第48話 不良大公の信条
公爵邸の庭外れにある納屋。屋敷の者たちからは普通に納屋と認識されており、実際にその扱いも納屋そのものである。
だが庶民的な感性を持っているルトからすれば、公爵邸のそれは納屋とは言い難いものであった。
なにせその大きさは一般的な平民の一軒家よりも上等で、生活に必要な設備さえ揃えてしまえば家としても十分に機能する代物であるからだ。
そしてルトと同じような、いや正真正銘の庶民であった姉弟も同様の感想を抱いていたようで。
アズールに連れられて納屋に辿り着いたルトが目にしたのは、恐縮そうな表情を常に浮かべている姉弟たちの姿であった。
「──そんな風に畏まる必要はありません。ここはリーゼロッテ様が、貴方たちのこれからに必要だと判断したからこそ与えられたもの。感謝こそすれど、申し訳なく思うのは間違いですよ」
「それは理解してるのですが……」
「立派すぎて流石に……」
「はっはっはっ。大貴族に仕えるというのはそういうものですよ」
予想以上の代物を与えられて及び腰になる姉弟と、それに笑みを浮かべるハインリヒ。更には他の監視の部下たちまで苦笑を浮かべている。
その光景は極めて和やかであり、意外なことに姉弟とハインリヒたちの関係は良好のようであった。
「随分と親しそうだなお前たち」
「っ!? た、大公様!? 失礼しました!」
「も、申し訳ありません!」
「何で声掛けただけで謝ってんだお前らは……」
たった一言。それだけで表情を蒼白に変えた姉弟に対し、思わずゲンナリとした声が出る。
立場故に突然の出現に驚かれることはあれど、このように恐怖されるのはルトの人生でも初の経験であり、なんとも微妙な気分である。
「ふむ。逆に閣下は随分とこの二人に嫌われてますな」
「そりゃあな。アレで懐かれてたら正気を疑うわ」
散々脅しをかけたのだから、ルトとしても姉弟の反応は納得している。
ただそれはそれとして、こうしたリアクションを取られると鬱陶しいなと思っているだけで。
「で、何であんなに親しげなんだよお前らは。監視だろうに」
「それと同時に、もしもの際の護衛でもあるのでしょう?」
「……処刑人でもあるぞ」
「それは理解しておりますが。どちらにせよ信頼関係を構築した方が手間が減るというものです」
「はぁ……。任務に支障をきたすなよ」
「心得ております」
念のためにと刺した釘であったが、どうやら杞憂であったようだ。
ハインリヒたちは歴戦の兵士、軍人である。当然ながら任務に私情を持ち込むようなことはしない。
効率を優先して信頼関係を築いた結果、いざという場面で情が移って何もできませんでした、などという事態にならないだろう。
「まあ効率を抜きにしても、リーゼロッテ様から優しく扱えという指示がございますので。張り詰めすぎては能率が落ちるとのことです」
「……ああ。そういう理由か」
どうやら昨夜の宣言通り、姉弟の精神的負担を減らそうとリーゼロッテが色々と動いているようだ。
ならばルトも、ハインリヒたちの対応についてはこれ以上は言うまい。臣下の扱いは、主であるリーゼロッテの領分であるのだから。
「だったら小言は最低限に留めておくか」
ただそれはそれとして。リーゼロッテの婚約者として締めるべきところは締めなければならないので、溜息混じりに姉弟の方に視線を向ける。
「おい。そこで後ずさったまま硬直してる馬鹿姉弟」
「し、失礼いたしました!」
「何か御用でしょうか!」
「御用ですかじゃねぇよ。お前らの今の態度が論外だって話だよ」
過程はどうあれ、自分たちを始末しようとた相手と不意打ち気味に遭遇したのだから、姉弟のリアクションも理解はできる。
だがそれを見逃すかというと話は別だ。ルト個人の感想としてはどうでもいいとしても、礼節というものはそれで済むようなものではないのだから。
「そうやってあからさまに表情に出すな。俺だから問題にしないが、他の貴族にそれをやったら大問題だぞ。お前らの失態はそのままリーゼロッテの失態になる。それを理解しろ」
「ひっ。失礼いたしました!」
「申し訳ございません!」
臣下としての心構えがなってないと、ルトは姉弟を叱責する。
確かにルトは姉弟たちを始末しようとした。だが二人がガスコイン家の臣下となった以上、そんなことは関係ないのである。
例え古馴染みであろうが、親兄妹の仇であろうが。相手が目上の貴族であるのなら、礼を失するような振る舞いをしてはならないのだ。
どんな相手であろうが、対面したのなら澄まし顔で恭しく頭を下げ、挨拶を交わす。臣下はそれができなければならない。
それができなければ失態である。そして臣下の教育も満足にできないということになり、主の面子すら傷付ける。
「──今後についていくつか話をしようと思ったが、それ以前の問題だな。仕えて間もない以上は仕方ない部分もあるとはいえ、流石に限度を超えている。開口一番であんな態度を取られるとは思わんかったぞ……」
だからこそ姉弟の対応は落第、いやそれすら通り越して笑い話の類である。
恐怖が先行して外面を取り繕うことすらできず、なんなら受け答えもおかしい点が目立つ。
ルトの中で、姉弟の職務に対する優先順位が完全に変動した瞬間であった。
「ちと厳しすぎな気もしますがな。昨日までこの世界とは縁もゆかりも無い平民だったのですぞ?」
「こんな温い叱責で済ましてやってる時点で甘い方だろうが。余程の理由でもない限り、仕方ないで失態が見逃される世界じゃねぇんだからよ」
まだ新人だとか、教育がほとんどされてないとか、貴族の世界と馴染みのない平民だとか、ルトに恐怖の感情を抱いているとか。そんなものは理由にならないのである。
臣下が失態をおかせば罰せられる。貴族の世界というのはそういうものだ。
そういう意味では新人という点を考慮し、罰も与える気のないルトの対応はダダ甘ですらあるだろう。
「先に最低限、いや公爵家に相応しい作法を身につけさせる。アズール、悪いがリーゼロッテにその旨を伝えてきてくれ。越権行為は承知しているが、コイツらは多分先に済まさなきゃ駄目だ」
「かしこまりました」
そう一礼して去っていくアズールを眺めながら、ルトは思いきり溜息を吐いた。
リーゼロッテの方針をルトは知らない。ルトと同じように最初に教育に専念させるか、逆に後回しにするのか。それとも業務などと並行で行っていく予定だったのか。
「その、申し訳ございません」
「お前らさっきから謝ってばっかだなオイ」
だがこうして謝罪を繰り返す姉弟を前にしては、最初に教育しなければと思わずにはいられないのだ。。
「その取り敢えず謝罪するって考えは今すぐ捨てろ。大方俺が恐ろしくて謝ってんだろうがな、それこそ叱責の理由になんだよ」
何故なら会話になっていない。謝罪は決して返事ではないのだから。
「謝罪するってことは自分の非を認めるってことだ。その辺の教育がされてなきゃ理解しにくいだろうが、利益の絡む世界では不要な謝罪は自殺行為だ。例え相手が悪いとしても、自分が何もしていなくても、謝罪した時点で自分に非があるってことになる。そういう世界だ」
隙を見せればつけ込まれる。理由など後から適当にでっちあげればいい。吐いた言葉は飲み込めない。
それがまかり通るのが貴族の世界だ。無法という訳ではなく、法と同等以上に信義や誇り、責任などが重視されているのである。
だからこそ言葉一つが重大な意味を持つ。だからこそ失言は当人のみならず時には主すら巻き込む失態となる。
「そもそもお前らは勘違いしている。昨日と今日では状況が違う。お前らはリーゼロッテの臣下となった。その時点で昨日の話は終わりだ。決め事を破らない限りは俺がお前らどうこうすることはない。……せいぜいが今回みたいな叱責をする程度だ」
「え……?」
「え、じゃねぇよ。信賞必罰。物ごとってのはそれが基本だ。罰に関しても、与えるのは主であるリーゼロッテの権利だ。だから俺は基本叱責で済ませる。手を出すのは昨日伝えた条件をお前らが破った時だけだ。その時は容赦しない」
だがそれは言い換えれば、罪を犯さなければ何もしないということである。罪には罰を。罪がなければ罰を与える道理などないのである。
「実際に今日もそうだろうが。こうして顔合わせて脅しはしたか? 殺気は出したか? してねぇだろ」
「……たし、かに。そうです、ね」
「呆れられたり、怒られたりはしましたけど……」
「理由がねぇんだから当たり前だろ。何でわざわざ普段からそんな物騒なこと考えてなきゃならんのだ。お前らの顔見るたびに殺意が湧いてくるような愉快な性格はしてねぇよ」
ルトは理由も無しに人を殺す気などさらさらない。昨日のそれは理由があったからにすぎない。
「俺はお前らのことを考え無しの馬鹿だと思ってる。言っちゃ悪いが気に食わない。だがそれはあくまで俺の感想だ。気に食わないからと言って不当な評価はしない。感情的に殺そうとは考えん」
「そう、なんですか……」
「何度も言うが条件を破ったら始末するがな。そこは履き違えるなよ? ……だがそれはお前らだからじゃない。条件を破ったからだ。それが理由だ。このハインリヒとて理由があれば俺は首を落とすぞ?」
それは嘘偽りのない事実である。状況次第では側近だろうが躊躇いなく命を差し出させる。
戦場ならば必要に応じて死ねと命じる。罪を犯したのならば、これまで功績や働きを考慮した上で状況に応じて死罪を告げる。
何故なら全てに理由があるからだ。
「だからいちいち無駄にビクつくな。不要に謝罪するな。会話を成立させろ。何もせんのにそんな反応されても、ただただ鬱陶しい」
「は、はい……」
「わ、分かりました」
「頷いたのなら努力しろよ? ひとまずは外面を取り繕えるようになれ。臣下としての作法を覚えろ。でないとこっちの予定が進まねぇ」
そう言って姉弟に課題を提示し、ルトは再び公爵邸に戻っていった。
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