第60話 終わりの宣告
物々しい雰囲気がサンデリカを包む。その中でも特に張り詰めた空気が満ちるのが、今回の騒動の中心であるトリストン商会。
道行く人々が何事かと注目し、徐々に人だかりが増え始める中。
「──来たか」
ガタゴトと音が響いてくる。やってきたのは大きな荷台を繋いだ数台の馬車。そして大勢の兵士たち。
軍の人間が現れたことで、喧騒は更に大きくなった。誰もが理解したのだ。現在が極めて逼迫した状況であることを。
「大公閣下。準備が整いました」
「そうか。狩りの方はどうなっている?」
「問題ありません。外に出ていた商会関係者、全員の拘束が完了したとの報告が」
「早いな」
「目星をつけていた者たちを中心に、何もさせるなと指示を徹底しておりましたので」
諜報員と思わしき者たちには、市民に変装した手練を当てて不意打ちで気絶させ。
それ以外の商会関係者に対しても、不審な動きを見せた時点で意識を奪うよう指示しておいたのだという。
流石は超大国の兵士、それも諜報分野に身を置くスペシャリスト。抵抗を許さぬ拘束能力を様々と見せつけてくれる。
「なら俺たちもさっさと済ますか。突入するぞ」
「ハッ! 第一、第二部隊は商会を包囲し、周囲の警戒にあたれ! 残りの部隊は突入! 内部の物を全て回収しろ! 証拠は一つたりとも見逃すな!」
「「「了解しました!!」」」
ルトの号令。それに従い行動を開始する兵士たち。
ついに法国の諜報員の巣、トリストン商会にルトたちは乗り込んだのである。
「まずはここの頭に挨拶をするとしよう。大佐、案内はできるか?」
「間取りは把握しております。こちらです」
ランドバルドに先導される形で、ルトは商会内を移動していく。
内部には異様な光景が広がっていた。日常生活の動作の途中でピタリと動きを止めている人間が、あちらこちらに存在しているのだ。
これはルトが魔神格としての力を使った結果。商会にいた全ての人間が、何の前触れもなくその時間を凍結させられたが故の光景である。
現実であるはずなのに、非常に現実感に乏しい空間。現在は兵士たちが動き回っているために騒がしいが、そうでなければもっと違ったはずだ。
今にも動き出しそうな『人形』の大群と、無音の空間。それはある種の芸術作品のようで、悪夢の如き不気味さを醸し出していたことだろう。
「──ここが支店長室となっております」
「ああ」
ランドバルドの案内に従い、扉を開ける。
扉の先に広がっていたのは質の良い、それでいて貿易商らしい異国情緒溢れる調度品の数々が並んだ部屋。
そして他と同じように凍結している者が一人。机の前でペンを握った状態で固まる、恰幅の良い男がいた。
「あの者がトリストン商会、サンデリカ支店の長。名はジェイクといいます」
「そうか。では話をするとしよう」
その言葉と同時に、男の時が動き出す。何事もなかったかのように、書類の上をペンが走る。
ルトが凍結を解いたのだ。商会の代表者とこれからの話を、いや宣告をするために。
「……? っ、誰だお前たちは!? 一体何時からそこにいた!?」
気配を感じたのかジェイクが書類から顔上げ、そして思い切り飛び上がった。
彼の視点からすれば、いつの間にか目の前に見知らぬ二人が立っていたのだ。驚くのも無理はない。
だがそんな彼の心情を汲み取っていられるほど、状況は穏やかではない。
「ほう? 俺を何者かと問うか。商人の割にはものを知らないようだ」
ルトが笑う。尊大に、それでいて震えるほどに恐ろしく。
魔神格としてのプレッシャーでもってして、目の前の商人を威圧する。
たとえジェイクのそれが正当な疑問、反応であったとしてもだ。交わす言葉は辛辣に。対応は微塵も容赦しない。
これから発動する強権は、それに見合うだけの振る舞いが求められる故に。
一つの国家を揺るがすほどの宣告を、腑抜けた態度で行うべきではないが故に。
「このような外見をした者が、この地に何人いると思う? 中々に目立つ特徴だと自負しているのだがな」
「っ、まさか……!?」
淡く輝く青髪碧眼。その特徴の持ち主をようやく思い出したのか、ジェイクが慌てて床に膝を着いた。
その顔には滝のような汗が。肩も小刻みに震えている。
状況は未だに把握できぬとも、尋常ならざる事態が引き起こっていることだけは理解したのだろう。
「青き髪と碧の瞳。その神秘的な御姿、コイン大公閣下とお見受けいたしますが、相違ありませんでしょうか……!?」
「正解だジェイク。少しばかり察しは悪かったが、可能性を思い当たったと同時に膝を着いた判断は素晴らしい。見事なものだ」
パチパチと軽くルトが手を叩く。だがその態度、その台詞。どちらもあまりに白々しい。
意味不明な現状に加えて、中身の込められていない賞賛。不穏という表現ですら生温い。
「……き、恐縮でございます。し、しかし何故、大公閣下がこのような場所に? その、一言申し付けていただければ、わざわざ御身自らに足を運んでいただかなくとも、私どもの方からお伺いしたのですが……。それかせめて、御来訪の先触れを出していただけたのなら、最大限の歓待を……」
言葉が止まらない。目の前に立つ大貴族を決して刺激しないよう、最大限に丁寧な言い回しを心掛けなければ。
下手を打てば命はない。そんな確信がジェイクにはあった。否が応でも理解させられるほどの敵意があった。
「安心しろジェイク。俺は、いや俺たちは客としてこの店にやってきたのではない。この国を守護する盾として、ここにやってきたのだ。──ランドバルド大佐」
「ハッ」
一瞬の目配せ。それだけでランドバルドは、ルトの意図を見事に汲んでみせる。
「ジェイク・トー。この商会の代表者である貴様には、我々に最大限協力する義務がある」
「きょ、協力……?」
「そうだ。現在、この商会は我々の制圧下にある。商会内の人間は一人残らず拘束し、後に尋問。商品、資料等の物品は全て押収。建物内もくまなく調査される。貴様にはそれらに対して全面協力してもらう」
「っ、お、お待ちください!! 一体何故そのようなことが!?」
驚愕の声が部屋に響く。いや、その叫びは最早悲鳴であった。
「そのような仕打ちを受ける理由が思い当たりません! あまりにも横暴ではありませんか!?」
「横暴ではない。これは正当な処置だ」
「ですから心当たりがないと言っているのです!! 我が商会は真っ当に商売をしています! 不正の類など行っていない!」
「不正が理由ではない。この商会に所属している二名が、お忍びで外出中のコイン大公閣下を襲撃した。それが理由だ」
「……は?」
衝撃の内容を伝えられ、ジェイクはただただ絶句した。
今までの勢いは何処にやら。横暴に対する反抗の気概は、瞬く間に消し去られた。
代わりに芽生えるのは恐怖。内容が事実ならば、とても自分一人では対処することができない大問題だ。
『下手を打てば命がない?』など、そんな領域ではない。自分一人の首では到底済まない。
この商会が、いや本店を含めたトリストン商会そのものが潰される。それで済めば万々歳とさえいえるほど。
「……お、お待ちを……」
「お忍びとはいえ、大公閣下は公爵家関係者と分かる出で立ちであった。つまり今回行われた襲撃は、お忍び故に起こってしまった悲劇ではない。ガスコイン公爵家への明確な敵対行為なのは明らかである」
「……お待ちください……!」
「この一件は到底見過ごせるものではない。貴様らがゼオン王国に本拠を置く以上、貴様らの祖国から我が国への宣戦布告とも解釈できるのだ。故に徹底的に調査する」
「お待ちください……!! どうか、どうかお待ちください!!」
それは懇願であった。他国にも出店している規模の大商会、その支店長として君臨する男。商人としては紛れもない成功者であるはずの男が、恥も外聞もなくランドバルドに縋りついていた。
「それは事実なのですか……!? 本当に、我が商会の者が大公閣下を襲撃したのですか!?」
「ああ。事実さ」
その必死の問いに答えたのはルトであった。
縋りつく哀れな男を慈しむかのような表情で、されどわずかな希望すらも打ち砕くかのように事実を並べていく。
「襲撃犯は死んでいない。俺の使った特殊な魔法によって、襲撃の体勢のまま氷漬けとなっている。俺が魔法を解除すれば、瞬く間に動き出すだろう。状況を理解できず、襲撃の続きを行おうとするかもしれない」
「あ、ああ……」
「当然ながら、その身体は綺麗なものだ。外傷など一つもない。身元の照合など容易い。元々、この商会には不穏分子が紛れていることは把握していた。職員の調査も済んでいる。だから言い逃れもできやしない」
「あああっ……!?」
詰み。どうしようもないほどに詰んでいる。弁明の余地などなく、状況を打開することすら不可能。
「哀れなジェイク。優秀なキミなら理解できるはずだ。祖国が戦禍に晒される間際だと。そしてキミ自身が、不穏分子の疑いがあるということを。自らを含め、大勢の命が喪われるかもしれないと」
救済を謳う聖者の如く、慈悲に溢れた声音でルトは終わりを告げる。
「この件は枯葉のように繊細だ。力加減を間違えれば、たちまち粉々に崩れてしまう。それはキミとて望んでいない。そうだろう? ──さあジェイク、泣いてないで早く答えろ。俺は『はい』の言葉を待っている」
「……か、かしこまり、ました。このジェイク、全面的に協力させていただきます……」
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