第35話 不良大公の日常

 ルトたちがサンデリカに到着してから、十日の月日が流れた。政務の引き継ぎ、近隣の有力者たちとの顔合わせなどで未だに慌ただしくもあるが、ようやく一段落の兆しが見えたと各々が肩の力を抜き出した今日この頃。


「よおハインリヒ」

「……閣下。随分と遅いお目覚めですな」

「いつも通りだろ」


 それぞれの生活リズムが確立され始めた中、唯一ルトだけはだらしのない日々を送っていた。


「起きるのは遅い。皆が忙しく職務に励んでいる中、仕事もせずに常にぶらついている。そもそも屋敷にいること自体が稀。随分と良い御身分ですなぁ」

「実際に偉い御身分だからな。そもそも俺の仕事は有事の戦力であることと、リーゼロッテとの仲を深めることだけだ。役目はちゃんとこなしてるが?」

「なんと言いますかなぁ……。閣下の御立場や思惑は私も理解しておりますが、それはそれとして退屈なさらないのですか? 毎日が休日みたいなものではないですか」

「自堕落に暮らせるに越したことはないだろう」

「いや、暇も過ぎれば落ち着かないかと……」

「性格の違いだなそりゃ」


 怠惰な日々を至上とするルトと、現在に至るまで真面目に職務に励んできたハインリヒでは、考え方が異なるのは当然だろう。勤勉な者に怠け者の考えなど理解できる訳がないのだから。


「それに街をぶらつくのも統治では重要だぞ? 直に見た方が分かることもある」

「いや閣下は政務に不干渉でしょうに」

「街で気になったことをリーゼロッテに話すぐらいはするさ。丁度良いの話のタネにもなる」

「そう言えば初日以降、何度か夜中にお会いになられておりますな」

「ああ。寝る前の他愛のない雑談だがな」

「言葉を交わすのは重要でございます。円満な関係を築いておいて損はありませぬ。……婚約者と言えど、未婚の男女が夜中に二人きりというのはどうかと思いますが」

「どうせ確定事項だ。問題ない」


 ハインリヒの苦言はこの時代においての一般的な考えである。体面を重視する貴族、とりわけ淑女においては貞淑さを損なうような行為は慎むのが普通だ。

 しかし、それはあくまで一般論。魔神であるルトが相手となれば話は変わる。なにせリーゼロッテは、氷神を帝国に繋ぎ止める為の鎖なのだから。二人か絆を深めることは、歓迎こそすれど止められるいわれはないのである。


「ふむ。未来の夫婦仲の為であれば、アレコレ言うのも無粋ですなかな?」

「言われたところで気にしないが」

「忠言を聞き入れるのも上に立つ者の責務ですぞ」

「状況によるだろうが。有事ならともかく、何で日常でまでアレコレ言われにゃならんのだ」

「年寄りは口うるさいものですからな」

「なら無駄口叩かず仕事に戻れ」

「そう言われると弱いですな。ではコイン大公家の私兵隊長としてお尋ねしますが、本日はどちらに行かれる予定で?」

「発明市の方にな」


 発明市。それは帝国で行われて独自政策の一つであり、職人や芸術家たちが個人的に制作した品が並ぶマーケットだ。初めは新技術に貪欲な帝国上層部が、民間から奇抜な発想が出てくることを狙って実施されていたが、今では見習い職人の小遣い稼ぎや、無名の職人、芸術家のアピールの場となっている。

 当初のコンセプトとは外れてしまったものの、新たな人材発掘の場となっていることと、中々の経済効果が見込める為に、現在も各地で定期的に開催されているとはリーゼロッテの談である。


「発明市ですか。確かに暇を潰すのにはもってこいですな」

「ランドではなかった催しだからな。開催中は毎日通うつもりだ。サンデリカは元直轄領だけあって結構な規模らしいぞ」

「存じております。我らもリーゼロッテ様の命で警備することになっておりますれば」

「オイ待てジジイ。じゃあ何で屋敷にいるんだよ? 人にとやかく言っておいてテメェはサボりか」

「まさか。私はこちらで書類仕事でございます。何処ぞの主が我々の指揮権をリーゼロッテ様に丸投げしたお陰で、私兵隊長の私が主の職務までこなす羽目になっているのです」

「そうか。励めよ」

「悪びれませんなぁ……」


 面倒ごとを押し付けやがってというハインリヒの遠回しな苦情であったが、図太いことに定評のあるルトには全く効果がなかった。


「というか閣下、その口振りからして我々の職務内容などは把握していませんね?」

「基本的にリーゼロッテに任せてるからな。最低限の注意事項だけ伝えてぶん投げてはいる」

「……あの、閣下? 閣下は確か、我々の名誉の為に祖国すらも捨てた部下想いな剛毅な方と記憶しているのですが」

「おいおい。直球で褒めるな。照れるだろうが」

「無表情でよくそんな台詞を言えますな。……いえ、そうではなく。その割には我々に対して、微塵も興味もなさそうな気がしてならないのですが?」

「リーゼロッテとお前たちを信じているからな。多分」

「余計な一言をつけないでいただきたいのですが」


 部下の、自らの私兵の動向ぐらいは大公として把握しておけという指摘に、ルトもふむと考える。

 有事以外では運用することがないと割り切っていたが故に、日々の運用には拘わらないつもりでいた。

 また信じていたというのも事実で、リーゼロッテはルトの部下たちに妙な命令を与えることは絶対にしないと思っているし、例え何かあったとしても部下たちなら即座にルトに報告するであろうと思っていた。

 だがハインリヒの反応を見る限りだと、完全な不干渉もあまりよろしくないようだ。心象よりも体裁的な問題として。

 魔神格であるルト個人としては体裁など拘る必要はないのだが、やはりハインリヒたちからすれば常識的な部分が気になるのだろう。


「一理はあるか。分かった。今夜にでもリーゼロッテに尋ねてみよう」

「……目の前に私がいるではないですか」

「お前はこれから仕事だろうが」

「それはそうなのですが……」


 ハインリヒとしては、自分よりも遥かに身分の高いリーゼロッテの手を煩わせるのはと、内心でかなりの抵抗を抱いていたのだが。結局、若い二人の話のタネになるのならと、無理矢理自分を納得させた。


「では俺はそろそろ行く。邪魔したなハインリヒ」

「行ってらっしゃいませ」

「ああ、何事もなければ今日は夕暮れまでには戻る。リーゼロッテの方にも伝えておいてくれ」

「畏まりました」


 最後に連絡事項を伝え、二人は別れたのであった。

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