第54話 狩りの前の嫌がらせ その一
「──それでは行ってくる」
各陣営が準備を済ませ、迎えた翌日。日が沈み始める宵の口。
帝国軍が水面下で諜報員狩りの部隊を展開する中、ルトも自らが挙げた計画のために動き出していた。
「閣下。無駄な心配とは思いますが、お気をつけて」
「余計な言葉を付けるな。そこは素直に案じるところだぞ、ハインリヒ」
「いや失敬。どうしても閣下の身に何か起きるとは思えませんで。心配ごとがあるとすれば、閣下がナトラ殿を泣かしたりしないことでしょうか?」
「俺がそんなことする性格だとでも?」
「現にさっき泣かせかけてたではありませんか。目の前で弟を凍らせて」
「……まあ否定はせん」
計画の一部であり、つい先程に行われた事実をハインリヒに指摘され、ルトは若干気まずそうに目を逸らした。
事前に通告しており、なおかつ安全は確約していた。それでもルトの手によって氷漬けとなったリックを前にして、ナトラは大層狼狽えていたのだ。
「閣下の、魔神格の魔法がこの世の理から外れているとはいえ、あの光景はかなり衝撃的ではありましたな。涙目になるのも当然です」
「見た目だけだ。アレは氷漬けになってるようにしか見えんが、実際は『存在』そのものを凍結させてる。大雑把に言っちまえば時間停止。物理的に凍ってる訳でもないし、ましてや死んでもいない。俺が念じれば即座に元通りになる」
「相変わらずデタラメですな」
「同感だ」
至極当然のように語られた内容であるが、その実態は滅茶苦茶もいいところ。なにせルトですらそう思っているぐらいなのだから。
概念そのものを操り、自在に歪ませる魔神格の魔法。無から有を容易く生み出し、一と一を足して万とする理外の代物。
この世の法則、それこそ『魔術』ですら詳細が解明されていないだけでれっきとした物理法則である中、明らかに異質な神の御業。
詳細は不明。分かっているのは法則に従う側ではなく、法則を創造する側の権能であること。そして超越者特有の感覚から、このデタラメすらも世界に許容されているという事実のみ。
確信があるからこそ多用している力ではあるが、それはそれとして意味不明な力だというのがルトの素直な感想であった。
「で、そんなデタラメを人に向けても問題ないと、分かりやすく証明するため、リック殿をわざわざ実験台にしたと」
「人聞きの悪いことを言うな。人間に悪影響がないと実例で示せば、色々な面で今後は堂々と使えるからな。良い機会だったってだけさ」
人体に対する事実上の時間停止。その活用法は多岐に渡り、害することも守ることも可能。
しかしだ。色々と便利な力であるが、理外の力であるが故にどうしても不安は付きまとってしまう。特に守る方面となると余計に。
だから先んじて安全性を証明しようとルトは考えたのである。ついでにリックを干渉不可能にすることによって、余計な不安の種を潰そうとも。
「やられた、また巻き込まれる側としては堪ったものではありませんな。お二人に同情しますよ」
「主の命に従うのが臣下の役目だろ。俺は間接的な主みたいなもんだがな」
「臣下の教育も始まったばかりの者には、中々に酷ではないですかなぁ。特に姉弟は先日まで平民で、それでいて役職は発明家なのですから。我らのような兵士や、日常的に命令を受けている使用人と同じというのは、少しばかりいかがなものかと」
囮として現場に引っ張り出されたり、実験のために氷漬けになったり。なんとも不憫な扱いであると、ハインリヒは小さく溜息を吐いた。
囮ですら荒事に慣れていなければハードルは高いというのに、氷漬けにされるなど兵士であっても遠慮したいところだ。安全だと分かっていても、本能的に拒否したくなる。
それを丁度良いからという理由で、容赦なくそうした役割を振られるのだから、とことん姉弟にとってルトという人間は鬼門なのだろう。
「ナトラ殿。以前にも念押ししましたが、閣下の無茶振りに対してはしっかり声を上げるのですぞ。必要だと判断してる場合は聞く耳持ちませんが、それはそれとして口答えなどで処断するような御方ではありません。閣下限定かつ、公爵家の名に傷を付けない範囲でなら遠慮は要りませんよ」
「え、あ、はい……」
「……苦手意識がある割にはやけに口煩いと思ってたら、お前の入れ知恵かクソジジイ」
「優しくしろと命じられておりますので。それを抜きにしても、か弱い姉弟が閣下に振り回されるのは忍びなく。何か問題がありましたかな?」
「打ち解けてるようで何よりだよ……」
真横で小さくなっているナトラに対して、幼子を眺めるような視線を向けるハインリヒ。
公私混同することはまずないだろうが、それはそれとして同情をきっかけに、私の部分では順調に絆されているらしい。
「はぁ……。子供好きの年寄りにこれ以上絡まれたら長くなる。ほれ行くぞナトラ」
「は、はい大公様!」
「ナトラ殿、気をつけるのですぞー!」
色々と面倒そうな気配を察知し、ルトはナトラを引っ張り移動を開始した。
ハインリヒの視線、主にナトラに向ける好々爺のそれが若干鬱陶しかったのである。こう、幼子に対する注意事項が延々と吐き出されそうで。
「ったく、あのジジイは。相変わらずの絆されやすさだよ。無能な王子に入れ込むだけある」
「えっ、と。ハインリヒ様にはとても親切にしていただいています」
「見りゃ分かるわ。アイツは他人に甘いんだよ。それも俺らぐらいの年代から下には相当だ。まあ、色々あったんだとよ」
軍の高官から左遷されたりと、ハインリヒの生涯は中々に壮絶だったりするのだ。
ルトの知る限りでも、妻と子に先立たれていたり、親戚とも左遷を機に疎遠となっていたり。
そうした諸々から人情に篤く、特に子供や孫の年代の者にはダダ甘なのである。
「で、お前はあのジジイに何て言われた? 主に俺関係で」
「え、いや、その……」
質問の返答は、やけに歯切れの悪いものであった。内容がよろしくない、などではないだろう。悪意ある陰口の類を叩くには、あの側近は忠誠心がありすぎる。
ならば予想されるのは一つだ。
「別にジジイが何を言ってようが怒りはしねぇよ。お前はもちろん、ハインリヒもな。ああやって目の前でどうこう言った時点で、追求されるのは予想の内だ。だから話せ」
「……貴種にあるまじきチンピラ具合ですが、それに反して物凄く温厚な御方だと。自分たちの態度が許されてるのですから、私たちもそれぐらいのユルさで問題ないと」
「それでお前は真に受けたのか。別に構いやしないが、随分と素直だなオイ」
「い、いえ! 最初はもちろん無理だと言ったのですが。そしたらその……」
ナトラいわく、何度もハインリヒに念押しされたらしい。
そうやって不満を溜め込むのはよろしくないと。ルトは必要となれば容赦なく強制する人間ではあるが、その代わりに相手の意見に耳を傾けるぐらいはする。
また意外と協調型でもあるため、議論にも応じてくれるし代案を受け入れることもあると。
そもそも発明家は考える役職なので、唯唯諾諾と従っているのはよろしくなく、疑問を始めとした意見などはしっかりと訊ねる方が、ルトやリーゼロッテからすれば好ましいはずだと。
「なので会話ができている状況なら、『何故』ぐらいは訊ねても損はしないだろうと。あと、本当に怒っている時は、口よりも先に魔法が飛んでくる。だからそうじゃないのなら気にするなって。口調が荒っぽいのと不機嫌そうなのは、素の性格と私の教育不足があるので、申し訳ないが慣れてくれとも」
「あ、あんにゃろう……」
予想以上にボロクソに言われていたことが判明し、流石のルトも頬を引き攣らせた。
前半はまだ良かった。フォロー、アドバイスとしても順当な内容であったし、ルトも同意見な部分も確かに存在している。
だが後半はシンプルな暴言である。ルトを貶めるための言葉ではないだろうが、もう少し言い方はなかったのかと思わずにはいられない。
宣言した通り怒るほどのことではないが、それはそれとして味方に背中を蹴飛ばされたような気分であった。
「……い、いや、うむ。言いたいことはなくはないが、ひとまず分かった。ハインリヒの入れ知恵と、お前らの中の反抗心が湧き出た結果ってことだろ?」
「反抗心なんてそんな……!」
「別に怒るつもりはないっての。好まれてるなんてそもそも思ってねぇ。むしろ嫌わない方がどうかしてる」
騙し討ちで殺そうとした挙句、その後もちょくちょく叱責したり振り回しているのだ。
内容の妥当性に拘らず、反感の感情を抱いていても不思議ではない。
そこにルトの側近であるハインリヒからの入れ知恵が加われば、態度に出てくるのもある意味で必然だろう。
「それにハインリヒの言葉も正しい。臣下の態度をいちいち気にする方がみみっちいだろうよ」
極論言ってしまえば、職務に支障がなければどうでもいいのだ。
ルトの部下たちがいい例だろう。ルトに対してふざけた台詞を吐く者もいるし、ルトの朝食を狙う不届き者だっている。
普通に考えれば厳罰ものの所業であるが、兵士としての職務には忠実であり、対外的な対応もそつなくこなす者たちであるが故に、ルトは彼らの態度に目を瞑っている。
「だからあのジジイの言う通り、俺への態度は好きにしろ。実害のない範囲でなら見逃すさ。……だがこれだけは肝に銘じろ。あくまで俺だけが特例であり、許す範囲も身内の場だけだ。そこは履き違えるな」
「は、はい! それはハインリヒ様からも念押しされております! 勉強は疎かにせず、公爵家の名に恥じぬ立ち振る舞いは絶対に身に付けろと。……そうすれば大公様を大手を振ってからかえるとも」
「あのジジイ……!!」
妙なコミュニケーションの方法を吹き込むなと、後で絶対に文句を言おうとルトは決意した。
冗談ではあるのだろうし、本気で主の名誉が損なわれるようなことになれば、烈火の如く怒り狂うのだろうが……。
それはそれとしてこの野郎と思ってしまうのが人情である。
「……まあ良いさ。ただ度を越さないように注意しろよ。一線越えても俺は何もせんぞ」
「は、はい!」
「じゃあこの話は終わりだ」
最後に警告だけして、ルトは雑談を終えた。
「さて。そろそろ公爵邸の範囲から出る。人通りも増えてくるから、伝えておいた通り呼び名は変えるぞ。今から俺はお前の護衛にして、公爵家の従僕のタイトだ。間違えるなよ?」
「は、はい! タイト様!」
「頼むぞ本当に。誤魔化しの効く名前にしたとは言え、間違いはない方が良いんだからな」
「き、気をつけます!」
やけに力の入った返事が返ってきたが、そこはもう仕方ないことだろう。
囮など初の経験だろうし、そもそもナトラに演技ができるとも思っていない。
その辺を考慮した設定、言い訳は考えているので、そこに関しては不安などない。
「むしろ、か……」
それ以上に不安なのはルトの方だ。なにせ相手にルトの姿を知られている可能性があるのだから。
一応、この街で公の場に出たのは、サンデリカ到着初日のみ。その際には魔神の姿で登場したし、顔出しも短時間ではあった。
現在は街をぶらつく際の通常モード。髪も瞳の色も異なるし、大公という立場にいる者が頻繁に街をぶらつく訳がないという、常識の守りもある。
だが相手は諜報員。それもルトの同類である使徒の祝福を受けた者だ。
魔神格が気分で身体的特徴を変化させられることを、相手が承知している可能性は高い。
バレたところで後ろに控える本命には大した影響はなく、逆に丁度良い威圧になるとはいえだ。
上手くいって欲しいというのが、嫌がらせを立案した者としての本音である。
「……えっと、タイト様。このまま海猫亭に向かえば良いのでしょうか?」
「いや、礼を伝えに行くんだろ? なら手土産は必須だろうよ。ある商会に向かうぞ。指示は出すから先導する体を取れ」
「は、はい」
はてさて。一体どうなることだろうか?
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