第34話 月夜のひと時、男女の話
「本当に反省してください閣下! 初日からこのような騒ぎを起こすなど! そもそも抜け出すこと自体が言語道断!」
「悪かったと言ってるだろうハインリヒ。暇だったんだ」
「暇だからと言って姿を消すのは子供のすることですぞ!!」
屋敷に戻ってもなお説教が止まらぬハインリヒに、ルトはやれやれと肩を竦める。お忍び先で起きたトラブルは、権力者としての特権である『上手くやれ』という丸投げで解決済みなのだが……。
それでは気が済まない、いや済ませることができないのだろう。主に対して砕けた言動をする癖に、根本的な部分での真面目さが覗いていた。
「私とて口うるさくはしたくないのです。閣下の性格は知っております故。ですが、これは閣下だけでなく婚約者であるリーゼロッテ様にも影響がございます。家中でお二人が不仲などという噂が流れたらどうするのですか」
「その程度で妙な噂を流す不忠者など叩き出せ。公爵家には不要だろうよ。……分かってる。そういう問題ではないと言いたいんだろ?」
「ええ。よくお分かりで」
「安心しろ。これも全て必要なことだ。そういうことにしておけ」
「閣下。確かに閣下は思慮深く聡明でございます。閣下の言動には、私のような者には考えつかない思惑が隠されていることがあるのも重々承知しております。……ですが今回はそうでない気配がするのですが、これは私の勘違いでしょうか?」
「勘違いではないな」
「閣下!」
せめて誤魔化せと訴えるハインリヒに、ルトはケラケラと笑いながら立ち上がる。なお、今までは自室の長椅子に横たわりながら、ハインリヒの説教を受けていたことを追記しておく。
「そこまで言うなら仕方ない。リーゼロッテのところに顔出してくる。この時間に訪ねれば不仲など言われることもなかろうよ」
「今からですか!? 流石にそれは不味いのでは。時間も時間です。すでにお休みになられてるかと」
騒ぎの対処にハインリヒの説教。そうしたい諸々が重なり、現在時刻はすでに夜中。人によっては就寝していてもおかしくない時間帯で、約束もなしに訪問するには非常識と咎められても文句は言えない。
だからこその提言であったが、ルトは大したことではないと言いたげに軽く身嗜みを整えていた。
「訪ねたという事実が重要なんだよ。寝てたらそれはそれだ。ああ、分かっていると思うがお前はついてくるなよ? 婚約者の付き人と言えど、寝姿など見られたいものではないだろうし」
「それは当然ですな。むしろ閣下にもそれは当てはまるかと。似合わぬぐらいに積極的ですが、何が目……ちとお待ちください。もしや閣下、どさくさに紛れて私に説教を切り上げさせようとしてませぬか?」
「正解」
「だからせめて誤魔化してください閣下!!」
「行ってくる。お前もしっかり休めよ」
「……っ、はぁ。行ってらっしゃいませ」
全ての文句を飲み込んだであろうハインリヒに見送られながら、ルトはひらひらと片手を振りながら自室を後にした。
そうして屋敷を移動すること暫く。リーゼロッテの私室を知らなかったこともあり、多少迷いながらもルトはようやく目的地へと辿りついた。
寝ている可能性も踏まえ、ノックは控え目に。就寝していたら即座に引き返すつもりであった。すれ違ったメイドに私室の位置を教わったりもしているので、半ば目的は達成していたようものであったからだ。むしろ就寝していてくれた方が手間もないとすら思っていた。もちろん、それが身勝手ではあるとの自覚はある。
『──何か?』
だが幸か不幸か、リーゼロッテは未だに起きていたようだ。
ただ扉越しに聞こえてくる声からは、若干の不信感が感じ取れる。この時間帯にわざわざやってくる者に心当たりがないからだろう。
「俺だ。少し話がしたいんだが構わないか?」
『旦那様? 少々お待ちください。身嗜みを整えますので』
驚きの混ざった声。だが拒否するつもりはないようで、僅かな衣擦れの音が響いた後に扉が開いた。
艶やかな髪は緩い三つ編みでまとめられ、上質な絹特有の光沢を放つネグリジェを身にまとったリーゼロッテ。軽く羽織るブランケットが、今しがた聞こえた衣擦れの音の正体だろう。
明らかな就寝間際な姿に、これはむしろ間が悪かったかとルトも頭を掻く。
「こんな時間に悪いな。寝る直前だったか?」
「いえ。月明かりに照らされる海を眺めていたところですわ。それより何か御用でしょうか?」
「大した用はないんだが。ハインリヒにドヤされてな。公爵家発足の記念すべき日に婚約者を放っておく馬鹿が何処にいるって。そんな訳で、少しばかり親睦を深めようかと」
「あら。それで夜這いなど旦那様は大胆ですわね」
「止めてくれ。この時間に淑女の部屋を訪れるのが礼儀に欠けているのは理解している。だが他意はない。本当に話をするだけさ。嫌なら断ってくれて構わないよ」
「ふふっ。旦那様がそのような方でないのは存じておりますわ。でも驚いたのは事実ですので、ほんの仕返しです。……ただ夫婦として親睦を深めるというのは、私としても願ってもないことです。ささ、お入りくださないな」
「本当に適わないな」
茶目っ気溢れる笑みとともに部屋の中へ入るよう促され、ルトは苦笑を浮かべながらも後に続いた。
華美というほどではなく、されど確かな質の調度品が並ぶ室内。公爵家当主に相応しいと言ってしまえばそれまでだが、少女の私室と考えると些か渋いと感じてしまうのは、ルトの感覚が庶民に寄りすぎているからだろうか。
「どうぞお座りください」
「ああ。失礼する」
「それでどんなお話しをいたしましょうか? 政務のこと? それとも別行動を取ってからのことでしょうか? ……それとも、本当に夫婦の営みに移りますか? その気がないというのは存じておりますが、旦那様がお望みならば私は一向に構いませんわ」
少女にあるまじき蠱惑的な笑みを浮かべ、リーゼロッテは軽く羽織っていたブランケットをはだけてみせる。僅かに露出する首筋。染み一つない淡雪のごとき柔肌。茶目っ気混じりの挑発と表現するには、あまりにも色気がありすぎる。
「ふっ。背伸びするのは子供の特権だが、少しばかりはしたないぞお嬢さん。その魅せ方をするにはリーゼロッテは些か若い。魅力的だとは思うがね」
だが相対するルトもまた、その手の話題では年齢以上に手慣れていた。女慣れしていないおぼっちゃまなら、幼さすら覆い隠すリーゼロッテの妖艶さにあてられていただろう。しかし、彼女の目の前にいるのは部下たちから不良と呆れられる少年大公。端的に言えば遊び人の類だ。いくらリーゼロッテが魅力的であろうとも、その手の店の嬢たちからも上客として人気だったルトでは相手が悪い。
「優秀ではあっても、やっぱりそっち方面ではまだ子供だな。普段大人びているキミが妖艶さを演出しても、慣れてる奴は子供の背伸びにしか見えんよ。むしろ気を許してる感じで、少し幼く甘えるべきだ。そっちの方が特別感があって男は揺れる」
「……はぁ。乙女としてのほんの悪戯心だったのですが。こうも見事に躱された挙句、指南までされては立つ瀬がありませんわね。やはり旦那様は意地悪ですわ」
「とは言ってもなぁ。そもそも向かいの椅子を勧められた時点で、本心ではその気がないってのが明らかだろうよ。必要に迫られてならともかく、そうじゃなければその気でない娘の誘惑に乗るのもアレだろ?」
「む……」
二人は向かい合う形で座っていた。リーゼロッテとしては、隣に腰掛けるのがはしたないと感じていた為であったが、それこそが本心の現れだとルトは笑う。
「淑女としての常識を無意識で優先したんだろうが、女として距離を縮めたいと考えてる娘はもう少し積極的だ。はしたないと思われないようにと態度を取り繕っても、一瞬の葛藤ぐらいは見せるもんだ。それすらないとなれば流石にな」
「……なるほど。ごもっともですわね」
降参だとリーゼロッテが肩を落とす。実のところ皇女時代の英才教育の一つ、男女の駆け引きについての教えの成果を試すべきだと内心で奮起していたのだ。それが場を整える段階で間違えていたと指摘されたことで、まだまだ己が未熟であることを痛感してしまったのである。
「そう落ち込むな。俺も上から目線で無粋なことを色々言った。勇気を出したレディーを子供扱いしたことなんて我ながら最低だよ」
それがルトのフォローであることは、リーゼロッテも当然理解できた。それと同時に本心で自分の言動を採点していることも理解できた。……それと同時に呆れもした。それを相手に察せさせる辺り、あまりに手馴れすぎていないかと。
僅かに胸の奥で感じた苛立ち。女遊びの達人の如き振る舞いを見せるルトに対してのも──ではない。それはこうも見事に内心を看破された、自分の不甲斐なさに対する小さな苛立ちであった。
そしてそれすら見抜いたかのように、ルトの口が僅かに弧を描く。
「ま、これでリーゼロッテも理解したはずだ。俺たちは本当に仲を深める段階なんだよ。やがて結ばれる婚約者ではあっても、異性としての関係性ではお互いにまだまだ。だからひとまず、こうして言葉を交わして仲良くなろうか。俺を揶揄うのはそれからだ」
「……そうですわね。夫婦としての第一歩。そう言われてしまえば、私としても否とは言えませんわ」
「ああ。じゃあそうだな、さっき言ってた別行動してた時の話とかはどうだ? 街の話とかはそっちも気になるだろう?」
「そうですわね。では旦那様からお願いいたします」
そうして始まる二人きりの月夜の雑談。まずは男女としての一歩を。良好な夫婦仲を築くためにという目的のもと、元皇女な新米当主と魔神で不良な少年大公は語り合う。
この夜の世界での歩み寄りは、以降は定期的に開催されることとなる。
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