第33話 不良大公による制裁

 一瞬の出来事であった。


「ァァァ……!!」

「っのぉぉぉ……!!」


 予想外の相手から攻撃を受けたことで、男たちは無様に床を転がり回っている。


「あー、あれは痛い……」


 一部始終を目撃していたルトはつい苦笑いを浮かべる。苛烈さという面ではルトの方が上だが、リックの姉のそれはまた別ベクトルで容赦がなかった。

 おそらく軽めの強化の魔術をかけていたのであろう。細身の少女らしからぬ力強さで手にしていたトレーを振り抜き、男たちの太ももを殴打したのだ。しっかりトレーを縦に構えた上で。

 大の男であっても悶絶必至の一撃。下手したら大腿骨が折れていてもおかしくない。的確な攻撃は明らかに慣れている者のそれである。対応している時点でやけに反骨心のある眼差しを浮かべていたのでルトも静観していたが、どうやら予想以上の人物だったようだ。


「見事なもんだな。魔術も使っていたようだし、もしかして元兵士か?」

「へ? あっ、いえそういう訳では。ただ一時期首都の魔術学院に通ってまして。その時に友人の勧めで戦闘魔術の講義に出てたので……」

「なるほど。魔術学院の。リックの受け応えもしっかりしていたし……いや、失礼。余計なことを言った」

「あはは。弟が色々話したみたいですね。お気遣いありがとうございます。まあ、そういうことでちょっと強いんですよ私。あ、申し遅れましたが、私はリックの姉でナトラといいます」


 そう名乗りながら頭を下げる少女、ナトラに、ルトは確かな教養を感じとった。学院を通っていたとも証言もあるので、やはり元は結構な家の出なのだろう。事情は不明だが給仕としてこうして働いている以上、就職に制限がかかっている訳でもなさそうだ。ということは、そうした制限のかからない富裕層よりの手続きで学院に通っていたことになる。相応の家柄であったことは明らかだ。

 だが同時に手際の良さには納得もできた。その気があったかどうかは別として、彼女は帝国の魔術兵としての教育も受けていたのだから。酔っ払いの一人や二人、制圧するぐらい容易いはずだ。


「それより申し訳ございませんお客様。本当ならもっと早く止めるべきでしたのにご迷惑を……」

「いや。かかった火の粉を払っただけだ。悪いのはそこのクソどもだよ。だから謝る必要はない」


 店側の対応が間違っていた訳でもないのだ。それなののにわざわざナトラを責める気はルトにはなかった。


「そう言っていただけると助かります。ただやはりご迷惑をおかけしたので……あ、はい。大丈夫とのことなので、本日のお代は無料とさせていただきます」

「気をつかう必要もないんだが……。だがまあ、せっかくの厚意を無駄にするのも悪いか。ありがたく受け取ろう」


 詫びは単純は謝罪だけでなく、詫びる側の罪悪感を軽減させる面もある。ならばここで断る方が無粋ということで、ルトも大人しく受け入れることにした。


「とは言え、だ。空気を凍らした奴が居座っても迷惑だろうし、今日はもうお暇させてもらおうか」

「いえそんな! お客様がそのようなことを気になさる必要は……!」

「嫌気がさして帰るんじゃない。静まりかえった酒場で飲んでも美味くないってだけだよ。ここのツマミと酒は美味い。また日を改めてお邪魔させてもらう」


 本当に上品な客が多かったのか、酔っ払いたちのうめき声によって酒場の空気は冷えきっていた。そんな状況で酒を飲んでもあまり楽しめないだろう。無料であってもだ。

 静かに酒を呷るのも悪くはないが、本来賑やかな酒場が静まりかえっている状況は違う。なら日を改めた方が無難だろう。


「本当に申し訳なく……。次のご来店の際にはめいいっぱいサービスをさせていただきます」

「そうか。それじゃあ楽しみに──」

「ふ、ざけんなぁテメェら……!!」


 ルトが店を出ようとした時である。足元で転がるうちの一人がそんな声を上げたのは。


「……あぁ。すっかり忘れてた。そのまま黙ってれば見過ごしてやったのに」


 不快な気分がぶり返したことで、ルトの眼差しが、永久凍土のそれに変化する。酒場の給仕らしからぬ勇ましさを備えたナトラが、ルトの放つ気配に後ずさった程だ。

 だが悲しいかな。酔いと怒り、痛みで冷静さを欠いている愚か者はそれに気付かない。


「ナトラ。何か縛るものはないか?」

「……多分ありますけど、何をするつもりでしょうか?」

「縛りあげてスラムに放り込む」

「それ下手したら死んじゃいますよ!?」


 たまらずナトラが叫んだ。治安が良いとされるサンデリカであっても、スラムとなればこの酔っ払いたちがマトモにしか思えないようなロクデナシの巣窟。そんな場所に拘束された上で放り込まれたりすれば、最低でも身ぐるみを全て剥がされるし、運が悪ければ殺される。

 そんな手段を躊躇なくやると言ったのだ。一般的な感性をしているナトラ、いや酒場にいた全員がドン引きしていた。……大公であるルトからすれば、まだ生き残る可能性があるだけ温情ある処置のつもりなのだが。


「ふざけんじゃねぇ!! こんなことしてタダで済むと思ってんのか!? 絶対に許さねぇぞテメェら!」

「ほう? 無様に転がってる状況で吠えるじゃねぇか。いったいどうしてくれるんだ?」

「俺の兄貴は警備隊だ! 訴えて牢にぶち込んでやる!!」


 念押しするとルトは大公だ。更に言えば、立場を明かせば男たちは牢屋どころか処刑台行きだったりする。……流石に馬鹿らしいのでやらないが。


「身内に頼るとか餓鬼かお前。悪酔いして〆られた奴がよくそんな台詞吐けるな。恥ずかしくねぇのか」

「あきらかにそんな次元じゃねぇだろうが!! 特にそこの女! テメェ魔術を使ったんだろ!? 魔術で一般人に手を出すのは重罪だぞ!?」

「はぁ? 太腿を強めに叩かれたぐらいで捕まる訳ないでしょう? 大怪我させた訳じゃないんだから」

「うるせぇ!! こちとら怪我してんだよ! 魔術で怪我させられたんだかられっきとした事件だろうが! 兄貴に頼んで絶対に牢にぶち込んでやるから覚悟しやがれ!!」


 痛みで未だに立ち上がることすらできない男が、みっともなく叫び続ける。その姿はあまりにも無様であり、そんな状態でなお絡んでくることがルトには不愉快極まりなかった。

 もはや我慢の限界。ルトの心情を端的に表現すればこの言葉に尽きた。


「ナトラ。やっぱりロープ持ってきてくれ」

「……その気持ちは痛いほど分かるのですけど。申し訳ありませんがお客様。流石に殺人になりかねないようなことのお手伝いは……」

「安心しろ。気が変わった。スラムに放り込むのは止めだ。警備隊の詰所まで引きずって、コイツの兄貴とやらに直々に牢屋にぶち込ませる」

「はぁ!? んなことできる訳が……!!」

「できるんだよ。お前の兄貴は警備隊らしいが、奇遇なことに俺もそこそこな立場でな。といっても、今日この街にやってきたばかりなんだが」

「……は?」


 ルトの言葉によって男が止まる。今日この街にきたばかり。その立場が持つ意味を理解したから。

 本当の身分をルトが明かさなかったのは、男たちに対する最後の温情であり、それ以上に今後この店に通いにくくなることを避けたからという理由が大きい。

 だがそれでも、今日やってきたそこそこな立場という言葉は重い。それすなわち領主に仕える身分であるからだ。貴族に仕えることができるのは、身元が確かな者のみ。公爵位の貴族に仕えているとなれば、その者もまた爵位持ちの貴族であってもおかしくないのだ。少なくとも肉体労働者であろう酔っ払いたちとは、身分という意味では比べものにならない差がある。

 それでようやく叫んでいた男は、いや酔っ払っていた男たちは気付いた。自分たちがとんでもないことをしでかしていたことに。自分たちの方が犯罪者、それもかなりの重罪を犯している可能性があることに気付いてしまった。


「……お、おいおい。変なこと言ってんじゃねぇよ。貴族様の名を使うのは、それこそ極刑ものの重罪だぞ……?」

「おいおい。俺は今日この街にやってきた、そこそこな立場の人間としか言ってないんだがな? 具体的に何処かの家の名を語ったつもりはないが、そこまで言うなら仕方ない。俺の罪とやらも含めて警備隊の方で確認しようじゃないか」

「ひ、ひいっ……!!」

「そ、そんなのゴメンだ!」


 貴族のような迂遠な言い回し。そのあまりの自然さに、ルトの語った内容がタチの悪い冗談の類でないことを理解したのだろう。足を殴打されたことで意識が残っていた二人は、気絶している仲間も見捨ててなんとか逃げ出そうと這いずり始めた。


「どこ行くつもりだこのクソ虫ども」

「あぐぁ!?」

「ぎぎゃ!?」


 だが、それをルトが許す訳もなく。這いずる男たちの腹を容赦なく蹴り上げ、その無様な逃亡を止めさせる。


「ナトラ。ロープ」

「は、はい! ただちにお持ちします!」


 ルトが高位の身分の可能性が浮上した為か、今回の要求はあっさり通った。

 そして慣れた手付きで男たちの両足首を縛り、余ったロープを手に持った。


「……あの、まさか本当に引きずっていくつもりでしょうか? 警備隊を呼ぶのではなく?」

「引きずった方が制裁になるだろ」

「いやでも、男三人はかなりの重量かと……」

「俺も強化の魔術を使えるからな。この程度は問題ない」

「それはかなりの魔術では……? あの、やはりお客様は……」

「気にするな。戦場にも出るちょっと偉い身分ってだけだ」

「ア、ハイ」


 一瞬にしてナトラが口を閉じる。戦場に出るような偉い身分となると、軍の士官や貴族といった立場が真っ先に思い浮かんだからだ。これ以上深入りしてはならないと、平民であるナトラは心に刻んだ。


「さてクソ野郎ども。詰所までの楽しい楽しいお散歩の時間だ。遠慮なく引きずってやるから、しっかり酔いを覚ませよ。今後の受け応え次第で、お前らの人生が決まるかもしれないからな」

「「ヒィッ……!?」」

「それじゃあな。また日を改めてお邪魔させてもらう」

「あ、はい! こちらこそ本当にご迷惑をおかけしました! 次の御来店を心よりお待ちしております!」

「堅いなぁオイ。酒を飲みにくる客にそんなかしこまるもんじゃねぇぞ」


 そう苦笑しながら、ルトは海猫亭をあとにした。ズルズルと大きな荷物を三つ引きずって。


──なお。


「勝手に抜け出したと思えば、なに変な騒ぎを引き起こしてるのですか閣下!!」


 男三人を引きずって歩く不審者は、当然ながら警備隊に通報され。紆余曲折の果てに駆けつけたハインリヒに、ルトはしこたま説教されたのであった。

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