第45話 薬を片手に貴人は笑う その二

 ルトとリーゼロッテ。ガスコイン公爵領における二つの頂きが、リックという劇薬の扱いについてそれぞれの立場で意見を述べる。


「コイツらの知識は火種にしかならん。始末した方が面倒はないだろう」


 ルトはリックを毒と判断し、早急な処分を。別世界の知識以外に力らしい力を持たず、また浅慮な行動が目立つ者など、抱え込むリスクと全く見合わないとして。


「技術の発展に危険は付き物ですわ。それを上手く制御するのが私たちの責務でございます」


 リーゼロッテはリックを副作用の強い薬と判断し、徹底した管理下での利用を。数多の危険性はあれど、それを差し引いてなお得られるであろう利益は莫大として。


「意外と旦那様は慎重派なのですね」

「ああ。余計な面倒は御免だからな。そういうリーゼロッテは随分と大胆で驚きだ」

「あら。私、これでも少々お転婆ですのよ? なにせハイゼンベルク夫人の薫陶を受けておりますもの」


 ローリスク・ローリターン。ハイリスク・ハイリターン。どちらが正しく、どちらが間違っているとも言えない。


「わざわざ危険な賭けに出る必要はないだろう。現状ですでに技術大国として名を馳せ、魔神格を二人も擁する帝国は磐石だ」

「ならば更にその上を目指すべきです。国家を富ますことは、私たち為政者にとっての永遠の命題なのですから」


 保守と改革。慎重と過激。これはそんな主義主張の違いである。


「キミは高度な科学技術の恐ろしさを知らない。文明の発達に余計な手を加えれば、どんな方向に転がるか分からないんだ。コイツらの知識などなくとも文明は発展する。なら自然の流れに任せるべきだろう」

「それは新技術の全てに言えることでございます。過ちを犯し、犠牲を払い、次に進む。人類の歩みはコレの繰り返し。発展のほとんどは間違いの先にあるのです。そもそも自然の流れとは何でしょう? いくら別世界の知識を持てど、そこの姉弟もまたこの世界で生きる者。ならばその知識を活用するのもまた自然でございます」


 高度な科学技術の凄まじさ、恐ろしさを知識として理解しているルトは、文明の発展に手を加える行為に警鐘を鳴らし。

 今の技術しか知らぬリーゼロッテは、ルトの警戒を『別世界の知識を持つ者の誤り』だと指摘し、この世界に生きる者の歩みであれば全てが正常であると言い切ってみせる。


「たとえそうだとしても、コイツらのような浅慮な愚物を発展の最前線になど立たせられるか。扱う知識に対して意識も能力もまったく釣り合っていない。大ゴケするのが目に見えている。いくら人類が失敗を重ねる生き物だとしても、避けられる失敗は避けるべきだ」

「そこに関しては私も同意いたしますが、旦那様が今まで何度も釘を刺したではありませんか。大局を見通すのは、生きる上でとても重要な技術です。ですが貴族ならば必須のそれも、今日を生きるのに必死な平民にまで望むのは酷というもの。寛容を示し、二度目の機会を与えるのも貴族の在り方かと」


 ルトが姉弟の意識不足を指摘すれば、リーゼロッテは平民ならば最初はそんなものだと肩を竦める。


「それでも分の良い賭けではないだろ。無理矢理の発展は必ず何処かで皺寄せがくる。そしてこの手の問題で発生する損失は、下限はあれど上限はないんだ。最悪の上振れ方をした場合、経済的、人的損失は計りしれんぞ」

「ですが発展によって得られる富、救われる命があるのもまた事実。『かもしれない』の大損害で躊躇するよりも、『確実』な利益を目指すべきです。そちらの方が結果的には大勢を幸福にすると私は考えます」


 ルトはリスクを重視する。最悪の事態が発生する可能性がわずかでもあるのなら、現状すでに磐石な体制となっている帝国にとっては不要な選択だと考える。

 リーゼロッテは利益を重視する。確率すら不明なリスクに怯えるのではなく、発展によって得られる確実な利益こそが全体を救うと考える。


「殺すべきだ」

「生かすべきです」


 故に二人の意見は衝突する。お互いに立っている視点が違う以上、これは当然の帰結である。


「……平行線か」

「平行線ですわね」


──だが幸いなことに、この二人はただ意見をぶつけるだけの愚物ではなかった。


「旦那様にとって譲れぬ点は何ですか?」

「できる限りの危険性の排除。その一点に尽きる」

「確実な排除は根本を消すこと。道理ですわね。私の譲れぬ点は、得られる利益を放棄してしまうことですわ」

「目の前にある手付かずの大鉱脈を見逃す馬鹿はいないか。俺も何も知らなければ同感だよ」


 互いに譲れぬ点は確認した。ならば次に探すべきは妥協点。


「こうしてはどうでしょう? この姉弟は私の管理下に置き、軟禁することで知識の流出を最大限防ぎます。その上で帝国の発展に尽力させましょう」

「……妥協するにしてもそれでは足らん。いつでも始末できるよう、コイツらには常に監視をつける。リーゼロッテの部下は……そっちが擁護する側である以上は不適切か。俺の部下を使う。逃亡の気配を見せたり、無断で外部との連絡を取ろうとした時点で始末すること。コレは大前提だ」

「ええ。機密保持と考えれば妥当ですわ」

「その上で三点。放出する知識は帝国の技術に準じたものにすること。発明はできる限り現状で使われている技術で再現可能なモノに留めること。リックから放出された知識、技術は何重もの安全確認を行い、特に魔術が絡むものに関しては俺の監視下にて実験や確認は行うこと」

「……二つ目までは問題ありませんわ。どんなに画期的な知識、技術であろうと、周辺の環境を整えない限り真価は発揮できませんもの。ですが最後、旦那様が進んで仕事をすると仰るとは思いませんでした」

「業腹だがな。別世界の科学技術と魔術。合わさった時の相乗効果が不明な以上は仕方ない。俺なら物理現象に容易く干渉できるからな。何が起きても被害は最小限に抑えられる」


 どんな物理現象、それこそ核爆発であろうがルトの魔法なら概念的に無力化することができる。

 どれほどのエネルギーが発生しようが、【凍結】の概念を叩きつけてしまえば全てがゼロになるのだから。

 こうした実験においてのセーフティとしては、ルトほどの適任者は存在しないだろう。


「それは頼もしいですわ。でもそれならば、わざわざ始末せずとも旦那様の下で管理してまえばよろしかったのでは?」

「何度も言うが、俺はコイツらの知識など不要と考えている。その上で仕事が増えるような選択をするとでも? キミが介入してこなければと、今でも思ってるぐらいなんだが」

「もちろん、私の顔を立てていただいたことは大変感謝しておりますとも。本当に旦那様はお優しいですわ」

「今後の夫婦関係と、領主であるキミの判断を尊重しただけだ。この地はキミの領地で、そのキミが責任を取ると言った以上は多少の譲歩はする。だが勘違いするな。あくまで首の皮一枚分の譲歩だ。やはり危険だと判断すれば、その時は決して俺は止まらない。三度目はない」

「ええ。理解しておりますとも。ということは」


 そう言ってリーゼロッテは淑やかに、それでいて意味深な微笑みを浮かべてみせた。


「……さて。そこの姉弟。話は聞いていましたね?」


 だが次の瞬間には、リーゼロッテは淑女から領主の顔となって姉弟たちへと向き直った。


「今この瞬間をもって、貴方たちの全てはこの私、ガスコイン公爵家当主であるリーゼロッテの管理下に置かれます。異論は認めません」

「……そ、それは、私たちの命は助かったということでしょうか……?」

「ええ。見ていたとおりですよ。ただ勘違いしないように。確かに私は貴方たちの助命を旦那様に願いました。ですがそれは貴方たちの、そこの彼から得られる利益を惜しんだからです。決して憐憫の類ではありません」

「は、はい!」

「事実、私も旦那様の主張も正当であると認めています。ですのでこれが瀬戸際です。あれほどの釘を刺されてなお、過ちを犯すような愚か者ならば私もいりません。容赦なく切り捨てます」

「ひゃっ……」


 思わず姉弟は息を呑む。脅すでもなく、ただ淡々と告げられた言葉の迫力に。

 ルトのような物理的な恐怖はなくとも、リーゼロッテもまた上位者に相応しき風格を放っていた。


「ただこれは同時に、貴方たちが有用性を示し続ける限り、私は最大限の庇護を与えるということでもあります。今回のように旦那様、魔神格であるコイン大公と対立することも厭いません。できる限り貴方たちを守りましょう」

「は、はい……!」


 リーゼロッテによる庇護の宣言。それは目の前でルトから自分たちの助命をもぎ取ったからこそ、大変な説得力が宿っていた。

 絶望を払った救世主の言葉は、二人の心に光明を齎してあまりある。


「さあ、今この場で跪きなさい。そして宣言しなさい。私とフロイセル帝国に忠誠を誓い、その発展に尽力すると」

「ち、誓わせていただきます! ナトラ・アンブロスは、ガスコイン公爵様とフロイセル帝国に絶対の忠誠を捧げると!」

「お、同じくリック・アンブロスも、ガスコイン公爵様とフロイセル帝国に忠誠を誓います!」

「──良いでしょう。その誓いを聞き届けます。決して違わぬよう、常に精進しなさい」


 斯くしてガスコイン公爵家に、新たな者たちが加わることとなる。

 別世界の知識を持つ少年と、類稀な金属加工の技術を持った少女。


「──とんだ茶番だな」


 そんな二人を、氷の魔神は冷ややかな瞳で見つめていた。

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