第42話 二人の劇薬 その二

「一見すればただの火打ち石の上位互換。だがお前の発明品が、現代の技術では決して作ることができないものであることを俺は知っている」


──世界が軋む。


「アレを形にする為に、一体どれだけの知識が必要なのかを俺は知っている」


──只人では知覚できない、青の神威が世界に溢れる。


「それぞれの時代を生きた天才たち。彼らの数多の叡智が積み重なって確立した学問と、それによって成立する高度な技術の産物」


──いっさいの加減なく、魔神がその覇気を解放する。


「その知識は本来あってはならないものだ。ましてや実際に形にし、不用意に広めようとするなど言語道断。──偽りは許さない。その上でこの愚行を説明しろ。俺を納得させてみせろ。さもなくばお前を、お前ら姉弟をこの場で殺す」


 確かな殺意と揺るがぬ意思。吐き出されるは絶対零度の言霊。

 それがタチの悪い冗談でないことは一目瞭然だった。勘違いとして処理するには、向けられる殺気があまりに苛烈すぎる。現実逃避すら許されない、紛うことなき魔神の害意。


「……な、何で、ですか……?」


 そんな絶対強者の宣告に、何故と声を上げた者がいた。

 弁解を求められているリック──ではない。抗議の声を上げたのは、姉であるナトラだった。

 権力者に苦手意識を持ち、数分前には『出しゃばるな』と魔神の叱責を受けた少女。そして今この瞬間も、殺意を浴び続けているナトラ。

 言葉は震え、顔色は蒼白。今にも気絶しそうな弱々しい姿でありながら、彼女はその胸にリックを抱き寄せ、怯えながらもルトを睨んだ。


「……わ、私たちが、リックが、何をしたって言うんですか……!!」

「ね、姉ちゃん……」


 弟を守るため。最愛にして唯一の家族を守る為に、か弱い少女が恐怖を押し退けが立ち向かう。


「え、偉い人はいつだってそう! 私たちの都合なんてお構いなしに、理不尽に全部めちゃくちゃにする! リックがどんな気持ちで、発明家になりたいって思ってるかも知らない癖に……!!」


 心に植え付けられた恐怖も。生物としての生存本能も。身分という社会の壁も。全てを無視してナトラが叫ぶ。理不尽だと主張してみせる。

 その反抗は決して無謀とは言わない。大切なモノの為に命を懸けることを、尊き『勇気』と人は呼ぶ。

 ナトラの覚悟は見事と言わざるを得ない。ルトとてその気丈な姿を前にすれば、感嘆の言葉とともにその気高さを讃えただろう。


「黙れ。お前らの感情も、そこのクソガキの夢も関係ねぇ。御託を並べてないでさっさと答えろ」


──だがそれも平時の話。帝国に仕える新たな魔神格として、大公としてこの場に君臨しているルトは、ただただ冷徹にナトラの叫びを叩き潰した。

 どんなに気高い姿を見せようとも。たとえ内心ではナトラの覚悟を認めていても。それとこれとは別なのだ。ルトが言葉を撤回することはないのだ。

 何故ならリックの愚行は、その程度では決して庇うことなどできないのだから。


「クソガキが何をしただと? とんでもねぇことをしたんだよ。そしてお前はその片棒を担いだんだ。だからこそのこの状況だ。理不尽でもなんでもねぇ。ただの自業自得だ」

「私たちは何もしてません! あの火打ち石擬きがなんだっていうんですか!?」

「アレを作る為の知識があれば、やがては帝国並の大国が誕生するとしてもか?」

「……え?」

「呆けるな。コレは事実だ。そこのクソガキが持っているであろう知識があれば、この大陸に第三の超大国が出来上がるんだよ」


 呆気に取られるナトラに対し、ルトは淡々とリックの危険性を説明していく。


「そいつの頭のお味噌にどんな知識が詰まってるかまでは知らん。だがさっきまでのカマかけである程度の推測はできた。そいつの頭の中には、現代から二・三百年は先の文明の知識が詰まっている」

「っ……!」

「ナトラ。知らなかったとは言わせないぞ。テメェの言うところの火打ち石擬き、メタルマッチを実際に製作したのなら分かるはずだ。魔術を活用してなお、面倒と言いたくなるような作業の数々。それを指示したというクソガキの異常性を」

「それは……」

「知識のタネを全て説明されたのか、それとも指示だけ聞いて詳細は知らないのか、そこはこの際どうでも良い。どちらにせよ禁忌の知識の一端に触れた時点で、テメェもまた同罪だ」


 詳細を知っていたのならば問答無用。知らなくとも不穏分子として抹殺対象。未来の知識というものはそれだけ危険なものなのだ。


「そいつの頭のお味噌の中身が他国に漏れれば、その国のあらゆる技術が恐ろしい速度で発展していくことだろう。生産性が向上すれば人口が増える。医療が発展すれば寿命が伸びる。工業が発展すれば国力が増える。兵器が発展すれば軍事力が増える」


 それらがすぐに実現することはないだろう。全てが同時に進むこともないだろう。だが未来の知識があるということは、いつか第三の超大国に至る可能性が存在することに他ならない。


「そんなのもしもの話じゃないですか!」

「もしもの時点で看過できるか。そりゃ実現する可能性は低いだろうよ。帝国も法国も、他の近隣諸国だって急速に発展していく一国を見逃すはずがない。数多の国が暗躍し、何処かの国が戦争を吹っ掛ける」


 そして戦勝国が知識を、または敗戦国そのものを呑み込むだろう。そして新たに戦争を仕掛ける国が現れ、それを繰り返す。

 その果てにあるのは大戦だ。数百年先の知識というものは、多くの国が戦争に踏み切るに値する理由となるのだから。


「知識ってのはな、歴史に名を残すような天才が何度も頭を捻り、その上で奇跡みたいな閃きがなきゃ発展しねぇんだよ。それを実際の技術に落とし込み、実用的な発明としての形に整えるには、更に多くの試行錯誤が必要なんだ。新技術と閃きの関係性。それは工房育ちのお前らが一番理解しているはずだ」

「それは……」


 知識を修める者ならば、誰もがそれを理解している。現代の学問では常識とされているようなことすら、過去では非常識や妄言扱い、それどころか発想すらしていなかったという事柄とて多いのだから。

 確かな土台を持った者が『閃く』ことで、知識というものは発展の兆しを見せる。そこから試行錯誤を繰り返すことで、ようやく知識は次の段階へと進むのだ。


「そこのクソガキの頭の中にあるのはな、そんな天才たちが苦労と努力の末に書き記した文明についての解答用紙。それを解説と応用付きでまとめた正真正銘の『賢者の書』だ。存在するだけで世界を狂わす劇薬だ」


 御伽噺に出てくるような、知りたいことが何でも記してある魔法の本。そうでありながら現実に存在し、数多の人々の欲望を刺激する呪い書。

 直接的な危険度は低いだろう。この世界にはもっと恐ろしい超戦力が存在するのだから。

 だが『危険性』という面では決して劣ることはない。数多の戦乱を呼び、膨大な血を流させるであろうその叡智は、魔神格の魔法使いにすら比肩し得る。

 正真正銘、世界を蝕み壊す劇薬。


「もしそこのクソガキが、常軌を逸した天才だったのならば、全てが自前の知識と発想であったのなら俺も見逃した。人類の歴史を少数の天才が加速させる。そうした事例もなくはない。それもまた世の習いという奴だろうってな」


 だが目の前のリックは違う。一から閃きと試行錯誤を積み重ねたのではない。時の流れともに編纂された、何処かの世界の賢者の書を盗み見たのだ。


「世の中ってのは非情だ。一から自分で考えた、革新的で誰にも迷惑掛けない発想、発明。それでも進みすぎた知識ってのは、異端として狩られることもあるんだからな」


 それが人類の業。危険性などお構いなしに、理解できないものを排除しようと動くのだ。


「ではお前らは? 自分で考えた訳でもない、革新的すぎて大戦争を起こしかねない叡智。それを不用意にバラまこうとしてた訳だが」


 ならば真に危険で、理解してはいけないものが世に出ようとしていたならば。排除に動くのは至極当然。


「そんな愚物は始末されても仕方ないと思うのは、俺だけだったりするのかね?」

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