第64話 潜む不穏

前書き

連続投稿ですので、一話前からお読みください。

ーーー




「──ありゃりゃ。狩られてしまいましたか。残念ですなぁ」


 日が沈み、人通りが少なくなったサンデリカ。夜の闇が全てを包み、月と星、住民が灯す小さな炎だけが光源となった世界。

 そんな僅かな光源すら届かぬ場所。入り組み、薄汚れたスラムの一角に、やけに軽快な男の声が響く。


「それにしても流石は帝国。動きが早い」


 そう言いながら男が思い出していく。少しばかり前の光景を。

 突如としてサンデリカ上空に現れた巨大な氷塊。それと同時に各所で起こった捕物。ある商会の前に集結した帝国軍。

 中々に騒がしい出来事だった。そして愉快な祭りであった。


「彼らが捕まってしまったのは……うん。仕方ないと割り切りましょう。良いものも見れましたしね」


 次に思い出すのは、空を翔け回る青き少年。氷のボートにのり、大量の氷塊を携えながら移動していた超常の者。


「彼が噂の無能王子。帝国の新たな守護神。三人目の魔神格。氷神ルトですか」


 今、大陸中で最もその名が語られている存在。個人で国を滅ぼす新たな怪物。

 その姿を、なにより力を行使している姿を目撃できたのは、望外の幸運であった。

 力の対象となった者たちにとっては、不幸以外の何ものでもないだろうが、少なくとも男にとっては喜ばしいことであった。


「まさか空を自由に動き回れるとは。驚きですねぇ」


 男は笑う。噂は真実であり、ルトが噂以上の相手であると確信したために。


「氷塊の中身は彼らですか。やはり魔神格の力は強大ですねぇ」


 男は笑う。英雄と呼べるだけの力の持ち主ですら、新たな魔神の前にはどうしようもないほどに無力だという事実に。


「──あの化け物を出し抜けると考えると、ゾクゾクしますねぇ……!!」


 男は嗤う。強大な力の持ち主が、自らの掌で慌てふためく様を想像し。


「彼らが狩られてしまったのは、不測の事態ではあります。ですがこの程度の予想外は予想内。ええ、全く問題ありませんとも」


 男がスラムを進んでいく。くつくつと不気味に喉を震わせながら、我が物顔で荒れた路地を移動していく。


「──お父様。戻った」


 途中、少女の声が響く。スラムには似つかわしくない、幼く、鈴が鳴るように澄んだ声だ。


「お帰りなさい七号」


 男が少女の声に応える。だがその口から飛び出た言葉は、あまりにも衝撃的なもの。

 七号。それが声の少女の呼び名。人に対する名としては淡白すぎる。非道すぎる。

 仮にも父と呼ばれている者が、そのような呼び名を付けるなどありえない。


「それで偵察はどうでしたか? 彼らの中で逃げ延びたものは?」

「ダメ。皆、やられた」

「それはそれは」


 だが少女に、それを疑問を抱いた様子はなかった。それが当たり前だと認識していることが、声音からも理解できた。


「まあ良いでしょう。元から期待はしていませんとも」

「どうするの?」

「別にどうも。まだ何もしませんよ。せっかくクリーデンス聖下が声を掛けてくれたのです。じっくりやりましょう」


 会話が何を指しているのか、端から聞いていても理解できる者は少ないだろう。

 だが具体的な内容は分からずとも、男の言葉に込められた底知れない邪悪さは気付くことができるはずだ。


「じゃ」


 端的な言葉で、七号と呼ばれた少女が離れていく。


『ニャァァ』

『チュチュッ』

『グルル……』

『チチッ』


──それと同時に、闇の中でいくつもの気配が蠢いた。

 離れていく少女の気配を追うように、無数の小さき者たちが夜の闇を駆けていく。


「……さて、私も行くとしますか」


 残された男も、再びスラムを移動し始めた。我が物顔で。治安の悪さなど関係なく。


「いやぁ、静かで良いですねぇ……」


 それも当然の話であった。何せ男の周囲には、いやスラムの全域で人の気配が少なくなっているのだから。


「──実験が楽しみです」


──男の声が響く場所。そこにいるのは、少しばかり大きなドブネズミが一匹のみ。

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