第56話 魔神の罠
「──本当にありがとうございました!」
海猫亭の店内。厨房の入口にて、ナトラが何度も頭を下げていた。
相手は海猫亭の店主と女将。ピークとなる少し前に到着し、そのまま現在まで話し続けている。
その間、ルトは店の出入口付近で待機していた。理由の半分はナトラに対する気遣い、もう半分は『ナトラを毛嫌いするタイト』という設定に合わせてのことである。
「……」
到着時から一貫して不機嫌そうな表情を浮かべ、面倒だという雰囲気を放ちながら壁に寄りかかる姿。そして申し訳程度に腰の剣に置かれた腕。はたから見れば渋々役目をこなすやる気のない護衛だ。
事実、来店してきた、またはすでに席に着いている客からは『何だアイツ』という懐疑の視線を。そして店主と女将からは、迷惑そうな視線をちょくちょく向けられている。
「はぁ……」
だが向けられる視線の数々は、ルトの擬態が効果を発しているという証明。
これみよがしな溜息を吐きながらも、誰にもバレないように周囲の把握を行う。
さりげなく確保したこの場は、店内と店外を同時に視認することが可能な好位置だ。
客はもとより、外を歩く通行人の様子も確認することができる。
「うおっ!? おいアンタ、変なところに突っ立ってんじゃ……い、いや、何でもないっス」
たまに来店してきた客に声を掛けられることもあるが、その時は不機嫌そうに睨みつけると同時に、分かりやすく腰の剣を揺らすことで話を終わらせていた。
そうして腫物を演じながらも、人知れず不審な動きをしている者を探り続け。
「おい! そろそろ時間だ。公爵邸に戻るぞ」
苛立ち混じりの呼び声。わずかに肩を跳ねさせたナトラを尻目に、再びわざとらしい溜息。
礼と別れの場面に水を差すこと、そして店の空気を悪くする言動には多少思うところはあるものの……。
残念なことにそれはそれ。領地、ひいては国益を天秤に載せた場合、比べるべくもない故にルトは躊躇しない。
「は、はい! それじゃあお二人とも、これまでお世話になりました!」
「おう! 頑張って出世するんだぞ! そんでうちに来て盛大に飲んでくれ。沢山オマケしてやるからよ!」
「辛いことがあったら戻ってきても良いの。だから無理だけはしないようにね。リックと一緒に仲良く、健康に気をつけるんだよ」
「はい!」
最後に別れの抱擁を済ませ、ナトラがルトのもとに戻ってくる。
目尻に薄らと浮かぶ涙。普段ならば空気を読み無言か、気遣いの言葉でもかけるのだが。
「長い。手短に済ませろと言っただろう」
「す、すみません……」
後々のことを考え、この場では叱責を選択。向けられる視線がより鋭いものとなったが、狙い通りであるために気にしない。
「行くぞ」
「は、はい」
ナトラを引き連れ海猫亭を後にする。……店内の一角、ほのかな白のオーラをまとう二人組の客を横目に捉えながら。
「店内に二、外を通ったのが二、うち一人は時間を置いて折り返し……」
「え?」
「こっちの話だ。指示を出すまで黙って歩け」
「あ、はい……」
記憶を言葉に。隣を歩くナトラにすら聞き取れないような小声でもって、海猫亭で得た情報を精査していく。
先に相手の巣に足を踏み入れたこともあり、囮の効果は上々であった。
ナトラという分かりやすい付属品もいたために、海猫亭に先回りしていた者たちが二人。僅かな神威をまとっていたために、神兵であることは確定。
同じ根拠から、通行人のフリをしていた神兵が二人いたことも確定。
外見を変化させることなく、無条件に只人を人類最強クラスまで強化する使徒の祝福は極めて恐ろしいが、神威を知覚できる魔神格ならば判別は容易となる。
「……むしろ問題は他の奴らか」
逆に一般の諜報員の方が、ルトにとっては鬼門であった。
神威という目印があったからこそ、神兵かどうかの判別はできたのだ。目印がない状態では、文字通りの意味で素人とプロの差がある。
人生のほとんどで不躾な視線を向けられてきた経験から、並の者よりは視線などに敏感な自負はあるとはいえだ。
日常に潜むことを生業としている者たち相手に、その感覚が何処まで通用するかは不明。
「推定、店内に一。通行人に二」
一応、店内と店外に疑わしき者は数名いた。現在進行形で観察されている気配もある。だが確証はない。
「……ふむ」
「っ、きゃあ!?」
誰にも気付かれることない刹那の時間で、ナトラに対して魔法を行使。片足の空間を凍結させ、一瞬だけ座標を固定し転倒させる。
「……何やってんだお前」
「し、失礼しました。な、なんか脚がもつれて……」
「チッ。鈍臭い奴め」
振り向くと同時にナトラを睨み、悪態をつく。わざと転ばせたなどとは微塵も思わせない、堂々とした態度である。
もちろん嫌がらせではない。目的はちゃんと存在する。転倒に反応することで、怪しまれることなく後方確認を実行したのだ。
──状況整理。神兵一名の尾行を確認。また、先程に海猫亭でチェックした諜報員と思わし人物も発見。限りなく黒に近いグレーと判断。
「さっさと立て」
「は、はい……」
ルトは思考する。この後に打つべき一手を。
主に諜報員関係で不確定な部分はあれど、囮としての成果は中々である。虎の子に分類されるであろう神兵を、何人も動員していることからそれは明らかだ。
となれば、ここで大胆な勝負に出るべきか。食いつきが確認できている以上、釣り上げに掛かるのは絶対。
そしてより大きな釣果を確定させるためには、更に深く食いつかせるべきであり。
「──やるか」
元よりこれは嫌がらせ。ローリスク・ハイリターンな賭けのようなものだ。ならば大博打を打つのも一興。
事前に想定していたプランの内の一つを選択し、実行に移すことにする。
「っ、まっ、きゃ!?」
「っと。お前、鈍臭いのも大概に……!」
手始めにナトラの足を再び魔法でもつれさせ、それを抱き寄せる形で受け止める。
二度目となればある程度の作為性を感じるが、転倒しそうになった当人が本気で戸惑っているので、それで多少はカバーできるだろう。
あとは怒りの表情にプラスして、好色の気配を混ぜれば目的の状況が完成。
「……た、タイト、様?」
「……」
不穏な空気を察知したのか、ナトラの表情にこれまでとは違った種類の怯えが宿る。
そこでルトは思い出す。詳細は聞いていないが、ナトラには権力者に対する、それも恐らく肉体関係を迫られたトラウマがあったなと。
となれば今から行う一手は、ナトラにとっては極めてキツいものになるだろう。
だが当たればデカく、外れてもナトラの好感度が下がる程度の一手だ。諸々の利益を天秤にかければ、躊躇する道理などありはしない。
「……意外と良い身体をしているな」
「ヒッ……!?」
抱き寄せたまま、ルトがナトラの耳元で呟く。
引き攣った悲鳴と跳ねる肩。その反応から、よほどのトラウマが刻まれていると判断。
故に好都合。ナトラが恐怖心を抱くほどに、状況の迫真さは増していく。素人に演技は期待できないが、その分ハマった時のリアリティはプロの役者すらも凌駕する。
「来い」
「い、いや……!?」
怯えるナトラの無理矢理引っ張り、近くの路地まで連行する。
トラウマを刺激されて半ばパニックになっているからか、ナトラの抵抗は本気のそれだ。
だが兵士として戦場に出たルトには敵わない。人体の構造理解した組討ちの技術に、戦場に立てるだけの強化魔術の練度。
圧倒的な戦闘技能の差によって、抵抗虚しく人気のない路地の奥まで引き摺り込まれてしまう。
「な、なんで、っ、やめて……!?」
「いい反応だ。そのまま抵抗してみせろ」
逃げられぬよう建物の壁に押し付け、ついでに手で口で塞ぐ。更に股下に膝を入れることで移動そのものを困難にさせる。
良心に従えば、演技だと一言告げてやるべきだろう。だが演技の気配が混ざる可能性も考慮すると、このまま通した方が無難と判断。……この外出の目的的に自力で察してもいいものだが、それすら叶わないほどにパニックになっている様子。トラウマは中々に根深いようだ。
「人間としては気に入らないが、女としては及第点か。安心しろ。しっかり可愛がってやるとも」
「んーっ!! んーっ!?」
下劣な悪意を全面に押し出し、ゆっくりとナトラの服の中に手を入れていく。
もちろん邪な態度は演技だ。ルトに下心など微塵もないし、本当に手を出すつもりもない。なんだったら自己嫌悪の最中である。
ただ得られるリターンが莫大であるために、良心を無視して行動に移してるだけで。
……ただそれはそれとして。後々に張り倒される覚悟はしておくべきだろう。うら若き乙女の心を傷つけた報いは、男として受けねばなるまい。そして慰めになるとは到底思わないが、献身に相応しい褒美は与えるべきだ。
信賞必罰。それこそがルトの信条であるからして。
「具合が良ければ愛人として迎えてやる。光栄に思えよ?」
「んーっ!! んーっ!!」
しかし、それは全てが済んでからだ。今はただ、暴漢と被害者の少女というシチュエーションに全力で身を投じるのみ。
「ぅぅ!! ……っ!!」
涙を流しながら、必死に身体をよじって抵抗するナトラ。
それに構うことなく身体をまさぐり、肌に舌を這わすルト。
マトモな場面ではない。後暗い事件現場だ。だがこれは悲しいことによくある光景でもあった。
「泣くんじゃねぇよ。せっかくだから楽しめよ」
文明が発達しようとも、不幸な目に遭う者はいる。倫理観が未だに成熟しきっておらず、過去の時代よりはマシだとしても命の価値は相応に軽い。
弱者が搾取されるのはある種の摂理。その証拠に誰も助けにこようとしない。大通りで堂々と少女が路地に引き摺り込まれたのにも拘わらず、だ。
無関心なのではない。ただ見ず知らずの少女のために、わざわざ危険に首を突っ込もうと考える者がいないだけだ。犯行現場が衛兵の加勢が期待できない、人気のない路地の奥となれば余計に。
よほどの正義感がなければ、よくある不幸で片付けられてしまう。自身に火の粉が飛んでこないのなら、悲しいできごとだったで終わってしまうのだ。
「──そこで何をしている! その娘を離すんだ!!」
──だからこそ、この状況で首を突っ込もうとする者は決してマトモではない。
「掛かった……!!」
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