第44話 薬を片手に貴人は笑う その一
嫌な沈黙が流れる。返答は高確率で死に繋がるという事実が、姉弟の、いやリックの口を重くしていた。
だが沈黙こそが確実な死。それだけは避けねばならないと、意を決してリックは口を開いた。
「……申し訳ございません。大公様の叱責は全て正論。おれ、いや私の浅はかな考えによって、多大な迷惑を掛けたことを深くお詫び申し上げます」
「謝罪をしろとは言っていない。弁明をしろと言っている」
「ありません」
「──何だと?」
「……弁明のしようがありません。私が全て間違っていたのですから」
「リック!?」
そう言ってリックは深々と頭を下げる。
真横ではナトラが悲鳴のようの叫びを上げているが、それも当然。
弁明をしないということは、自ら死を受け入れたということに他ならないのだから。
「……それは潔く首を差し出すという意味で構わないか?」
「はい。ただその上でお願いがございます! 私の愚行は私の命で贖います! ですのでどうか、姉の命だけはお助けください!」
「リック!? アンタ何を……!?」
「姉は私の頼みを聞いただけです! 異世界の知識もほとんど知りません! 知っている加工知識もあのメタルマッチに関するものぐらいですし、それもしっかり理解している訳でもないんです! 知識を広めることもまず無理です! だからどうか! どうか姉の命だけは助けてください!!」
ナトラの胸から飛び出し、床に膝を着いてまで懇願するリック。
その姿勢は男の知識にあった土下座そのもの。恥も外聞も、自身の命すら放り捨てて、リックはただ姉の命だけは助けてくれと必死に願ったのだ。
「お願いします! お願いします!」
「……」
何度も頭を下げる。何度も。何度も。頭を床に打ち付け、出血すら厭わずにひたすらに頭を下げ続ける。
「……言いたいことはそれだけか?」
「っ……!!」
──だがその懇願すらルトには届かない。地位も力もなき者の謝罪には、罪を減らすだけの価値などないが故に。
「ないというのならば話は終わりだ」
「っ、お待ちください!!」
「終わりと言った」
絶望が広がる。すでにこの場の流れは決まってしまった。リックが弁明を放棄した時点で、全ての判断材料は並んでしまったのだ。
だからこそ──
『──旦那様。少々よろしいでしょうか?』
決まってしまった流れを断ち切るのは、この場にいない者であった。
「リーゼロッテ?」
唐突に部屋に響いたノック。そして扉の向こうから聞こえてきた幼い婚約者の声。
この二つの要素によって、ルトの冷たき瞳にわずかな温もりが宿る。
「人払いをしてたはずだ。重要な要件でなければ後にしてくれ」
『それは存じておりますわ。ですが急ぎお願いしたきことがございますの。……入室しても構いませんか?』
「……許可する」
わずかな逡巡。しかし人払いを超えてまで訪ねてきたということは、相応の理由があるのだろうと判断。
魔神格の覇気をすぐに打ち消した上で、リーゼロッテに入室するように促した。
「失礼いたします。大事なお話を遮る形になってしまったこと、まずはお詫び申し上げます」
「謝罪は不要だ。それより用件を話してくれ。重要な話なんだろう?」
「それなのですが……」
躊躇いがちに。それでいて何処か困ったような表情を浮かべながら、リーゼロッテはルトに願った。
「その、旦那様。重要なお話であるというのは重々承知しているのですが、少しばかり御心を鎮めていただけると。魔神格の圧の影響で、上階での業務に支障が出ておりますので……」
「む……」
投げられた言葉が予想外のものだった為に、ルトは言葉を詰まらせた。
魔神格の放つ覇気は本能に訴えかける重圧そのもの。それでいて範囲は時として戦場すらも呑み込む。
流石に戦闘時ほど苛烈なものではないにせよ、先ほどまで放っていた覇気は脅し目的のもの。そんな圧に前触れなく只人が晒されたとなれば、マトモに業務を遂行するのはほぼ不可能だ。
自分が著しい業務妨害を行っていたことに気付き、ルトは罰の悪そうな顔で頭を下げた。
「スマン。ちと熱くなりすぎていたらしい」
「みたいですわね。私の執務室にもわずかですが霜が降りたほどです。……とは言っても、熱が入るのも当然の内容だとは思いますが」
「──待て。一体何処まで聞いた」
だがそれも一瞬。リーゼロッテの不穏な言葉に、すぐに険しいものに戻った。
「『正真正銘の賢者の書〜』ぐらいからでしょうか? かなり逼迫した様子でしたので、声をかけるのが遅れてしまい……」
「完っ全に頭の方じゃねえかそれ……!」
想定よりも遥かに序盤の段階から聞かれていたことが発覚し、思わずルトは頭を抱えた。
大公の密談を盗み聞きする者がいるとは思わなかったと、その姿がありありと語っている。
「盗み聞きとは行儀が悪いぞ……!」
「はしたないことは重々承知してございます。申し訳ございません旦那様」
「……いい。油断したこちらの落ち度でもある。だが聞いた内容に拘わる記憶は、この後の俺の魔法で凍結させてもらう。それで盗み聞きの件は不問だ」
ルトは大きな溜息とともに謝罪を受け入れる。
幸いにしてルトの魔法は、他人の記憶にも干渉することができる。偽りの記憶を植え付けるなど、自在に記憶を改竄することは流石にできないが、部分的に記憶を凍結させることによる事実上の抹消などは可能なのだ。
ギリギリではあったが、ルトやリックの特異性が流出した訳ではない。そう判断し叱責は控え目なものとした。
「ただ話を聞いていたというのならばだ。リーゼロッテは一旦下がれ。ここから先はキミが視界に入れて良いものではない」
「それは……今からそこの二人を処理するということですか?」
「そうだ」
「っ……!!」
ルトが肯定したことにより、無言で控えていた姉弟から息を飲む気配が漂ってくる。
だがそれにいっさい反応することなく、もはや姉弟のことなど眼中にないと言いたげな態度で、ルトはリーゼロッテのみを見つめていた。
「まだ小さなキミに見せるものじゃない。下がりなさい」
「あら旦那様。確かに私は荒事、特に死とは無縁の育ちではございます。ですが私はガスコイン公爵家の当主。時として非情な決定を下す覚悟はできておりますのよ?」
「だとしてもだ。わざわざ進んで見るようなものではない。何故そんなに頑ななんだ」
「それはもちろん、旦那様の判断に異を唱えるためでございます」
「──何だって?」
再びルトのまとう気配に冷気が宿る。だがリーゼロッテは臆することなく、嫋やかに微笑みながら言葉を続けた。
「非常識は承知の上でございますが、旦那様たちの話を聞いて思いましたの。失うのはあまりにも惜しいと」
「……盗み聞きした身でこちらの決定に割って入るだけでなく、これまでの会話で語られた危険性を理解した上で、キミはその言葉を吐くというのか?」
「ええ。すでにはしたないことをしている身ですので。ならばいっそのこと開き直ってしまおうかと」
絶対零度の眼差しに射貫かれてなお、リーゼロッテは怯まない。そして宣言通り、堂々とした足取りでルトの傍へと歩み寄っていく。
「驚きの内容ではありましたが、このような形で偽りを語る必要性は皆無です。ならば全て事実なのでしょう。その上で旦那様の語る懸念点、危険性についてはしっかりと、それはもうしっかりと私も理解しております」
その上でとリーゼロッテは意見する。リーゼロッテもまた、ルトとは別の視点からリックの知識を推し量っていたが故に。
「そうした諸々を考慮しても、そちらの姉弟の持つ『本物の賢者の書』は確保しておきたく思います。これはガスコイン公爵家当主として、そして偉大なる天龍帝フリードリヒ陛下の政を見て育った娘としての判断です」
皇帝に連なる者の視点から、リーゼロッテはリックという劇薬を、あらゆるリスクとともに飲み干すことを提案した。
「旦那様。この二人を私にくださいな。せっかく金の卵を産む鶏が現れたのです。飼育もせずに〆てしまうのは、あまりにもったいのうございます」
──鮮血に染まった大地の上で、禁じられし賢者の書を携えるのは
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