第62話 魔神と忠臣

 神兵とナトラの回収を終え、ルトは公爵邸に帰還した。

 先触れも出さず、空中から直接屋敷の正面玄関前に降り立つという暴挙。

 だがそんな唐突な帰還でありながらも、そこにはハインリヒを筆頭とした部下たちが綺麗に並んでいた。


「……驚いたぞ。出迎えご苦労と言うべきか? 何時戻る分からない主を待ち続ける殊勝さが、お前らにあるとは思わんかった」

「中々に酷い言い様ですな。ですが閣下。お言葉ではありますが、ああも街を騒がしくされては、もしもに備えて待機ぐらいはしますとも。もちろん、リーゼロッテ様の許可は取ってあります」

「ははっ。正論だ。そんで上出来だ」


 暗に出迎えではないと伝えられ、ルトは可笑しそうに笑う。

 現在はルトの私兵の立場にいるが、彼らは元軍人。それも歴戦と呼ばれる類の、国家の盾にして剣であった男たちだ。主の帰りを健気に待ち続ける飼い犬では断じてない。

 こうして整列していたのも、ただサンデリカに存在する治安維持部隊の一つとして、有事に備えて警戒態勢を取っていただけ。その途中で空を飛ぶルトに気付いただけである。


「それにしても、また随分と盛大にやりましたな。空の氷塊といい、今の空中移動といい。本日の閣下は何かと空に物を浮かべたかったようで」

「どんな情緒をしてるんだよ俺は。氷塊はただの合図。空中移動は利便性を優先しただけだ」

「合図はともかく、普通は空を飛ぼうなどとは考えもしないかと。あくまで魔術も知らぬ老骨の感覚ではありますが」

「悪いがその辺は俺も知らん。他の者が可能かどうかも含めてな。ただ俺は便利かつ可能だからやっただけだ」

「……まあ、魔神格である閣下に常識を説くのも無駄ですな」


『技術的に可能』な範囲が只人と比べて遥かに広いのだから、発想が違うのも当然。

 そう納得しながら、ハインリヒは本題の方を口にする。


「さて閣下。機密もあると思いますので、詳細は訊ねませんが。問題無し、ということでよろしいですか?」

「ああ。結果は上々だ」

「では、我々も警戒態勢を解くとしましょう。特に御命令がなければ、それぞれの持ち場に戻りますが」

「いや。俺はこれからリーゼロッテに報告してくるから、アレの見張りを頼む。しばらくしたら軍の者が回収にくる」

「ふむ。初めから気になってはいましたが、アレが件の……」

「そういうことだな」


 ルトの後ろで転がるいくつもの氷塊。暗闇の中でも薄らと確認できる中身。

 上々という言葉に偽り無し。一目で大漁と分かる成果であろう。


「……不穏ですな」

「同感だ」


 だが手放しでは喜べない。ハインリヒもまた、ルトと同様の懸念を抱いていた。

 ある程度の視点で物事を俯瞰できる者なら、誰もが感じ取るであろう不気味な気配。

 私兵という立場故に、主の許可なく機密の領域に踏み込むつもりはないとしてもだ。

 この背筋が疼くような座りの悪さは、ハインリヒも無視することはできなかった。


「閣下。何かあれば直ぐに御相談ください。微力ではありますが、この私も知恵を絞ってみせましょう」

「当たり前だ。俺だけ頭を働かせるなんて御免こうむる。必要となれば容赦なくこき使うとも」

「それはようございますな」


 その返答にハインリヒは笑みを零した。

 ここ数日は珍しく働き、周囲にバレない程度に張り詰めた気配を発していたルト。

 そんな主が久々に見せた怠惰な性根。これまでのような微かな偽りの混じったそれではなく、本心からの嫌そうな言葉。

 不穏な気配は未だに存在し、油断できる状態ではないにしろ。そうした態度が出てくるぐらいには、ひとまず状況が落ち着いたのだとハインリヒも実感したのだ。


「……ところで閣下。一つよろしいでしょうか?」


 であるならば、だ。これ以上の深入りは現状では避けるべき。

 そう考えたハインリヒは、本題とは別に最初から気になっていた疑問について触れることにした。


「ナトラ殿の姿が全く見えないのですが、どういう理由か説明していただけますか? これまでの口ぶりからして、彼女の身に危険が降り注いだわけではないということは分かりますが」

「ああ、それか」


 二人で外出したにも拘わらず、現在はその片方が欠けている。ならば疑問に思うのは当然のこと。

 その問いに対し、ルトは一つの氷塊を自らの隣に移動させたことで答えとした。


「……何故、ナトラ殿は此度の狩りの獲物と同じ目に遭っているのでしょうか?」

「機密の関係と、安全を考慮した結果だ。か弱い乙女を鉄火場に連れていくわけにもいかないだろ?」

「合理的なのは認めますが、か弱い乙女に対する仕打ちではないでしょう」


 呆れ気味にハインリヒが言葉を返す。相変わらずのナトラ、いや姉弟に対する当たりの強さであった。

 危害を加えているというわけではないにしろ、姉弟揃って氷漬けとなっているのだ。

 理由があるにしても、もう少し手心を加えてやれないものだろうかと思わずにはいられない。


「その内ちゃんと歩み寄るさ。特に今回は振り回しすぎた」

「……何をやらかしたのですか?」

「護衛が護衛対象を襲うなど、醜聞としてはこの上ないだろう? 相手の介入を誘発する罠には丁度良いと思ってな」

「まさか……」


 告げられた内容に、ハインリヒは自らの頬が引き攣るのを感じた。

 目的はもちろん、何をしたのかも想像できた。個人的な感情としては信じたくはないが、軍人としての感覚がその妥当性を認めてしまった。

 平民の、それも身内一人の貞操の危機。対して得られるリターンは、他国の諜報員をまとめて拘束できる可能性。

 どちらに天秤が傾くのかなど議論の余地なく。そしてルトはそれに躊躇などしないだろう。


「一応言っておくが、流石に一線は超えてねぇよ。押さえつけて身体をまさぐっただけだ」

「閣下……。それは最低最悪が、最低に変わった程度の差ですぞ?」

「理解している」


 婦女子の扱いとしては落第以下。力任せに襲うなど、男の風上にも置けぬ悪であることは言うまでもない。

 だからこそタチが悪い。私欲ではなく公的な利益を判断基準に行われる汚れた一手。それは必要ならば何度でも繰り返されることと同義。

 多くの人間は合理よりも感情で動く。為政者であるルトやリーゼロッテ、軍人であるハインリヒたちやランドバルドの方が例外寄りなのだ。


「閣下。我らは軍人であり、閣下にいたっては大貴族と呼ばれる地位がございます。時には悪辣な手段を取る必要性があるのも確かです」

「ああ」

「しかし、それを繰り返すのは、ましてや同じ相手にというのは悪手でございます。既に閣下はあの二人を脅迫しているのです。その後は巡り合わせの問題とはいえ、厳しく接するばかり。甘い対応をしていないとは申しませんが、貴族的すぎて不慣れな者には非常に、非常に分かりにくい」

「ぬぐっ……」


 だからこそハインリヒは、この場で主を諌める選択を取った。

 感情というものを理解していながらも、合理の一手を選択し続けるルトを諭さなければと考えたのだ。


「間違っているとは申しません。大局的な視点という意味では閣下は正しい。そこは否定しませんとも。今回の件に関しても、手っ取り早く効果的な選択だったのでしょう」


 利益という意味なら確実にプラス。国益に沿った結果であり、貴族としての役目は間違いなく果たしている。


「ですが合理性ばかりを優先しては、多くの者は付いてこれないのです。我らだけだったあの時とは違うのです。我らは所詮、目的のためならば他者を殺す人でなし。ですので合理性は歓迎します。その覚悟がある者が軍人なのですから」


 殺戮も必要とあらば行おう。女子供を犯すことも命令とあれば受け入れよう。それが軍人であるが故に。

 だからこそルトの選択に嫌悪感は抱かない。人でなしという自覚があるからこそ、彼らは目的を至上として倫理に唾を吐けるのだから。


「リーゼロッテ様もまた同様でしょう。我らのような畜生とはまた別種ではありますが。為政者の方々は、自らの指示一つで数多の命が左右されることを理解していらっしゃいます。だからこそ合理で物事を判断する。そうしなければ多くの命が脅かされる。それが心の奥底まで染み付いているために、閣下の考え方に共感できる」


 為政者は感情で語らない。表向きはどれだけ共感できるスピーチを叫んでいようが、裏では冷徹なほどに数字で物事を語ってみせる。

 今回の件を例に挙げるとすれば、ルトは一人の臣下の心情を犠牲に、現在判明しているだけでも八名の神兵と、一名の諜報員を拘束している。

 この結果をリーゼロッテは賞賛するだろう。その過程で乙女としては嫌悪を抱かずにはいられない手段が取られていようとも、微塵も気にすることなく笑みを浮かべるはずだ。


「他の者もそうです。この屋敷で働くほとんどの者は、閣下の考え方を否定しない。内心はどうあれ理解し、飲み込むことができる。貴族に仕えるというのはそういうことです。──ですが、例外は存在するのです」


 ほとんどだ。全員ではない。その代表とも言えるのがリックとナトラの姉弟だ。


「ナトラ殿たちは、こちらの世界とは馴染みのない市民であります。いつかは染まることはあろうとも、今ではないのです。今は閣下の考え方を理解することは難しい」

「……だろうな」

「主人が臣下に配慮する。非常識な意見なのは承知の上ではありますが、敢えて言いましょう。閣下はあの姉弟に配慮するべきです」


 ハッキリと。言葉を濁すことなく、処罰も覚悟の上でハインリヒは宣言した。

 姉弟に対して媚びへつらい、顔色を窺え。そういう意味ではないことは明白だが、それでも中々に苛烈な意見である。


「……理由を聞こう。何故そんな結論が出た?」

「姉弟との接し方を拝見し続けた結果でございます。閣下は両極端なのです。貴族、大公として合理的かつ苛烈な姿。それか身分を隠し、場末のチンピラのような普段の姿。この二つしかないのです。民に優しき、穏やかな貴族としての振る舞いが閣下には足りない」

「お、おう……」


 お前は未熟だ。ストレートにそう指摘されたことで、流石のルトもたじろいだ。

 それでもハインリヒは止まらない。容赦なく畳み掛けていく。


「魔神格としての立場があるということを差し引いても、閣下のそれは極端にすぎます。遠い民ならば偶像として問題ないとしても、近くの者にとっては苦痛でしょう。あの姉弟が正にいい例です」

「ぐぬっ……」

「大公である以上、あの二人のようにこちらの世界に馴染みのない者が、身近に仕える可能性は低くないのです。その度にあの姉弟のように萎縮させるつもりですか?」

「流石にしないが……」

「閣下はしなくとも、です。ついでに言うなら、それで相手に処罰が下る可能性もあるのですよ? そうなれば色々な面で支障が出てきます」

「……確かに非効率的だな」


 合理を優先して動いた挙句、効率を落として本末転倒。そう言われてはルトも納得するしかない。


「リーゼロッテ様を見習うべきですな。あの御方は締めるところは締めますが、基本的には心優しき淑女でございます。そう周囲に思われるよう振舞っている。あの御方の手伝いをしていると、それがよく分かります」

「だろうな。アイツは飛び切りの良い女だよ。貴き姫としても、領主としても理想的だ」


 見習う相手として挙げられた名に、ルトは手放しで同意した。婚約者としての贔屓目などを抜きにしても、リーゼロッテの振る舞いは抜きん出ていた。

 立ち振る舞いという意味ではアクシアも負けず劣らず、いや上回ってはいるが、彼女の場合はそれ以上に魔神格としての在り方が優先されているため、貴族的な印象とはまた別種。

 だがあの闊達とした太陽のような雰囲気。威厳もあるがそれと同等の朗らかさを感じさせる姿は、ルトとは違い相手を必要以上に萎縮させることはないだろう。


「閣下。くどいようですが、人間は感情を優先させる生き物なのです。一部の者はそれ以上の理性でもって覆い隠すことはできますが、本質は知性を持った獣なのです」

「……」

「感情は時に大火をもたらします。憎悪となれば時に国を割り、滅ぼすこともあるのです。だからどうか、無闇に憎まれるような振る舞いはお控えください。あの姉弟を利用し、厳しくも優しき貴族としての振る舞いを身に付けてください。老骨としては、そう願わずにはいられないのです」


 言葉は穏やかに、されど芯の篭った言葉。

 立場は違えど、ルトよりも長き時を生きた先達の忠告。ましてや側近であるハインリヒ直々の諌言ともなれば、ルトも聞き入れぬわけにはいかなかった。


「……その忠告、しかと受け取った。最大限の努力をしよう」

「ありがたき幸せでございます。閣下」


 好々爺然とした笑みを浮かべて、ハインリヒが頭を下げる。その中に潜む一欠片の強かさに、ルトは溜息を吐きながら苦笑した。

──なるほど。確かに自分はまだまだ未熟だ、と。

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