第40話 不良大公と発明家姉弟

「こちらでございます」

「ご苦労」


 アズールによって案内されたのは、屋敷の中にいくつかある応接間の一つ。


「ご姉弟にはお茶を出しておりますが、閣下の御要望はございますか?」

「茶はいらん。それより人払いを頼む。余程の緊急でもない限り、こちらの話が済むまで誰も近付けるな」

「……構いませんが、何故そこまで?」

「極めて個人的な事情故に説明はしない」

「はあ……」


 アズールが怪訝そうな表情を浮かべるが、ルトは決してそれ以上は答えなかった。

 暫く無言の時の流れ、最終的に折れたのはアズールである。


「畏まりました。ただこれは閣下の秘書として諌言させていただきますが、あまりこの手の密談はなさらないことです。魔神である閣下に逆らえる者などほぼいないとはいえ、言葉は悪いですが閣下は未だに新参なのですから。秘密主義は余計な猜疑を招きます」

「密談など貴族なら誰でもするだろう」

「相手が問題なのです。身分の確かな貴族、商会や地域の有力者なら大きな問題はありません。ですが今回のような平民となると……」

「妙な勘ぐりをする輩が湧くか」


 それはアズールにとっては当然の懸念であった。

 ただでさえルトは帝国においては新参であり、それでいて強大な力を持った魔神格。そんな人物が身元が不確かな者と堂々と密会をすればどうなるか。

 ルトは新参故に信用は乏しく、絶対強者故に一部の者たちから恐れられているという。

 そして低い信用は猜疑を招き、恐怖は猜疑を加速させる。その果てに起こる事態をアズールは危惧しているのだ。


「俺がわざわざ動くことなど滅多にないし、問題ないとは思っていたが……。まあ良いだろう。その忠告、胸に刻んでおく」

「聞き入れていただき感謝致します。それでは私はこれで」

「ああ」


 最後に頭を下げてアズールが去っていく。

 それを見送ったあと、ルトは応接間の扉を開けた。


「待たせた」

「へあっ!? い、いえ! 大丈夫でございます!」

「ぜ、全然待っておりません!」


 ルトが入室すると同時に、室内でガチガチに固まっていたらしい姉弟が凄い勢いで立ち上がった。

 その挙動だけで二人がどれだけ緊張しているのかが分かるというもの。あまりの慌てようにルトも思わず笑いを零したほどだ。


「ククッ。そんな緊張するな。公の場ではないんだ。これまでどうりで構わんよ」

「いや、あの、流石に領主様の御屋敷でそれは難しいといいますか。特にお客様の御身分を予想するとですね……」

「あのー、お客さんに呼ばれたとこの屋敷の方に伝えたら、明らかに恭しい対応でここに通されたんですけど……。あの、お客さんってやっぱり相当偉い立場の方になのでは……?」

「ああ。そういやちゃんと名乗ってなかったな」


 姉弟から恐る恐る訊ねられたことで、ルトもようやく自分の失態に気付くことができた。

 お忍びから始まった関係であるが故に、この姉弟の前では名前どころか偽名の類すら名乗っていなかったと。『お客』という仮称がついていたが為に、これまで呼び名で不自由してなかったことが仇となった形だ。


「俺は……」


 そこでルトは一瞬だけ思案する。ただでさえ緊張している二人を相手に、本来の立場明かして良いものかと。驚きとパニックで話し合いにならないのではないかと。

 だが今回の目的を考えると、どちらにせよ身分は明かさねばならない。そう結論付けて正式な名乗りを行うことにした。


「俺の名はルト。ルト・セイル・コイン。ガスコイン公爵の婚約者にして、この国の大公位を戴く魔神格の魔法使いだ」

「……え?」

「…………へ?」


 その名乗りを理解できなかったのか、姉弟は揃って間の抜けた声を零す。その後には一瞬の静寂が訪れ──


「……っ、た、大変失礼致しましたっ……!!!!」


 そして一気に爆発した。


「ほらっ、アンタも早く謝罪して跪きなさい……!!」

「わっ、し、失礼致しました大公様!!」


 姉弟が慌てて謝罪の言葉を述べるとともに、床に移動して膝を着く。

 そこに疑いの気配は微塵もない。公爵家の屋敷でそのような偽りを口にする愚か者など存在しないからだ。

 だからこそナトラの顔色は優れない。青を通り越して蒼白だった。

 これまで交わした会話を振り返っているのだろう。そして自分たちの態度が、断じて大公位の貴族に向けて良いものではないということに気付いてしまったのだ。


「こ、これまでの無礼の振る舞いの数々、何卒お許しいただきたく……! もし罰するというのなら、全ての罪は私が背負います! ここにいる弟と、私たち姉弟を雇ってくれた大恩ある海猫亭の夫妻を罰することだけは何卒……!」

「ね、姉ちゃん……」


 あまりにも悲痛なナトラの叫び。その様子だけで、二人の中の貴族像というものがどういうものなのか、なんとなくだがルトは察した。


「……はぁ。少しは落ち着け。昨日の、そしてそれ以前の件でどうこう言うつもりはない。昨日も言っただろうに。身分を隠していた以上、余程の無礼を働かなければ不問とすると」

「いえ、ですが……」

「いいからさっさと座れ。この問答の方が時間の無駄だ」

「は、はい! 失礼いたしました……!」


 ルトの呆れ混じりの言葉に、再びナトラが謝罪する。

 その姿はあまりに必死だ。少しばかり違和感を覚えるほどに。


「何でそこまで恐れるかね? 貴族に何か嫌な思い出でもあるのか?」

「え、あ、その、貴族にはそういうことはないのですが……」

「あー、大公様。姉の代わりにおれ、私が説明してもよろしいでしょうか?」

「どっちでも構わん。あと一人称は好きにしていいぞ。人払いも済ましてあるから、そこまで礼儀作法は気にするな」

「感謝します」


 姉のような苦手意識の類はないのか、リックは比較的落ち着いた態度であった。知り合いが大公位の貴族であったという驚きこそあれど、それ以上の恐れのような感情はほぼ感じさせない。

 そうしてリックは語り始める。自分たちの生い立ちを。


「薄々察しているとは思うのですが、俺たちは結構良いところの工房出身でして。魔術での金属加工が主な仕事で、姉ちゃんはその跡取りだったんです」

「ああ。それで魔術を」

「はい。身内贔屓を抜きにしてもかなりの才能だって両親は言ってました。その才能を伸ばす為にも、両親がわざわざ魔術学院に正規入学させたほどで」

「ほう」

「ただ工房の中には、いくら才能があっても女の身で工房主を継ぐのは如何なものかって騒ぐ者もいまして……」

「ああ……」


 その時点でルトは大体の事情を察してしまった。


「で、姉ちゃんの卒業が近付いてきた時期に……両親が事故で亡くなったんです。そして次期工房主に名乗りを挙げたのが、魔術職人であり街の代官とも親しかった叔父でした」

「やはりそういう話か」


 ありきたりと言えばありきたりの、コミュニティ内での跡継ぎ争いという訳だ。

 ナトラの態度もそれで納得した。大方その叔父とやらと親しい代官にでも何かされたのだろう。一番ありえそうなのは、身分をかさにきて身体を求められたりでもしたか。

 貴族というよりは、権力者そのものに対する苦手意識と見るべきか。


「……まあ会話が難しいというのならそれで構わん。ハッキリ言ってナトラの方はオマケみたいなもんだ」

「へ、あ、え? そうなんです、か……?」

「ああ。主に用があるのはリックだ。キミは静かに横で茶でも飲んでいろ」

「いや、でも、愚弟が何かその、失礼を働くかもしれないので……」

「姉ちゃん。大公様がそういうの気にしない方なのは明らかだよ。むしろ姉ちゃんがちょくちょく吃る方が、会話を遮ることになって迷惑だと思う」

「っ、アンタね……!」

「姉弟喧嘩は後にしてくれ」

「ひゃい!? 失礼いたしました! 二度と口を開きません!!」

「筋金入りだな……」

「姉ちゃん……」


 あまりの怖がりように、ルトもリックも揃って呆れの声を零した。そして無言で意見が一致した。

 もうコイツはそっとしておいてやろう、と。


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