抱える。
いや、別に悪いことではないのだ。むしろ兵士としては理想的な回答だろう。ただ命令に従い、敵を討つ。その命令の背景など知る必要はなく、敵と判断できるだけの情報さえあればいい。
ルトの部下である彼らは、この基本に忠実であるだけなのだ。それでいて任務以外での素行不良もなく、公の場でも問題のない立ち振る舞いを身に付けているのだがら、文句のつけようのない歴戦の兵士たちなのである。
……ただそれはそれとして、この堂々とした開き直りには青筋を浮かべたくなるのが人情というもの。
「ともかく聞け。知って損する内容でもないし、特に機密の類でもない。各国の成り立ちと、ある程度の国際情勢を読める者、それでいて宗教と現実を切り離して考えられる者なら承知の内容だ」
「かしこまりました!!」
部下たちが傾聴の姿勢を取ったことに頷き、ルトはリックたちの方を向き直って講義を開始した。
「まず結論から。帝国と法国が険悪なのは、法国側が帝国を敵視しているからだ。それこそ必滅を誓うぐらいにな」
「それは何故でしょうか? 確か両国の間に、そこまで大きな戦争とかはありませんよね?」
「もっと根本的な問題なんだよ。法国ってのは、宗教国家であると同時に医療大国でな。いやむしろ、あの国の全ての根幹が医療なんだよ。だからこそ技術大国の帝国とは相容れない」
「医療、ですか……?」
予想外の単語が出てきたことで、リックは間抜けな表情を浮かべて首を傾げた。ナトラやルトの部下たちも似たような反応である。
宗教国家と医療。ここまではまだ理解できなくもないのだが、その後が理解できない。
何故根幹が『宗教』ではなく『医療』なのか。宗教国家なのだから、第一に『宗教』が語られなければおかしいではないか。
そんな疑問に対して、ルトは肩を竦めながらも続きを口にしていく。
「意外に思うかもしれないが、あの国の成り立ちを考えるとコレが全く間違ってない。あの国も、そしてあの国が掲げる宗教である【アスクレイ教】も。全ては医療──やつらが神聖魔法と称する癒しの術が根幹にあるんだ」
アスクレイ教は、大陸でも最大勢力を誇る宗教である。敵国である帝国とその周辺ではあまり広まってこそいないが、それでも多くの国を併呑し、宗教の自由も一応は認めている帝国内において、アスクレイ教の信者は少なからず存在しているほど。大陸全体で見れば、その信者の数は膨大だ。
「この辺は各国の歴史、推察される当時の時代背景を分析すると見えてくる。その辺をまとめた研究もあるぐらいでな」
物事には当然ながらわけがある。それは大陸一の宗教であるアスクレイ教も例外ではない。
耳当たりのいい教義を武器に、長い年月をかけて大陸中の民衆に浸透したという面もあるが、それ以上に絶大な力を宿した必殺の武器が彼の宗教には存在したのだ。
「当時の魔術……いや時代を考えれば洗練もされてない魔法なんだが、その辺の厳密な区分は一旦脇に置いて。……魔術ってのは、当時では全然一般的ではない技術だった。なにせ【魔法貴種理論】なんてもんが出てくるほどだ。この論調については知っているか?」
「は、はい。『魔法を使えるのは、選ばれた人間であり〜』ってやつですよね」
「そうだ。で、この理論は時代が時代だったから受けた。なにせ今でも信じているような間抜けがいるぐらいだ。古い時代となればそりゃ流行るわな」
剣と槍、そして弓の全盛期であった古代の時代において、砲弾に匹敵、または凌駕する破壊をもたらす者がいればどうなるか。一時的とはいえ、大の男の鍛え抜かれた肉体すらも歯牙にもかけぬ、剛力無双の超人となる者がいたらどうなるか。
それが当時の魔術士、いや魔法使いである。自らを選ばれし貴種と称し、それに相応しい権力を獲得するのは当然の帰結であった。
「そんな自称選ばれた者たちの中でも、特に人々から支持を得た者たちがいた。それが癒しの術の使い手、いわゆる『癒者』と呼ばれる者たちだ」
人を脅かす力を持つ者と、人を癒す力を持つ者。どちらが他者に受け入れられるかと問われれば、当然ながら後者である。
なにせ有事を筆頭に需要が限られる暴力と違い、癒しの力は常に需要がある。それでいて誰かを救うということは、分かりやすく感謝される事柄であるのだから。
「癒者は民衆のみならず、権力者からも愛されたそうだ。むしろ権力者にこそ寵愛されたと言っていい。ある意味で死にやすい立場だからな」
「暗殺、とかですか……」
「そういうことだ。死を恐れた多くの権力者は、癒者を近くに置くようになる。それが転じて癒者であることが一つの権力となっていった」
需要とはすなわち利権である。それも権力者の命を左右するとなれば、そこに付随する権力は果てしないものになる。
「それに目をつけた者たちがいた。彼らは癒者を集め、各地の権力者に派遣するようになった。──ここまで言えばもう分かるだろ?」
「それが法国の始まり、ということですね」
「ああ。彼らは各地の権力者に庇護されながら、その力を蓄えていったそうだ。ついでに自らの正当性と泊をつけるために、貴種魔法論を応用した都合のいい一つの『神』を語り始めたと。それがアスクレイ教の始まり、その実態だとされる」
『魔法は神が人類に与えた祝福であり、魔法を使える者は選ばれた人間である。その中でも癒しの力を宿す者は、神が人の世を救済するために遣わした使者である』と、かつての癒者たちが叫んだのだ。
そうして癒者たちは虚構の神の僕となった。癒しの力を神聖魔法と名付け、聖職者として身分をぶら下げその教義を、自分たちの利権を拡大していったのだ。
「治療という事実があるから、無知蒙昧な民衆はその主張を受け入れた。知恵ある権力者たちも、その多くが魔法を使える者であるために、権力の正当性を確保するために利用した。そしたらあら不思議。瞬く間に土着の宗教の大半を廃れさせ、大陸一の宗教が誕生って寸法だ」
「……えぇ……」
「あまりの俗っぽさにドン引きしているところ悪いが、これが歴史の現実ってやつだぞ。そもそも古代には、当時では奇跡の類であった魔法を使える人間がちょくちょくいたんだ。そんな中で偶像崇拝、それも一神教が幅を効かせるには、相応のカラクリがなきゃ無理ってもんだろうよ」
宗教の隆盛には奇跡がつきものである。奇跡があるから人は畏れ、自らも奇跡にあやかるために信仰するようになる。
だがこの世界には、奇跡を振るえる者が各地に何人もいた。だからこそ、その者たちの周りには権力や信仰が集まっていた。
そんな状況で一つの宗教が勢力を伸ばすには、並の奇跡では足りない。自分たちの掲げる『神』を受け入れさせるには、生半可な力では不可能なのだ。
当時に魔神格の魔法使いが存在すればまた違っただろうが、生憎と古代に真なる超越者は現れていない。
「だからアスクレイ教は分かりやすい実利で攻めたわけだな。自分たちの上に、存在せず口出しもしない神がいると頷くだけで、貴重な癒者が手元に置ける。となれば、結構な人間は頷くだろうさ」
「な、なるほど……」
「ま、この辺は気になるんだったら自分で裏付けしろ。帝国は法国の敵対しているだけあって、その辺の資料が豊富だ」
実際、ルトも帝国から出版された書籍でもって、その辺の知識を身につけた。……正確に言えば、伝え聞く情報と別世界の知識をもとになんとなく推測を立てていたところ、帝国産の書籍で確証を得た形である。
帝国に属していなくとも、ランド王国が帝国の影響範囲に存在していたからこそ、プロパガンダ用にその手の書籍が手に入ったのはルトにとって幸運だった。
「……これ、法国の人が知れば卒倒するんじゃ……」
「敵対国なんだから知ったこっちゃないんだろうよ。それに事実を知って発狂するのは、一般的な信者と熱心な聖職者だけだ。法国上層部は事務的に抗議文を出して終わりだよ」
「普通、立場が上になるほど教義に熱心になるのでは……?」
「組織をなんだと思ってるんだお前は。マトモに運営されている以上、地位が上に行くほど現実を見るに決まってるだろ。宗教家だろうが変わんねぇし、超大国の上層部となれば合理の化け物だろうよ。──そうだろ? リーゼロッテ」
「ええ。国家運営は目の前の現実と向き合うもの。対して宗教は教義の中の偶像と向き合うものです。神という幻覚を見ている者には、決して務まるものではございませんわ」
「……えぇ……」
為政者二人の身も蓋もない断言に、つい最近まで平民であったリックはなんとも言えぬ表情を浮かべる。
「さて、話を戻すがな。こんな成り立ちだからこそ、法国は医療に力を注いできた。時代が進むに連れて、魔法の類は世に知られるように、言ってしまえば陳腐化していったからな。教義の根幹に神聖魔法が存在する以上、その辺がどうしようもなく死活問題だったんだろうよ」
ただの魔法を神聖魔法と称し、神の祝福と謳って誕生したのが法国だ。教義と密接に関わっているが故に、その陳腐化は宗教そのものを、なにより国家そのものを揺るがしてしまう。
それを阻止するために、法国の先人たちがどれほど苦心したかは想像に難くない。適性のある者が集まる仕組みを構築し、教育体制を整え、医療そのものに対する造形を深めた。
そうして得たノウハウを外交に活かし、宗教のみならず国家としての地位を高めた。
事実、衛生や一部の疫病に対する基礎知識は各国家間で共有され、国際社会において大きく貢献している。
「──だがそんな法国の涙ぐましい努力を無に帰すように帝国が現れた。アクシア殿という最強の武力を擁し、新たに『魔術』という体系を生み出すほどに、技術発展に熱心な国が現れたんだ」
下手に手出しをすれば諸共焼き払われ、かと言って放置すれば魔術、医療分野において発展してしまう。
神聖魔法を回復魔術として体系化されてしまえば。それに付随して医療分野でも追い付かれてしまえば。
宗教国家として名を馳せ、その力を政治に利用している法国としては、帝国の方針は決して見過ごすことはできない。
神聖魔法の陳腐化ですら、アスクレイ教と法国を揺るがしかねない大事だったのだ。もし解明でもされてしまえば、どれほどの事態に発展するかは想像できよう。
「最悪の場合、国家が崩壊する。戦争などしなくとも、帝国の発展の先に法国の安寧はないんだよ。──だから法国は帝国を敵視する。国家存亡という大義のもと、あれこれ手を尽くしているわけだ」
──そしてだからこそ、法国は最低最悪の一手を打ってきたのである。
ーーー
納得のコメントがきたので少々修正
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