第59話 魔神の本領

 景色が流れる。街行く人々も、サンデリカを形成する建造物も。その全てをルトは無視し、一直線に茜色に染まる空を翔けていく。

 魔法で発生させた氷ならば、自在に操ることができる。その性質を利用した移動法。氷を足場にすることで、間接的な飛行を実現させているのである。

 この上なく目立つために、滅多なことでは使わぬこの移動法。だが事実上の有事である現在ならば、注目よりも移動速度を取るべきと判断。

 最短距離を一直線。シンプルであるが故に、その結果は如実に現れる。

 事前に打ち合わせていた地点に短時間で到着したルトは、そのままランドバルトの目の前に降り立った。


「──待たせたな大佐」

「っ、これは大公閣下! ……また随分と奇抜な登場でございますね?」


 流石に予想外だったのだろう。空から降り立ったルトを前にして、冷静な軍人であるランドバルトも言葉を詰まらせた。

 凍結させた神兵の上に立ち。その横には同じく凍結させた諜報員が浮かび。傍目から見ても尋常ならざる光景であるために、この反応も当然だろう。


「まさか空から降り立ってくるとは。やはり魔神の領域に立つ御方は、只人の常識など容易く越えてしまいますか……」

「便利なのは否定せんがな。中々に難しいんだぞコレ。氷を操るのは凍結の副次効果みたいなもんだから、あんまり融通効かないんだよ。想像通りに動かせはするが、この想像ってのが曲者でなぁ……」


 直線移動などの単純なものなら大して問題はない。『真っ直ぐ飛べ』といった具合に念じさえすれば、あとは角度と速度をざっくり指定すれば終了となる。

 だが複雑な軌道となると、途端に難易度が跳ね上がる。その軌道をしっかり脳内で描くか、詳細な軌道設定をその都度行わなければならないのだ。


「端的に言って、本当に移動にしか使えねぇ。この辺は魔神格としての能力よりも、俺個人の才能の問題だからな。マジでどうしようもない」


 上手く使うことができれば、様々な面で応用が効くようになるのだが……。歯痒いことに、ルトにはそうした才能はなかった。皆無ではないが、常人の域を出ないのである。


「魔神格は色々と持て囃されてはいるが……。何でもできるように見えて、地味にできないことも多いんだぞ?」

「鳥のように空を翔けられる時点で、破格も破格かと思いますが」

「まあな。ま、全能と万能の違いみたいなもんさ。大雑把に色々とできるが、全知全能には程遠いってな。──それよりもだ」


 適当な部分で会話を切り上げる。ルトの突飛な登場の仕方のせいで脱線してしまったが、重要なのはここからでる。

 ゴロリと中身入りの氷塊を転がし、ランドバルトの前に置く。


「嫌がらせは成功。収穫ありだ。コイツらに襲撃された。実行犯の神兵と囮の二人組。知った顔はいるか?」

「確認します」


 透明な氷の中で、ナイフを振るった形で固まる男。そして屈辱の表情で固まる男。

 動かぬ二名の顔を覗き込み、その次の瞬間にはランドバルトは頷いた。


「二名とも商会の職員です。間違いありません」

「──そいつは重畳」


 ランドバルトの断言に、ルトの口が孤月に歪む。

 商会のメンバーであると確定された今この瞬間、全てのピースは揃った。

 他国の商会に所属している人間が、領主の私兵を襲撃した。この時点で商会に踏み入る名分としては十分。

 そして襲撃を受けたのが、私兵のフリをした大公本人であったとなれば。事態は一気に国家間の問題にまで拡大する。

 戦争にすら発展させることが可能なこの状況。もはや遠慮は不要である。


「打ち合わせ通り、これより合図を行う。神兵、商会内の人間は俺が」

「外にいる商会の人間は、我々が全て拘束いたします」

「ああ。大公襲撃の非常事態だ。盛大にいこう。組織的犯行の可能性という名目で、関係者は全員しょっぴくぞ」


 言葉と同時に、ルトは全力で神威を放出する。

 神威は魔神格にしか知覚できぬもの。だがわずかとはいえ神威を宿す神兵が、その法則に当てはまるかは不明。少なくとも、まだ若輩な魔神格であるルトには判断がつかなかった。

 だが謁見の間の経験から、神威は互いに干渉することは知っていた。ならば感知できても不思議ではない。

 故に、こちらの動きを察知されないよう、大規模な力の行使は控えていた。

 しかし『大公襲撃』という名分を手に入れた今、その枷から解き放たれる。魔神格としての本領を発揮できる。


「……」


 ルトを起点に津波の如き勢いで、青の神威がサンデリカを呑み込んでいく。

 意思一つで無限に供給される超常の絵の具。それは理外の力の源であるが故に何も壊さず、障害物をすり抜け『青』が街を染め上げる。


「……一人」


 その途中、わずかな抵抗感。アクシアの時と同じ、神威による干渉。──そのまま押し流し、凍結。

 これが真なる魔神格であれば、抵抗など造作もないだろう。鼻歌交じりにこのような雑な攻撃など跳ね除ける。

 だが相手は神兵。英雄クラスの力はあれど、所詮は魔神格の眷属でしかない木っ端。如何に死力を尽くそうとも、魔神の暴威には逆らえない。


「……二人、三人……」


 青の神威に触れた神兵、その悉くが凍結する。抵抗も許さず、淡々と全てが処理される。

 これこそが魔神格、国一つ容易く呑むという力の一端。概念一つを掌握する、御伽噺の魔法としか言えない真のデタラメ。


「……こんなもんか」


 サンデリカ全体、そしてその周辺までを神威で満たし終えた時点で、ひとまず放出を止める。

 範囲内の神兵は全て凍結済み。ついでにトリストン商会の内部にいた人間も。

 これで懸念事項は粗方解決。敵戦力は大幅に低下し、商会内に存在するかもしれない証拠等も保護できる。


「あとは、と」


 最後の仕事として、サンデリカ上空に巨大な球状の氷塊を浮かべる。

 突然の異変に街全体が騒がしくなるが、その点については気にしない。

 これは事前に決めていた合図である。サンデリカの各所で待機してるランドバルトの部下たちに、一斉に狩りの開始を伝えるための。

 日が沈む前に空に氷塊が浮かぶ。それ即ち『名分確保、及び障害排除に成功。ただちに行動を開始し、商会関係者の全てを拘束せよ』という指示である。

 これによって状況は大詰め。誰もが大胆に動き始めるだろう。


「──良し。これで報告が来るまで、商会前で待機だな。応援の要請があれば俺も急行するが……」

「感謝します。ですが神兵が仕留められている現状、あまり必要ないかと。諜報員と思わしき者には手練を当てていますので」

「どちらにせよだ。商会内部の調査人員が到着するまでは待たなきゃならん。要請方法は、上空に火球の魔術だったか?」

「左様です。日も暮れ始めているこの時間帯ならば、一目瞭然かと」

「そうか。では行くぞ」

「ハッ」


 揃って移動を開始する。といっても、現在地は商会を目視で収めることができ、それでいて周囲よりも頭一つ高い建物。その屋根の上である。

 頭上ということで人の意識から外れやすく、高所故に見通しも良い。それでいて屋根の形によっては、意外と隠れる場所も多い。

 監視地点として優れた場所であるために、移動に時間は大して掛からなかった。


「……それにしても目立っているな。当然だが」

「中身入りの氷が浮かんでいるだけでなく、大公としての御姿ですから。注目されるのも無理からぬことでしょう」


 ルトの呟きに、ランドバルトが苦笑を浮かべる。

 それぞれが持つ技を使い、屋根から降り立った二人。そこから商会の前に至るまで、それはもう注目の的であった。

 ただでさえ、ビジュアルが色々と暴力的なのである。氷漬けとなった人間が二人に、魔神格としての姿で歩くルト。それに加えて、空に巨大な氷塊が浮かぶという異常事態。

 大公として身分があるために、誰もが声をかけることなく急いで道を開けていく。

 だがその内心では、道行く全員が何が起きるのかと戦々恐々としているのは明らかであった。


「まあいい。ここまで盛大にやっちまえば、相手側も引けまいよ。法国までは辿りつけやしないだろうが、その分トカゲの尻尾にされるであろうゼオン王国からは、存分にしゃぶらせてもらうとしよう」


 ナイフを振るった体勢。一目で襲撃の瞬間と判断できる形で凍結した男。その身元も割れている。

 これだけで言い逃れなどできやしない。政治的には勝ったも同然。


「リーゼロッテにも良い土産ができた」


 そう笑みを浮かべながら、ルトは沈黙するトリストン商会を眺めるのであった。

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