第39話 不良大公と秘書

「……ふむ」


 神兵に関する話し合いの翌日。ルトは珍しく仕事をしていた。神兵を監視するよう命じた部下からの報告書を確認しているのである。


「……商会の所属は法国寄りの第三国か。厄介な」


 まとめられた内容に自然と溜息が出る。

 現状ではマトモな情報など皆無に近いが、それでも報告書に記された内容だけでも、解決までの道のりが長く険しいことが容易に想像できてしまった。

 そうして顰めっ面で報告書を睨んでいると、コンコンと扉がノックされる。


「誰だ」

『──閣下。御時間をよろしいでしょうか?』

「アズールか。入っていいぞ」

「失礼いたします」


 部屋を訪ねてきたのは、秘書として正式にルトの部下となったアズールであった。


「……珍しいですね。閣下がこの時間に起きていて、更には書類を確認しているなんて」

「開口一番でそれか。お前も随分と染まってきたな」

「お陰様で、と申しておきます」


 呆れ混じりのルトに対して、アズールは悪びれることなく肩を竦めた。

 そのやり取りは明確に以前のものと違っていた。正式に上司と部下という関係になったことはもちろんだが、それ以上にアズールが他の部下たちに影響を受けたからである。

 実のところ、当初アズールはルトの秘書という立場に不満を抱いていた。なにせ秘書として仕えることになったはずが、当のルトには仕事らしい仕事もないため、必然的にアズール自身の仕事もなかったのだ。だからといって女として夜の相手をさせられる、なんてことももちろんなかった。

 自身の有用性が全く発揮できない環境。これがアズールには不満だった。最終的にはルトがリーゼロッテの手伝いとして、アズールのこともぶん投げた為にその問題は解決したが。

 その時に感じていたルトへの僅かな不満。それを知ってか知らずか、アズールの目の前で交わされるルトと部下たちによる主従らしからぬ会話。更に悪ノリでアズールにも自分たちと同じ態度を勧める駄目オヤジどもに、それを咎めることすらしない不良大公。

 結果、アズールは染まった。今では他の部下たちと同様に、ルトに遠慮のない皮肉を飛ばす人間の一人となっていた。


「本当に慇懃無礼そのものみたいになったなぁ」

「不快ですか?」

「生憎と他人の態度に文句を言えるほど行儀の良い性格はしていない」

「ええ。存じておりますとも」

「さいで。んで、何の用だアズール」


 苦笑とともにルトは報告書から一旦目を離し、要件を問うた。

 何度も言うがルトは基本的に仕事をしない暇人だ。秘書とは言えリーゼロッテの事実上の部下となっているアズールが、わざわざルトの部屋に訪ねてくる理由がない。


「閣下にお客様ですよ。例の姉弟とのことです」


 だが内容を聞いて得心した。どうやらリックたちが尋ねてきたらしい。


「ああ。もう来たのか。念押ししたとはいえ早いな」

「平民が領主の屋敷に招かれたのです。後回しになどできる訳がありません」

「それもそうか。……いや待て。何故アズールがそれを伝えに? 使用人はどうした?」

「怠慢という訳ではありませんよ。秘書らしいこともしておこうと私から申し出たのです。なにせ屋敷で過ごして初のことですので」

「暇人で悪かったな」


 どうやらアズールは、今回の連絡をルトの秘書としての初仕事と考えたようだ。

 わざわざ使用人と代わってまで伝えにくるのだから、随分と生真面目というか、いじらしいと喩えるべきか。

 どちらにせよ罰が悪いと、少しばかりルトも天井を仰いだ。


「ま、了解した。すぐに向かおう。案内を頼む」

「そちらの御仕事の方はよろしいのですか?」

「ああ。重要案件ではあるが、内容自体は大したことないからな」


 報告書に書かれてあるのは、件の神兵の前日の動向と、神兵が表向き所属しているであろう商会についての情報のみ。

 前者は特に動きらしい動きはなかったので特筆性はゼロ。後者は商会の客なら知っている程度の情報しか書かれていない。

 なにせ担当したのが兵士でしかないルトの部下たちなのだ。専門の訓練を積んでない彼らでは、この手の調査は無理がある。

 そもそもルトが部下たちを配置したのは、その日の内に何かしらの行動を起こされるのを防ぐ為だ。はっきり言って調査の方はオマケである。


「内容も大体確認したし、この報告書は処分しておいてくれ。気になるなら見ても構わんぞ?」

「……よろしいので?」

「本当に大したことは書いてないからな。なにせコレを書いた本人たちが、そもそも何の為に命令されたのかも知らん。どうしたって内容は薄くなる」


 内容が内容だった為に、ルトが神兵について報告したのはリーゼロッテのみ。実のところ、部下たちはルトが指名した対象が何者なのかいっさい理解していなかったりする。何らかの不審人物ぐらいにしか考えていないだろう。


「それでもしっかりと命令は達成したのですか。やはりというか、あの方たちは優れた兵士なのですね。普段の態度はアレですが」

「そりゃ全員がオヤジだしな。経験は相応に積んでいるさ。普段の態度もオヤジだが」


 あやふや命令だろうがいっさい躊躇わず、また手を抜くこともせずに遂行する。その姿勢は理想の兵士そのものだ。

 貴族でもあり軍人でもあるアズールから見ても、ルトの部下たちは手放しで素晴らしいと太鼓判を押したくなるほどである。……普段の態度のせいで、ハインリヒを除く全員がそう思えないのが大変にアレであるが。


「ま、気になるのならリーゼロッテに直接訊け。それで教えられたのなら、お前も本格的にこの件に拘わることになるだろうよ」

「承知致しました。ではそのように」


 ルトにそう言われたことで、後で必ず尋ねることにしようとアズールは内心で決心した。

 元皇女でもあるリーゼロッテに直接尋ねるなど畏れ多いと思わなくもないが、この一件はある種のチャンスなのだから。

 ここであっさりと教えられたのなら、それはアズールがそれだけ信用されており、重宝されているということの証明。

 氷神ルトの秘書でありながら、元皇女であり現公爵家当主であるリーゼロッテからも重宝されているとなれば、それはアズール個人だけでなく実家にとってもプラスとなる。


「最初はあまりの仕事のなさにどうしたものかと思いましたが、案外なんとかなるものですね」

「何でそんなに働きたがるかねぇ……。俺には理解できんな」

「帝国に尽くし、己の有用性を証明することが貴族に生まれた者としての歓びですので。それによって御家の利益となるのなら尚更でございます」

「ああ、うん。まったく理解できんわ」

「それを抜きにしても、現状では余裕がある者が手伝った方が良いかと思いますので」

「ああ。それなら理解できる」


 実際、現状のガスコイン家には人的な余裕があまりない。人員不足という訳ではないのだが、諸々の引き継ぎやらで常に忙しいというのが現実だ。

 なので本来の業務がゼロの自分が手伝った方が良いと、アズールが判断するのも分からなくもないのだ。


「ま、やりたいのなら好きにすれば良い。ともかく、今は目先の用を済ますとしよう」

「畏まりました。それでは御案内致します」

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