第76話 幕引きの話し合い その一

 臣下に対する大演説の後。もはや恒例となりつつある、ルトとリーゼロッテによる月下の対談が行われていた。

 だが基本的にどちらかの私室で行われていたこれまでと違い、今回の対談はリーゼロッテの執務室。未確認の魔神格の暗躍という大事故に、政務の延長が決定してのことであった。


「はぁぁぁ……。今日はとんだ厄日だな」

「……今回ばかりは、私も同意させていただきますわ」


 そして大事であるが故に、執務室の空気はとても重い。ルトは疲労混じりのため息を吐き、それに応えるリーゼロッテの声音にはかすかな不安が含まれている。

 基本的にあけすけな態度のルトはともかく、常に貴種としての振る舞いを忘れないリーゼロッテが、内心の動揺を隠すことができていない。それほどまでに事態は重い。


「──さて。非っ常にやりたくないが、現実的な話をするとしようか。不愉快極まる数字と政治の話をな」

「……そうですわね。先程の情緒的かつ熱狂的な演劇は素敵でしたが、舞台はあくまで舞台。夢の時間はそろそろ終わりにいたしましょう」


 両者揃って意識を切り替える。先程までのルトの演説は、あくまで臣下に向けたパフォーマンス。情報の共有、士気の向上など、必要なことをまとめて済ませただけにすぎない。

 だがここから先は違う。これから行われるのは、ガスコイン領を治める二人によるトップとしての対談。為政者として、ひたすら現実と向き合うだけの作業であった。


「ひとまず状況の共有を。外部、レオン基地の動きは先の演説の通りだ。平時を装いながらの厳戒態勢。そして関係各所に連絡を回している最中だろう」

「……となると、陛下から連絡は最短でも二日後でしょうか? 緊急連絡用の鳩を使っているでしょうし」

「かもな。だが正直なところ、返答云々は期待する必要もないだろうさ。俺たちのやれることは少なく、遠く離れた陛下たちに至っては皆無なんだからな」


 未確認の魔神格が潜伏していた場合、打てる手段など限られている。最速で相手を見つけだし、ルトをぶつけ、領地の被害が最小限になるように努力する。

 やるべきことはそれだけであり、それ以外にできることはないのだ。現場にいるルトたちですらそうなのだから、現場にいない他の者たちにできることなど推して知るべし。

 ……そもそもの話として、返事が来た時にサンデリカ、いやガスコイン領そのものが存続しているのかも怪しいのだから。


「ともかく、連携はレオン基地までが限界だろう。事態を重く受け止めた陛下が、アクシア殿を派遣してくれるのなら別だが……」

「期待せずに待っている、ぐらいが妥当でしょうね」


 その場合は、望外の幸運に歓喜の叫びを上げるだけ。受け入れ態勢などの『もしも』を想定する必要がないぐらいには、現実味の薄い話であった。


「次は内部の話だ。情報の共有は完了。指示も出した。士気も上げた。なにより安全地帯を刷り込んだ。……これで逃亡の芽は潰せたと思うんだが」

「安全地帯……なるほど。あの演説の本当の狙いはそれですか」

「ああ。武官はともかく、文官と使用人は不安だったからな。遠回しに釘を刺させてもらった」

「感謝いたします」


 ルトの意図に気付いたことで、リーゼロッテは深々と頭を下げた。

 士気向上+‪α程度にしか思っていなかったルトの演説であったが、想定以上に重要な一手であったことを理解したからだ。

 ルトの演説の内容自体に嘘はない。状況の共有に、情報封鎖を筆頭とした諸々の指示。士気の向上も当然ながら狙っていた。

 だが真の意図は別にある。それは逃亡防止であり、それに伴う情報封鎖の失敗を防ぐこと。敵性の魔神格という致死の脅威に心が折れ、逃げ出そうとする者を押し止めることが第一の目的であった。

 いかに優秀な者の多いガスコイン家であっても、忠誠よりも自身の命を優先する者は必ず出てくる。特に文官や使用人など、荒事とは縁のない者たちほどその可能性は高くなる。

 だからこそルトは、演説に混ぜる形でそれとなく主張し刷り込んだのだ。唯一の対抗戦力である自分のお膝元こそが、この地でもっとも安全であると。


「我が身が可愛い奴らは、これで俺の元から離れるようなことはしないはずだ。屋敷から追い出されたくないから、情報漏洩を筆頭とした軽挙もやらんだろう」


 死にたくないが第一にくるであろう者たちだからこそ、一度生存率の高い方向に誘導してしまえば、その時点でほぼ勝ちだ。

 魔神格に対抗できるのは魔神格のみ。これは大陸における一つの常識。真に理解している者こそ少なくとも、誰もが言葉としては知っている。

 故に刷り込まれた情報が、『安全地帯』という言葉が軽挙に対する楔となる。生き足掻くためには必ずこの言葉が反芻され、培われた常識が茹で上がった思考に冷水を浴びせることになる。

 こうしてルトは抑えたのだ。内通者というどうしようもない例外を除けば、もっとも厄介な不確定要素を。忠誠心の低い身内という、都合の悪い存在を。


「もし逃亡者なんて出たら、そしてそれが相手に知られれば、その時点で終了だろうからな。早い段階で対策を打たにゃならん」

「……全員に対する情報開示もその一環ですか。先に情報を共有することで、突発的な逃亡を防ぐと」

「ああ。どっかの拍子に魔神格云々を知られて、反射的にそのままトンズラってのが一番困る。かと言って、素直に逃げるなと告げても印象が悪い。だったら演説でもして、適当に盛り上げた方がマシってもんだ」


 できる限り自然に。できる限り効果的に。その上で+‪αが発生できれば文句無し。そんな考えのもと、ルトは柄にもない大演説を行ったのだ。


「お見事です。未熟な私では、そこまで滑らかに絵図を描くことができませんでした」

「まあ、この辺りは政治というよりも、軍事の感覚がものを言うからな。荒事とは縁のない淑女であったキミには、中々難しいものがあるだろう」


 姫として政治を学び続けたリーゼロッテと違い、ルトは戦場に出ている。たった一度の経験ではあったが、ルト自身の才覚と、なにより死からもっとも遠い位置にいたが故の冷静な観察が、戦場における要訣を習得させていた。

 兵の意識の誘導と、士気のコントロール。自軍に対する不利益を素早く察知し、内部を正して損害を防ぐ。それを可能とする感覚を。


「ともかく。内部は引き締めた。完璧とはいかんが、現状でできる限りのことはした。これでなにか問題が起きれば、もうお手上げとして諦めろ」

「綱紀粛正に熱中しすぎて、他が疎かになっても困りますものね。それでよろしいかと」

「おう。それじゃあ前提条件の確認は終了だ」


 そこで一度ルトは言葉を切った。そして大きく息を吐き、不愉快そうに眉を顰めて再び言葉を紡ぐ。


「下の連中には、士気向上ってことで楽観論で丸め込んだが……。正直なところガスコイン領は詰んでいる。今はもう、何処まで損切りするかの段階だ。──リーゼロッテ、サンデリカは捨てるかい?」

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