第38話 月下の会談

「報告することが二点ある」


 恒例となったリーゼロッテとの月下の会談。だが今回の会談は、これまでのそれとは違った切り口から始まった。


「報告、ですか? 何か興味深いことでもございましたか?」

「残念なことに真面目な話だ。俺が大嫌いな政治に拘わる類のな」

「まあ! 旦那様からそんな話題を振られるなど思いもしませんでしたわ」


 驚きによってリーゼロッテが目を見張った。表情を取り繕うことすら忘れているあたり、本当に驚いているのだろう。


「その手の話題を徹底的に避けてきた旦那様が、一体どういうお気持ちの変化ですか? それとも旦那様が口を出さざるをえないほどに重要なことですか?」

「タチの悪いことに後者だ。街で神兵をみかけた。流石に静観はできん」

「──詳しく伺いましょう」


 神兵。その単語を耳にした途端、リーゼロッテの表情が一気に引き締まった。

 婚約者を自室でもてなす淑女は消えた。今この場に座っているのは、ガスコイン領を治める領主にして公爵家当主であるリーゼロッテだ。


「まずは確認を。旦那様が仰っているのは、法国のあの『神兵』で相違ありませんか?」

「ああ。その神兵だ。法国の魔神格、使徒スタークによって祝福され、戦術級術士に匹敵する戦闘力を獲得した強化兵たち」

「使徒スターク。改めて聞くとゾッとしませんわね」


 リーゼロッテが小さく溜息を吐く。それと同時に納得もした。敵対する魔神の影を見たのならば、ルトが動くのも当然だ。領地に、帝国に仇なす敵対者を排除することこそが、ルトに与えられた唯一の仕事なのだから。


「法国の神兵。端的に言ってしまえば、轟龍と呼ばれ諸外国で恐れられるクラウス殿下と同格の強者。それでいて法国においては容易く補充可能な末端兵」

「旦那様を前にして言うことではありませんが、本当に魔神格の魔法使いというのは非常識です……」


 クラウスの凄まじさはリーゼロッテもよく知っている。あくまで訓練ではあったが、たった一人で帝国の精鋭部隊を壊滅させたこともあるのだ。

 それほどの豪傑が、法国では文字通り掃いて捨てるほどに存在している。いや正確に言えば、いくらでも生み出すことができるというべきだろう。

 ただ使徒が魔法を掛ければいいのだ。それだけで新兵だろうが幼児だろうが、誰もが等しく一騎当千の戦闘力を獲得する。それでいて強化に人数制限もないのだから堪らない。


「俺も同感だよ。使徒スタークは毛色が違いすぎる。数々の逸話、アクシア殿の証言をもとに断言するが、『厄介』さでは使徒が飛び抜けている」


 ルトやアクシアが『広域破壊』を得意としているのに対し、スタークは『広域制圧』を得意としているというべきか。

 個々の質が極限にまで高められた数の暴力は、国家としての戦争でこそその真価を発揮する。


「戦場ではもちろん、裏工作においても神兵は厄介極まりない。諜報員ですら戦術級術士に匹敵するんだからな。裏で下手に捕らえることも処理することもできん」

「ちなみにお訊きしますが、どのような理由から神兵だと見破られたのですか? 神兵が活発に動いているのならば、早急に手を打たなければなりません」

「奴らが何処まで動いているかは不明だ。俺が見抜いたのだって偶然だ。リーゼロッテは魔神格が操る色、アクシア殿が神威と呼ぶものを知っているか?」

「話には聞いております。それが魔神格の力の源だとか」

「ああ。発明市を散策している時、それがそいつから見えたんだよ。だから活動までは分からん」


 あくまで偶然。綿密な調査の末に断定した訳ではなく、たまたまルトが神威を目にしたからにすぎない。


「……少し不穏でもありますね。そんなあからさまに神兵を配置しているというのは」

「どうだかな。神威は魔神格、ガスコイン領では俺にしか確認できないんだ。遭遇しなければバレないと考えていてもおかしくない。見せ札扱いでバレるのを前提に動いてる可能性もあるが……」

「詳細が不明である以上は断言はできませんか。ひとまず発覚前提の配置で進めましょう。警戒しておいて損はありません」


 相手は魔神の祝福を受けた神兵。下手な油断は甚大な被害を招く。如何にルトという超戦力が控えていようと、気を抜いていい理由にはならない。


「ひとまず俺の部下たちで対象とその周辺を見張らせている。だがアイツらはあくまで兵士だ。専門じゃない以上は深入りはさせられない」

「承知しております。明日にでも軍の方に連絡を入れ、引き継ぎの者を用意させましょう」

「部下たちはそこで一旦お役御免か?」

「ええ。旦那様にはあまり馴染みがないとは思いますが、帝国においては貴族の抱える兵力と軍は明確に区別されておりますので」

「あー、前にチラッとアズールから聞いたな。効率化の為に、軍事力を帝国軍一本に絞り始めていると」

「はい。貴族を頂点とする兵力では、乱立する指揮系統によってどうしても混乱が起こりますから。その関係もありまして、一定以上の規模の事柄は帝国軍が担当することになっております」


 帝国において、領主の私兵や警備隊の権限が及ぶのは領内までとされている。領内の治安維持は彼らの仕事ではあるが、領外にまで影響が出るような事柄の場合は帝国軍へと管轄が移ることになる。

 他国による工作は帝国全体に拘わる事柄なので、今回の場合はサンデリカに常駐する帝国軍が主として動くことになる。


「では俺がこれ以降の指揮を取ることはないか」

「そうなるかと。ただ旦那様が望むのならば、指揮に加わることも可能でございます。爵位持ちは対応した階級相当として扱われますので。旦那様の大公ともなれば、元帥相当としてもてなされますよ?」

「あくまで『相当』としてもてなされるだけだろう? 素人がでしゃばっても神輿扱いが関の山だ。余計な手間を増やしてどうする」

「ふふ。旦那様ならそう仰ると信じておりました。それが正解でございます。この仕組みは今回のような事態の際に、領主が命令という形の要請を行うためのものですわ。軍閥貴族でもない限りは、実際に指揮に口を出すことはありません」

「だろうな」


 これが他の国なら見栄などで本当に口を出したりもするのだろうが、ここは優秀な人材が犇めくフロイセル帝国。その程度の合理的判断すらできない爵位持ちなど滅多にいないはずだ。


「ただ今回の場合ですと、逆に旦那様の方に軍から協力の要請が来るかと。無論、拒否することも可能ですが……」

「安心しろ。拒否なんてしない。これは俺の管轄でもあるんだ。無駄飯食いでいるのは平時だけだ」

「頼もしいですわ。それでは軍にはそのようにも伝えておきます。場合によっては本件の指揮官とも打ち合わせをしていただくことになるかもですので、そのあたりもご了承ください」

「ああ」


 素直にルトが頷く。この一件に関しては、ルトも精力的に動くつもりであった。やるならば容赦なく徹底的に。面倒事などさっさと片付けるに限るのだから。


「神兵の件につきましては、この場で話せることはこれぐらいでしょうか?」

「だろうな。奴らの活動の詳細が分からない以上、何を語ったところで推論、妄想の域を出ない。続きは軍を交えてだろう」

「ではそのように。それで旦那様、報告することは二つと仰っておりましたが。残りの一つは何でございましょう?」

「あー、そっちは現状ではあまり重要ではない。先に言っておくと、先の件とは完全に別件だ」


 そう言ってルトは一度大きく息を吐く。重要な話題から張り詰めていた身体を解すように、ゆっくりと。

 それに釣られてリーゼロッテも肩の力を抜いた。どうやら本当に緊急性の高い話ではないようだ。


「別件と申しますと、政治の絡む話でもないと?」

「それは微妙なところだな。実は発明市の散策中に、神兵とは別に興味深い人材を見つけてな。見極める為に近日中に屋敷に訪ねるよう命じたんだ」

「まあ! 旦那様がわざわざ呼び出すなんて、随分と優秀な者なのですね。どのような者なのですか?」

「幼い少年発明家と、それを手助けする魔術師の姉でな。この街の海猫亭という酒場で働いている」

「少年発明家に魔術師の姉。また変わった者たちですね」


 それはリーゼロッテの素直な感想であった。

 わざわざ発明家の前に少年と付けているのだから、本当にその人物は幼いのだろう。そして姉は姉で不思議なものだ。魔術師、それもルトが興味を持つほどの腕ならば引く手数多だろうに。わざわざ酒場で働く意味が分からない。

 よくもまあそんな不思議な者たちを見つけてきたものだと、内心でリーゼロッテは苦笑していた。


「で、悪いんだが。リーゼロッテの方で、その二人のことを調べられないか?」

「恐らく可能かと。家を興す際に陛下から与えられた者たちの中には、その手の調査を得意とする者もおりますので」

「助かる。礼は相応のモノを考えておく」

「お礼など……と断るのも無粋ですわね。では楽しみにしておきますわ」

「ああ。そうしてくれ」


 妙なところで律儀だなという感想を浮かべつつも、決してそれを表に出すことなく、リーゼロッテは優雅に微笑みを浮かべ話を続けた。


「つまり旦那様は、その者たちを雇うつもりであると。身辺調査もその一環ということでよろしいですか?」

「それは見極めの結果次第だ。身辺調査は単純な興味の割合が大きい」

「あら、そうなのですか? てっきりもう雇うつもりでいるのかと」

「少し気になることがあってな。問題があるかどうかを確かめたいんだよ」

「問題、ですか?」

「ああ。ただその詳細は悪いが秘密だ。あくまで私的なものだからな」

「そう言われると少しばかり気になってしまいますわね」


 そう言いながら、リーゼロッテはチラリとルトを見る。……が、特に反応は無し。どうやら本気で話すつもりはないと判断し、即座に追求は諦めた。


「ではその問題とやらがなければ雇うと?」

「ああ。あの才は埋もれさせとくのには惜しい。リーゼロッテとしても、優秀な発明家は欲しいだろ?」

「ええ。もちろんでございます」


 技術に貪欲なのがフロイセル帝国だ。皇女であったリーゼロッテも、もちろんその貪欲さを受け継ぎ育まれている。


「では問題があった場合は、どうするおつもりですか? 優秀な人材を放置というのは、あまり気が勧まないのですが」

「その時はな。……少なくとも放置することはないさ」


 リーゼロッテの問い。それに対してルトはいっさいの躊躇もなく断言した。


「──問題があったら始末する。帝国に仕える身としては惜しくはあるが、これは確定事項だ」

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