第46話 薬師たちのエチュード
リーゼロッテに姉弟が仕えることが決定したことで、話し合いは終了となった。
その後、ルトは姉弟の扱い、状況に応じて処分することなどをハインリヒに伝え、部下たちに監視のローテーションを組むように命じた。
そうした諸々の指示に加え、リーゼロッテからの要請を受けて訪問してきた軍の高官との面会が発生したことで、ルトの一日は珍しく忙しないものであった。
そして現在。久々の業務で発生したストレスを酒で洗い流しているルトの下に、珍しい人物が訪ねてきた。
「……まさかこんな時間にキミが来るとはな」
「いつもは旦那様が訪ねてくださるので、今日ぐらいは趣向を変えてみようかと思いまして」
ランプの灯りにの中で微笑みを浮かべる珍客、リーゼロッテに対してルトは小さく溜息を吐く。
「淑女が夜更けに男の部屋を訪ねるなんて、いくら婚約者相手と言えど褒められた行いではないだろうに」
「あら。すでに何度も夜の逢瀬を重ねているのですから、そんな外聞など今更ではありませんか」
「……まぁ、別に構いやしないか。ほれ入れ」
「失礼いたします」
追い返す理由もないので、ルトは大人しくリーゼロッテを部屋の中に招き入れる。
「生憎と茶葉なんて洒落たもんは常備してなくてな。水かワインぐらいしか出せないが、どうする?」
「ではお水をお願いいたします」
「はいよ。氷はいるか?」
「お気持ちはありがたいのですが、身体を冷やしてしまうのは……」
「そうか。ほれ」
そうして飲み物の用意が終わると、ルトはリーゼロッテと向かい合う形で腰を下ろした。
「で、わざわざ俺を訪ねてきた要件は? 趣向を変えたとか言っても、どうせ何か目的はあるんだろ?」
「あら。今夜は珍しく率直なのですね。普段の旦那様なら、最初は洒脱なお話で私を楽しませてくださるのに」
「それはもちろん、キミを部屋まで送るつもりだからだよ。外聞など今更という意見は否定しないが、それはそれとしてこの時間に他人の部屋に長居するもんではあるまいよ。夜更かしは明日に支障が出るぞ?」
「……些か子供扱いされているような気もしますが、紳士としての振る舞いということで納得しておきましょう」
白々しく嘆息しながら、リーゼロッテは素直に本題を語り始める。
「ではお尋ねさせていただきます。旦那様、昼間の即興劇はアレでよろしかったので?」
「即興劇か。そのものズバリな表現だな」
「実際その通りではございませんか。私、本当に驚いたのですよ? 政務の途中で、いきなり壁に氷の文章が現れたのですもの。一瞬ですが襲撃かと身構えましたわ」
「……ああ。それで入室の建前が若干間抜けな内容になってたのか」
「それぐらいの意趣返しはさせてくださいまし」
若干拗ねたような声音になるリーゼロッテに、流石のルトも気まずそうな表情を浮かべる。
実を言うと不思議に思っていたのだ。確かに魔神格の覇気は戦場すら呑み込むが、それはあくまで加減無しで解き放った場合のみ。昼間は姉弟のみに圧を加えていたため、屋敷内の業務に支障を出すなどありえない。
介入の適当な言い訳だろうと思ってルトも話を合わせていたが、まさかそんな言外の抗議だったとは思ってもいなかったというのが本音だ。
「そこに関しては許してくれ。あんな形でしか遠隔で伝言はできないんだ」
「あんな形もなにも。並行して離れた場所、それも遮蔽物すら無視して伝達できる時点で十分便利かと。ただ事前に一言いただきたかったですが」
余程驚いたのだろう。リーゼロッテはなおも抗議を重ねてくる。
「スマンな。あの時ふとリーゼロッテの意見が聞きたくなったんだ」
「それは文面からも伝わりましたわ。『少し来てくれ。俺たちの会話を聞いた上で、キミの思った通りに行動してほしい。話は適当に合わせる』でしたか。旦那様がかなりの難題に直面しているのは容易に予想できました」
そしてその予想は正しく、なんならリーゼロッテの想定を超える内容であった。
「別世界。にわかには信じがたいお話ではありましたが、それはこの際置いておきましょう。何故あの場に私を呼んだのですか?」
「呼んだ理由か」
「ええ。旦那様は私が判断しやすいように、危険性などを扉越しで懇切丁寧に説明なさいました」
「ああ。お陰で嫌味ったらしい説教モドキをする羽目になった。そういう意味ではあの二人には悪いことをしたよ」
「そこは授業料と割り切るべきでしょう。身から出た錆ではあるのですから」
らしくないことをしたと苦い表情を浮かべるルトに対して、リーゼロッテは肩を竦めて妥当性を認めてみせる。
別世界の知識を惜しんで姉弟の助命を主張した身ではあるが、リーゼロッテとて姉弟の迂闊さには内心で頭を抱えていたのだから当然だ。
「ともかくです。結果として、私も別世界の知識に関する懸念は十二分に理解することができました。なので広まる前に口封じするという旦那様の考えも、決して間違いだとは思いません。安全重視なら、むしろ口封じこそが最善でしょう」
その上で何故自分を呼び出したのか。それがリーゼロッテには分からないのだ。
盗み聞きの内容から、そして前日の会話からもルトのスタンスは変わっていなかった。判断次第では始末するという宣言は、間違いなく本気のそれ。
ならばリーゼロッテを呼ぶ必要はないはず。秘密というのは知る者は少ない方が断然良いのだから。
「理由は二つある。まず単純に別世界の存在云々は大して重要ではないから。あの姉弟の処遇はあの場で決めるつもりだったからな。一番重要な頭の中身が広まることはないと判断した」
「取り込まぬのなら始末するので問題ない。取り込むのなら知るべきであるということですか?」
「そういうことだ。ま、それを抜きにしても、別世界の知識持ちは現状で二名現れてるんだ。また湧いてこないとも限らない以上、知識の詳細は知らずとも存在自体は知ってても構わんだろうさ。存在自体が最重要機密なのは変わらんがな」
既知と未知では対応に明確な差が出る。ならば領主という立場にいる者には、そういう輩が存在するということだけは伝えておいた方が良い。
もちろんこれは相手による。別世界の知識持ちがいると知って、妙な暴走をしそうな輩ならばルトも伝えるつもりはなかった。
ただリーゼロッテならば、そういう暴走もしないであろうと判断して巻き込んだのだ。
「……ならば陛下にも伝えるべきでしょうか?」
「天下の皇帝となれば、存在自体は知ってそうな気もするがなぁ。アクシア殿という歴史の生き証人もいる訳だし。なんなら俺たちが知らないだけで、過去から現在における何処かで手元に置いててもおかしくない」
「……それは否定できませんわね」
リーゼロッテも皇族ではあるが、当然帝国の全てを知っている訳ではない。
なのでルトが挙げた『もしも』も、機密扱いでリーゼロッテが知らないだけという可能性も十分ありうるのだ。
そして大陸の二大巨頭である帝国の皇帝と、炎神アクシアという存在はそれを否定できない凄みがある。
「まあアレだ。姉弟がキミの預りとなった以上、その辺りは任せるさ。リックの頭の中身が漏れないようにしてくれればそれで良い」
「それが一番難題なのですが……。ですが善処いたします」
「ああ。無理そうなら俺が直接交渉する。だからしっかり伝えてくれ」
「かしこまりました」
ルトの言葉にリーゼロッテは神妙な表情で頷きを返した。
ルトにとって重要なのは、別世界の知識によって余計な災禍が発生するのを防ぐという一点のみ。
未来の地獄を防ぐためなら面倒な仕事とてこなすし、汚れ役も進んで引き受ける。それが必要と判断したならば、善人も悪人も、老人も赤子も関係なく手に掛けるだろう。
だが逆に言えば、それ以外は基本的に拘わるつもりはないのである。姉弟がリーゼロッテの預りとなった以上、その領分を超えるようなことをするつもりはルトにはない。
だからこそ面倒な交渉はリーゼロッテに任せるし、それで無理そうならば自分が動くつもりでいた。
「さて話を戻そう。キミを呼んだ理由の二つ目は、あの姉弟が一方では落第で、もう一方ではギリギリ及第だったからだ」
「それは旦那様のお眼鏡にかなったかどうか、という意味ですか?」
「ああ。まず落第。これについては単純だ。あの姉弟の考え足らずな部分だな」
自身の行動が齎す影響を想像せずに、浅慮な行動を取ったこと。それに対してルトは極めて自然に、それでいて容赦なく言い切ってみせる。
「この点だけで俺の中のアイツらの評価は地に落ちた。切り捨てる、いや始末する方向に心は傾いていたさ」
「……声音からしてそんな気はしていましたが、やはりですか。ですがそうなると、やはり私を呼ぶ理由はないのでは?」
「そりゃ簡単な理由さ。馬鹿ってのは二種類いるんだよ。救いのある馬鹿と、救いようのない馬鹿のな。あの姉弟は幸いにして救いのある馬鹿だったってだけさ」
「ああ……」
それがギリギリ及第だった点だと、ルトは肩を竦めて語る。
「リーゼロッテも分かるだろうが、救いようのない馬鹿ってのは本当に酷い。自分中心で世界が回ってると本気で思い込んでる人型のナニカだ。そしてそういう奴らの根底にあるのは、自分が特別だという的外れな信仰だ」
あの姉弟も、リックもそうでないかとルトは密かに疑っていたのである。
実際、リックは特別だ。別世界の知識は増長するに、自分が物語の主人公だと思い込むにはあまりある代物だ。
「だがその特別は脆い。何故なら世の中には、特別な人間など掃いて捨てるほど存在するから。別世界の知識などより、よほど直接的な力に長けた特別が山ほどいるのが現実だ」
ルトはその特別の最たるもの。そしてリーゼロッテもまた、帝国の公爵である以上はそうした特別の一人。
「救いようのない馬鹿はそれを理解しない。自分を神かなんかだと本気で信じているから、何を言っても聞かないし、下手にその信仰に傷を付けると発狂する」
「分かりきったことではありますが、あの姉弟はそうではなかったと」
「ああ。人間ってのは恐怖と絶望に曝されると本性が出るもんだからな。だから延々と脅し続けたんだが……」
──ナトラはすぐに最愛の家族の盾となってルトに抗議をしてみせた。
──リックは恐怖によって口が重くなるも、最後の最後では自らの命を差し出してまで姉を守ろうという気概をみせた。
考え足らずではあったが、そうした性根の部分では腐っていない。ルトはそう判断した。
「少なくとも釘を刺したら効果はあるだろう。そう思ったからこそ、キミを呼び出したんだよ。俺は絶対に要らないが、キミはどうかってな」
あらゆる危険性を理解した上で、自分の名の下の管理するとリーゼロッテが言うのならば、一度ぐらいはチャンスをやっても良いと思った。
逆に危険と意見が一致したのならば、その時は遠慮なく始末した。
「で、結果はああなった訳だ。即興劇は最終章に移行。俺は悪役として釘を差し続けて、リーゼロッテが正義の味方で人気をかっさらっていくという茶番のできあがりだ」
「茶番の割には演者が豪華すぎる気がしますが……」
世界に三人しか存在しない魔神格の一人。大陸の二大巨頭たる帝国の元皇女にして現公爵。別世界の知識を持つ不思議な少年。
豪華すぎるというリーゼロッテの言葉ももっともだ。平凡なのはナトラぐらいしかいないのだから。
「演者が豪華なのは劇ではいいことだろうさ。壮大な内容になるからな」
「それに比例して起承転結の『転』の部分が激しくなりそうですが。……実際、何か問題が起こった場合の不安は──いえ。失言ですわね。それも含めて私はあの姉弟を取り込むと決めたのですから」
恐らく未熟な心から漏れた不安の言葉。すぐさまリーゼロッテは首を振って打ち消すが──
「万全を期した上での結果ならば、その時はもうその時だろう。キミが昼に言っただろ。人間なんて失敗と修正の繰り返しだってな」
意外にもルトがその失言を否定せずに受け止めた。
「……それで良いのでしょうか?」
「万全を期すというのはそういうことだろ。どっちにしろ後悔を先にすることなんてできねぇんだ。今の俺たちにできることは、後悔しないように全力で動くことだけ」
「──真理ですわね」
「先を見るのも重要だが、目の前のことだって疎かにはできないだろうよ。昼の茶番の次の場面、第二幕の主役の一人がキミなんだ」
そうしてルトは笑ってみせる。観客のように。舞台を仕切る監督のように。
「怯える姉弟をキミの演技で解してやんな。俺が散々、ついでにキミも脅しちまってるからな。あの二人が緊張やら恐怖やらで壊れたり暴走する前に、上手い具合に手懐けるのさ」
「……承知いたしました。このリーゼロッテ、旦那様のお眼鏡にかなう演技を披露してごらんにいれましょう」
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