第49話 不良大公とルール設定

 納屋から公爵邸に戻ったルトであるが、その後はとても珍しい場所に移動していた。

 その場所とは執務室である。形式的に用意されていたが、公爵邸で暮らして以来一度も使ったことのない自身の執務室に、ルトは夕方まで篭っていた。

 それはとても異例なことである。何度か息抜きとして出歩くことはあったが、ほぼ一日中ルトは仕事していたことになるのだから。


『閣下。少々よろしいでしょうか?』

「ハインリヒか。入れ」

「失礼いたします。……まさか本当に自らお仕事をなさっているとは」

「入った途端にそれか。随分な挨拶だなジジイ」

「日頃の行いというものでございます」


 何か用事があって執務室を訪ねてきたハインリヒですら、思わず目を丸くするほどだ。

 それだけルトは働かないイメージが強いのだ。今日を含めたここ数日は嫌々ながらも精力的に活動しているが、やはり一度定着してしまったイメージというものは強い。


「実際どういう風の吹き回しで? 閣下が自らお仕事をなさるとなると……やはりあの姉弟の件ですかな?」

「ああ。詳細は機密につき説明できんが、あの姉弟はリーゼロッテの臣下であると同時に、俺の監視下に入っている」

「そのようで。機密である以上は訊ねるつもりはございませんが、随分とまあ厳しく管理するのですな」

「それだけ扱いが面倒なんだよ。あの馬鹿姉弟は」


 異なる世界の、現代よりも進んだ文明の知識の持ち主。それも会話した限りでは、リックはルトの脳内に刻まれた『男』よりも遥かに専門的な知識を有している可能性が高い。

 だからこそルトは神経を使っているのだ。始末の選択肢を常に脳内に控えさせておくぐらいには。


「で、頑張って管理に拘わる部分をこうして明文化してるんだ。口頭で禁止事項は伝えたが、こういうのはしっかり形にして共有しなければ話にならんからな。有耶無耶で進めたら碌でもないことになるのは目に見えている」


 口頭でのみ伝えた規則など、むしろ存在する方がこの場合は害悪である。お互いの認識の齟齬から、何処かのタイミングで問題が発生する可能性が高い。

 明文化していないがために、『流石にこれはやらないだろう』と『これぐらいならやっても許されるだろう』というすれ違いが起こった例を、ルトはいくつも知っている。

 ランド王国で無能として外野で眺めていた時も。別世界の男の記録を脳内で確認している時も。世界を超えて確認できるぐらいには、この手のすれ違いから生じるミスはありふれていた。

 姉弟たちからすれば自分たちの命が、ルトからすれば最重要機密が。双方にとって見過ごせない損失が発生するのは明らかである以上、しっかりと明文化させて対策を取るのは当然であった。


「だから早い内にその辺の協議をしようと、今朝はアイツらの下に向かったんだが……」

「なるほど。そのためにわざわざやって来たのですか。てっきり面白半分であの二人に説教をしに来たのかと」

「テメェはマジで主を何だと思ってんだクソジジイ。その沸いた頭、この場で冷やしてやろうか?」

「はっはっはっ。それはもっと暑くなってきたらお願いしたいですな」

「図太いジジイめ……」

「主に似たのですよ」


 怒気混じりのツッコミすら飄々と受け流されたことで、ルトは大きく溜息を吐いて話を戻すことにした。


「ともかくだ。結果として協議はできなかった。もっと優先するべきことが判明したからな。だからこうして素案だけでも作ってるんだよ」

「あ、素案なのですね」

「当然だろ。基準の設定にはかなり専門的な知識が必要になる。立場の差で一方的に押し付けるより、当事者の意見も参考にした方が質も上がるし、その上で利益も出しやすい。あの姉弟は俺とリーゼロッテの共同管理しているようなものだからな。相応の配慮はいる」


 別世界の知識をどこまで活用するかといった基準を、ルトが一方的に決めつけることはできない。

 リーゼロッテが利益を求めて姉弟を確保した以上、過剰な制限を掛けて妨害してしまうのはよろしくないのだ。

 かと言って制限を緩くしてしまえば、ルトが神経を尖らせる意味がない。

 なのでできる限り正確な基準を設定する必要があるのだ。そのためにはリックがどれだけの知識を有しているかを確認する必要があるし、魔術関係ではナトラの知識も必要となるだろう。


「あとはこうして協議の姿勢を実感させることで、疑問や意見を溜め込まないようにさせる狙いもあったりする。俺だって完璧じゃねぇからな。抜け穴や間違い、矛盾は絶対にあるし、その辺を都度修正できるようにしたいんだよ」


 現状では強烈な脅しを掛けたこともあって、姉弟たち側からそうしたコンタクトを取るのが難しくなってしまっている。

 別世界の知識という繊細な重要機密を扱う上で、それはあまり好ましくないのだ。


「それならばもう少し姉弟に手心を加えるべきでは? 今朝のように叱責ばかりしているから、ああも萎縮されるのですよ」

「もう十分に手心加えてんだよなぁ……」

「教育が進めばあの二人もそれは理解するでしょうが、現段階では難しいかと。あの叱責も実態はともかく、魔神として威圧もしたという閣下からとなると……」

「お前らがせっかく良好な関係を構築しようとしてたんだ。あの状況では俺が言うべきだろうよ」


 リーゼロッテの指示があると聞き、ならばこの場は自分が憎まれ役を演じた方が効率的だと判断した。だからルトは叱責したのだ。


「それでどうすれば相談されやすくなるかを、この場で頭を悩ましていては世話ないではありませんか」

「別に仲良しこよしをしたい訳じゃねぇんだ。ただ職務上で風通しがよければ十分だ」


 だからコレでいいのだと肩を竦めるルトに、ハインリヒはなんとも言えぬ表情を浮かべる。


「いっそのこと、叱責せずに見逃しても良かったのでは? 確かにあの二人の振る舞いは臣下としては落第でしたが、表に出す人材でもないのでしょう? ならばそこまで急ぐ必要もないかと。もちろん教育自体は必須ですが」

「お前それ俺を基準にしてるだろ。俺が言うのもアレだがちと毒されすぎだ。あの馬鹿姉弟の主はリーゼロッテだぞ。正真正銘の姫君が、臣下の粗相をどこまで見逃すと思ってやがる」

「……ごもっともですな。私が考え足らずでございました」


 そう。ルトがあくまで例外なのである。

 庶民的感覚を持ち、超越者の視点から只人の振る舞いに大した価値を見出していないからこそ、他者の礼儀作法にいちいち目くじらを立てないのだ。

 対してリーゼロッテは元皇女。貴人に相応しい教育と価値観を備えており、その辺りに関しては間違いなく厳しい。

 相手の価値観に合わせる柔軟さも持ち合わせてはいるが、わざわざ臣下に合わせる訳もないのだから、むしろ先んじて教育を指示したのはルトのファインプレーと言える。


「……なんといいますか、そうした部分をもう少し分かりやすくすれば、あの二人もすぐに閣下に懐くでしょうに」

「ああ? 何が言いたいんだお前」

「そんな風に回りくどく気を回すのでなく、もう少し直接的な優しさを見せてはと思ったのですよ」

「気色悪いこと言うな。ただその都度効率的だと思った行動を取っているだけだ」

「そういうことにしておきましょう」

「鬱陶しいジジイだなオイ……」


 なんとも生暖かい眼差しを向けられたことで、ルトは顰めっ面で舌打ちを零した。

 ルトとしてはそういうつもりなどないのである。ただ合理と効率を優先した選択肢を選んでいるにすぎない。

 単に相手の感情など要素も踏まえた上で判断する場合があることから、結果的にそのように感じられることがたびたび起こるだけで。


「……まあ良い。話をちと変えるが、コレを持ってけ」

「これは?」

「こっちの素案を組むついでに作った、監視用の基準だよ。機密部分はぼかしてあるから、ありきたりな内容しか書いてないがな」

「ああ。これはこれは。確かにあると助かりますな」


 姉弟たちだけでなく、監視するルトの部下たちも似たような基準は必要であろう。

 なので姉弟たち用の書類を作成しながら、監視用のマニュアルも用意しておいたのである。


「基本的に特別なものはない。逃亡、外部との無許可な連絡など、その辺の行為が確認され次第始末しろ」

「聞いていた通りでありますな。して、疑惑の場合は如何しますか?」

「その辺は記してあるが、斬れ。リーゼロッテとも話はついている」

「畏まりました。では他の者とも共有しておきましょう」


 容赦はするなというルトの言葉に、ハインリヒは特に疑問を浮かべることなく頷いてみせて。

 姉弟と友好的な関係を築こうとしていても。ルトとの会話では姉弟寄りの意見を出していても。

 ハインリヒは、そして部下たちは歴戦の軍人である。故に重要な部分では極めて冷徹に。情を交えることなく命令に従うのだ。


「……ああ、ただ閣下。この件に拘わる点で一つよろしいでしょうか?」

「何だ?」

「実を私がここを訪ねた理由でもあるのですが、あの二人が外部と連絡を取りたいようでして」

「……あ? あの馬鹿どもは鶏か何か? 昨日の今日で〆られるのを望むか」


 ハインリヒから報告された内容に、自然とルトの声音が冷気を帯びる。

 明文化していないとはいえ、昨日の段階でしっかり口頭で提示したはずの条件に早々反するような素振りを見せられたのだから当然だ。

 だがそんなルトの反応に、ハインリヒはいやいやと首を振りながら頭を下げた。


「ああ、いえ。私の言い方が悪うございましたな。実際にそうした訳でも、素振りを見せた訳でもございません」

「では何だ?」

「ちょっとした会話の流れで零していたのですよ。なし崩し的に軟禁が決まってしまったが、せめて恩人である酒場の夫婦には別れの挨拶をしたかったと」

「……」


 言われてみれば確かにそうだろう。姉弟たちはルトの下を訪ね、そのまま公爵邸に軟禁が決まったのだ。あまりにも唐突であったことは否定はできない。

 一応、騒ぎを避けるために公爵家から使いを出したとは聞いているが、決して姉弟たちがそれを伝えた訳ではない。

 身の上話を聞く限りだと、海猫亭を経営する夫妻は、姉弟がドン底の状況で色々と世話になった大恩ある者たちのようであるし。

 せめて別れの言葉を伝えたいというのは、人情ではあるのだろう。


「それで、お前は俺にどうしろと言うんだ?」

「いえ、最初は報告だけのつもりでしたが。今までの会話で、案外丁度良いのではと思いましてな」

「何がだ?」

「協議してみてはいかがですか? この件に関してあの二人と。結論をどうするかというのは一旦置いておきまして。職務上の風通しをよくする第一歩としては、案外丁度良い内容かと」

「……なるほど?」


 その提案は、ルトとしても一考に値するものであった。

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