第55話 狩りの前の嫌がらせ その二
トリストン商会。他国に本拠を置く貿易商であり、主に調度品や民芸品を扱っている。サンデリカでは中堅クラスに位置する商会。
「この先だ。そこに建ってる商会で適当に手土産を調達しろ」
「……念のため確認しますけど、その商会を選んだ理由ってありますか?」
「なければ指定なんかするかよ。詳細を説明することはないが、とりあえず重要施設とでも思っておけ」
なにせその商会は法国の諜報員が潜むための隠れ蓑。言ってしまえば獲物の巣。
そこに身分を隠した上で堂々と乗り込み、客としての立場で直接商会内を見定める。ついでに獲物である諜報員たちをわざと刺激しようとしているのだ。
「ただ気にするな。お前がやることなんて特にない。中では会話は最低限に留めて、今から渡す金額分を自由に買い物するだけだ。それでも不安か?」
「うぅ、当然じゃないですか……。だってこうして動いてるってことは、結構な重大案件ですよね? 私そういうのやったことないんですよ?」
つい先日まで魔術が達者な一般人でしかなかった身としては、重要な役目、それも演技が必要になりそうな役目を振られても困るというのが、ナトラの正直な感想であった。
嫌だとかそういう感情以前の問題で、端的に言うと怪しまれない自信がないのである。
「心配するな。お前は普通にしてればそれでいい。こっちでそれっぽい空気を出しておく」
「この状況で普通にしろって言われる方が、色々と苦しくなるんですが……!」
「だろうな」
不安と緊張で若干挙動不審になってきたナトラの訴えに、ルトは平坦なトーンで言葉を返した。
緊急事態で焦るなと言われれば、大抵の人間は逆に焦るものである。普通にしていろと言われた場合も同様だ。
だからこの反応は予想通りであり、むしろこうなることを狙っていた。
なのでルトは落ち着けとナトラを宥めることもなく、その慌てようを叱責することもしない。
「ナトラ。もうすぐ到着だが、これだけは気をつけろ。俺は不機嫌そうな表情をずっと浮かべているが、機嫌伺いのようなことはするなよ? お前からは話しかけるな。俺が話しかけた時だけ返事をしろ」
あえて緊張はさせたまま、注意事項だけを伝えていった。
「は、はい。了解しました」
「そうだ。それでいい。言葉も最低限だ。『はい』や『いいえ』、あとは『すみません』とかにしろ」
「わ、わかりました」
「よし。じゃあ買い物と洒落こむぞ」
必要な指示出しを済ませ、ついにルトとナトラは件の商会が存在する通りに足を踏み入れる。
それと同時にルトの雰囲気が変わった。元から捻くれ者特有のガラの悪さが滲み出ていたが、今のルトは不機嫌さと刺々しさが加わっていた。
「っ……」
釣られてナトラの動きも固くなったのはご愛嬌か。先日の脅しに酷似した雰囲気をルトがまとったことで、なんとか誤魔化していた苦手意識が首をもたげてきたのだろう。
常識的に考えれば、ナトラのこの反応は失態である。なにせ明らかに怪しい。やましい何かがあるのかと勘繰られるような挙動だ。
だがルトにとっては好都合であった。ナトラの動きが固くなればなるほど良い。更にそこに怯えが加われば最高だった。
なにせ用意したカバーストーリーは、そちらの方がより信憑性を増すのだから。
「──いらっしゃいませ。本日はどのような品をお求めでしょうか?」
店内に入ると、従業員の一人が声を掛けてきた。中堅に位置する、それも調度品などの単価の高い品を扱うだけあって、接客の質は悪くないようだ。
ただ気になったのは、声を掛ける直前にルトの腰に吊るされている剣、ガスコイン公爵家の家紋の入った私兵用の装備に一瞬だけ視線を向けたことだろうか。
それが諜報員としての癖なのか、それとも商人として客の諸々を見定めようとしただけなのかは不明ではあるが……。
ひとまず目敏い者が一定数はいそうだと考えながら、ナトラの背中を軽く押す。
「ひ、ひゃい!」
「この者が恩人に手土産を贈りたいそうでな。酒場を経営している夫婦だそうだ。何か良さそうな物を見繕ってやってくれ」
「かしこまりました。それではお客様、ご希望の品などはございますでしょうか? お悩みでしたら、お相手のことを教えていただければ私が候補を挙げることも可能です」
「え、えっと……」
「おい。あまり時間は掛けるなよ。さっさと済ませろ」
「り、了解しました!」
威圧的な言い方でナトラにプレッシャーを与えていく。
こうすればナトラの挙動不審な態度が、ルトに対する緊張や恐怖が理由だと錯覚させることができる。
確実に誤魔化せるとは思っていないが、素人に下手に演技をさせるより、それっぽい理由を付けた方が遥かにマシな結果になるであろうという判断である。
ただ幸いなのは、ナトラが本気でルトに苦手意識を持っていることだろう。声音などに滲む怯えの色によって、役目に対する緊張などが塗り潰されているようだ。
ナトラには気の毒だとは思うが、店内ではこのままトラウマに苛まれていてほしいところであった。
「──飲食店を経営しているご夫婦ということでしたら、この辺の品などはいかがでしょうか? あとは贈答品の定番ですが酒類ですね。当商会では調度品を主に扱っていますが、貿易で手に入れた珍しい地酒も少数ですが取り扱っております」
「え、えっと……。ちょっと考えさせてください!」
「もちろんでございます。何かございましたらまたお声掛けください」
そうして従業員がナトラから離れ、後ろで控えていたルトの方に移動してくる。
「お連れ様の方は、何かお求めの品はございますでしょうか?」
「悪いが仕事中だ」
「おやそうでしたか。私的な買い物のようですし、てっきりお二人でお出掛け中なのかと」
「面白い冗談だ。そこまでの仲に見えるのか?」
心外だとルトは従業員に返す。できる限り不機嫌そうに、ナトラに怯えられるのも当然だと思われるように。
何も知らない者からすれば、それは紛れもない本音に聞こえることだろう。
なにせルトの演技力は筋金入りだ。祖国では常に無能を演じ、一度は帝国すらも欺いたその手腕は、並の者では見破ることは難しい。
違和感を覚える者がいるとすれば、それこそ常に気を張ってるような人物であるだろう。
「人前だとつい冷たい態度を取ってしまう。そのような人物もいらっしゃるので」
「餓鬼の所業だろそれ。若いのは否定しないが、そこまで幼いつもりはないが?」
「左様でございますか」
会話が途切れる。あまりルトに会話を続けるつもりがないと察したのだろう。
「──決めました! あ、あの、これください!」
それと同時に、ナトラの声が店内に響いた。
ナイスタイミングだと、内心でルトは笑う。今の声に釣られて従業員が離れていった。
演技力には自信があれど、諜報員の可能性がある人物との会話というのはやはり面倒だ。
最低限に済ませられるならそれに越したことはない。何故ならルトの目的は調査ではないのだから。
「終わったのなら行くぞ」
「は、はい! あ、店員さんもありがとうございました」
「いえいえ。また当商会にお越しくださいませ。お連れ様も是非」
「機会があればな」
そうしてルトとナトラは商会を後にした。
少し進んだところで、ルトはチラリと背後に視線をやるが……。
「……特に動きはなし。まあ当然か」
このタイミングで即座に動きだすなど、プロの諜報員がする訳もないのだ。
どちらにせよ種は撒いた。公爵家の家紋付きの剣を吊るした護衛に、酒場を経営する夫婦が恩人という少女。
これだけの情報があれば、ナトラがどういう人物なのか一目瞭然。
あとは商会に潜む諜報員たちの出方次第だ。
「このまま聞けナトラ。監視の可能性を考慮し、外出中は商会での態度を継続する。良いな?」
「は、はい!」
「では海猫亭に向かうぞ」
──凶悪すぎる囮を使った罠猟が始まった。
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