悪意の蠢動
第65話 狩りの翌日。日常のやり取り
「──ふむ」
神兵狩りを終えた翌日。ルトは久方ぶりに怠惰な一日を過ごしていた。
もちろん全てが解決したわけではない。拘束した者たちの尋問に立ち会うなど、未だにルトの仕事は存在する。
だがそれはランドバルド率いる帝国軍が、押収した資料等の分析を済ませた後。
あくまで武力としての役割に徹しているルトにとっては、現在発生している諸々は手を出すべき作業ではない。
そんなわけで、自らの出番が回ってくるまで、ルトはこの余暇を満喫することに決めているのだ。
「意外と面白い内容だったな。次は……」
自室の長椅子に寝転がりながら、パタリと眺めていた本を閉じる。
机の上には本の山。書斎から適当に抜き取って物であり、小説から歴史、地域の童話など、その種類は多岐にわたる。
以前に渋々中断することになった読書三昧。そのリベンジであった。
「……ツマミが切れたか」
次の本を物色しようとしたところで、ルトは気付いた。読書のお供として用意していたツマミを、いつの間にか食べ尽くしていたらしい。
空となった皿。好物の乾燥果実が山と乗っていたのだが、それもいまや見る影も無し。
ついでに言うなら、口の中が少々甘い。口直しに塩味が欲しいところだ。
「取ってくるか」
即決。別に使用人にオーダーしても良いのだが、気分転換も兼ねて、ルトは自ら食堂に赴くことにした。
「塩気のあるツマミ……チーズ、燻製肉か? ならワインも欲しいな」
「──この時間からお酒ですか、閣下」
「あん?」
ツマミの候補を列挙しながら移動していると、呆れたような声が聞こえてくる。
声の主はハインリヒであった。隣にはアズールもいる。どうやら偶然出くわし、独り言を聞かれてしまったようだ。
「なんと言うか、随分と良い御身分ですな」
「実際に良い御身分なんだよ。大公だぞ俺は」
「ええ、存じ上げております。もちろん皮肉の類です」
「ああ。存じているとも」
当然のように行われる軽口の応酬。主と臣下らしからぬやり取りではあるが、もはやガスコイン公爵家ではお馴染みの光景だ。
ハインリヒの隣に立つアズールも、これを当然のものと認識していた。それどころか、自身も参加する始末である。
「閣下。ワインをより深く味わう方法があるのですが、お聞きになりますか?」
「ほう? アズールはそういうの拘る方なのか」
「いえ。拘りというほどではありません。多くの者も自然と実践していることでございます」
「何だ?」
「夜空に浮かぶ月と星。それを眺めながらワインを楽しむのです」
「ハハ。言ってくれるなこの野郎」
『真っ昼間から酒なんて飲もうとすんじゃねぇ』。遠回しかつ見事な笑顔で吐かれた毒に、思わずルトも苦笑い
帝国軍から遣わされた目の前の秘書も、順調にルトたちの色に染まっているようだ。
「ふむ。アズール殿とは順調に打ち解けていられるのですな」
「……何が言いたい」
「いえ別に。ただ昨日の一件で政務が激増している中、優雅に昼から酒浸りしようとしている主に対する嫌味でございます」
「おいコラ」
堂々と嫌味と宣言し、かつ的確に苦いところを突いてくるハインリヒ。
ランド王国時代から度々あったことではあるが、主従を超えた気安い関係であるために、こういう時は都合が悪い。
「……私が何か?」
「いえいえ。アズール殿に粗相があったとか、そういう話ではございませんよ」
「昨日、ナトラを利用して捕物をやっただろ? それでコイツに説教喰らったんだよ。もうちょいあの姉弟に優しくしてやれってな。それをほじくり返してきやがった」
「ああ……」
なるほどとアズールは頷く。善し悪しはともかくとして、件の姉弟がルトに振り回されていた印象は確かにあった。
「ですが、そこまで問題視する必要もないのでは? 言い方は悪いですが、閣下の御立場ではある意味それが当然でありますし」
「アズール殿。上に立つ者は、そうした努力を怠るべきではないのです。下に嫌われるよりも、慕われた方が何かと効率が良いではないですか」
「それは確かにそうですが……」
ハインリヒの言葉は正論である。正論ではあるが、素直に頷けるかと言われると微妙だ。
大公の立場にいる者が、わざわざ臣下の二人のために気を遣う。効率的であったとしても、それは如何なものかと思わなくもない。
「別に本心から気を遣う必要もないのです。立場に見合ったもので、適当に耳触りの良い言葉を並べるだけで十分です。アズール殿に分かりやすく例えれば、上官からその都度労いの言葉を掛けられれば、後ろ弾をしようとは中々思わないでしょう? これはそれだけの話なのですよ」
後ろ弾。戦場で偶に引き起こる事例と、一般的な対策方を挙げられたことで、ようやくアズールもハインリヒの言いたいことを理解した。
別に大それたことでもないのだ。ただ不満が爆発しない程度に好感度を調整しろと、それだけの話なのである。
人間などというものは、感情一つで簡単に暴走してしまうのだから。
「簡素な人心掌握でしかないと」
「ええ。特に末端の兵士と違い、あの二人は研究職ですから。後ろ弾などという明確な手段はありえないにしろ、作業効率と質という面では影響もありましょう」
モチベーションというものは重要だ。軍人であるアズールも、士気の効果を恐ろしいほどに理解していた。
だからこそ、ハインリヒの主張にも納得することができた。
「確かにそういう意味では、閣下とあの二人の関係性はよろしくはないかもしれませんね」
「ええ。閣下の方は割と平常運転ではあるのですがね……。なんと言っても、第一印象が恐らく『暴君』寄りで固定されていますから。普段の言動も逆効果のようで」
「あぁ……。閣下、あまり物腰柔らかという感じではありませんからね。恐ろしいという印象を抱いていれば、ほとんどの言葉が威圧的に思えても無理はありませんか」
「言いたい放題だなお前ら……」
ズバズバと飛んでくる酷評に、流石のルトも頬を引き攣らせた。
怒りの感情こそ湧いてはこないが、こうも辛口な意見を何度も浴びせられると思うところはあるのだ。
「そういうアズール殿は、閣下のことはどう思っていらっしゃるのですか? 貴族のご令嬢でもあったアズール殿なら、あの姉弟と似た印象を抱いても不思議ではないかと」
「ハインリヒ殿。私が令嬢という立場であったことは否定しませんが、我が家は武門と呼ばれる家系です。なにより私は軍人なのです。閣下程度の言動で、いちいち萎縮することなどありませんよ」
「おっと。愚問でしたな。これは失礼しました」
「ついでに言うと、こっちに対しても失礼だぞ。主に程度なんて言葉を使うな。悪い意味で使ってるわけじゃないのは分かってるが」
アズールの戦場に出る軍人らしい回答に、ハインリヒは頭を下げる。ルトは半目で二人を睨む。
ただ結局、ルトのささやかな抗議はスルーされた。
「荒っぽいんですよね、閣下って。でも荒っぽいだけな見掛け倒しですが。軍においては紳士的な部類に入るぐらいには、色々とマトモなのですよね」
「ええ。その辺をあの二人にも、ちゃんと伝えられたらなと。ついでにコレを切っ掛けに、立場に見合った気品を身に付けていただきたいのです」
「立場に見合った品格は備えているだろうが」
「閣下のは気品ではなく気迫でしょうに。覇気や威圧感と呼ばれる類の、お世辞にも落ち着いてると表現できない代物ですよ」
「むぅ……」
再びバッサリと主張を切り捨てられ、ルトは肩を竦めてみせる。
やはり気安さというものは、こういう時に都合が悪い。
「たくっ……。変なことを真面目に考えやがってからに」
「変、と言いますか。閣下、これは御身のこれからを案じているが故の意見交換ですぞ?」
「分かってるわ。皆まで言うな。そもそもお前がこうして言わずとも、ちゃんとアイツらには優しくするつもりだっての」
「それも分かった上で、改めて釘を刺しているのですぞ?」
「だろうなこのクソジジイ……!」
会話の流れから、ルトもそれは察していた。これはただの昨日の念押しであると。
それだけハインリヒが姉弟の扱いを気に病んでいる──というわけではない。
どちらかと言うと、これは公的な考えによって行われているものだ。
主の未熟を確信した以上、忠臣としてその成長を促したい。落ち着いた気品を身に付けて欲しいという台詞は、紛れもない本心なのである。
「そうした議論に見せかけた説明も不要だ。アイツらの抱く印象と、俺の言動が致命的に噛み合わせが悪いことも理解してるわ」
「それはようございました。ならば印象改善に向けて動いていただきたく。……酒など飲まずに、ですぞ?」
「阿呆。俺もアイツらも今日は休みなんだよ。せっかくの休日に苦手な奴が顔見せにくるなど、普通に考えて嫌がらせの類だろうが。流石に今日は何もせんよ」
昨日の捕物の協力した労いとして、本日姉弟は完全なオフ。特にナトラに至っては、使用人に賓客待遇でもてなすよう言い含めてある。
リラックスして心身を休ませている状況で、ルトがわざわざ顔を出したらどうなるか。控え目に言って台無しだろう。
だから少なくとも、今日一日は姉弟と顔合わす気はルトにはなかった。部屋に篭って読書しているのは、そういう理由もあるのだ。
「んじゃ、俺はそろそろ行く。読書に合うツマミを選ばなにゃならんのでな」
これ以上の嫌味は御免だと態度で示しながら、ルトは二人を置いて再び歩き始めた。
「閣下、それは問題の先送りと言うのですぞー!」
「戦略的撤退って言うんだよクソジジイ。仕事、二人とも頑張れよ」
そう言って最後に軽く手を振り、ルトはその場を後にしたのであった。
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