第32話 無粋な輩にくだされる鉄槌

 無粋な輩。怒声の主に対して、まずルトが抱いたのはそんな印象であった。

 チラリと視線を向ければ、そこにいたのは三人の男たち。すでに酒が入っているのか顔が赤い。


「ですからもう満席なんです。申し訳ありませんが、席が空くまでお待ちいただくか、お引き取りください」


 運悪くというべきか。男たちの対応していたのはリックの姉だった。給仕に就いてまだそれほど経っていないのだろう。タチの悪い酔っ払いに対してやってはいけないことをしてしまった。


「ふざけんな! どこもかしこも満席満席! こちとら客だぞ!? 田舎者は相手しねぇってか!? 街だかなんだか知らねぇがお高くとまりやがってよぉ!」


 案の定というべきか。頭を下げた少女に対して酔っ払いたちが怒鳴る。あの手の輩は獣と同じだ。一度下手に出てしまえば無駄に勢いづいてしまう。

 女将らしき年配の女性給仕が慌ててフォローに入るが、時すでに遅しだ。一度ヒートアップした酔っ払いたち、特に最初から怒鳴っていた男は一向に止まる気配がない。脈絡もない言い掛かりを延々吐き出し続けている。

 もともと気が立っていたのだろう。口ぶりからして男たちは地元民ではない。旅疲れ、賑やかな日に今ひとつ乗り切れない不満などが相まって、面倒な方向に爆発してしまったようだ。もともとがチンピラの可能性も高いが。


「人が集まれば治安も荒れるか。にしても、白けるなぁオイ」


 賑やかだった店内は男たちのせいで静まりかえっている。こういう店では勇ましく立ち上がる者もいたりするのだが、どうやら今回はお行儀の良い客ばかりが集まっているようだ。あとは新領主就任の祝日に騒ぎを起こし、罰せられるのを恐れたか。

 エールを呷りながら、さてどうしたものかとルトは考える。不愉快な輩ではあるが、わざわざ絡みに行くのも面倒だ。なにより。となれば、不快ではあるが静観しておくべきだろ──。


「オイそこの小僧」

「──あん?」


 ルトが酒とツマミに意識を戻そうとした時であった。酔っ払いの一人が、ふらりとルトの卓へとやってきたのは。


「小僧がいっちょ前に一人酒なんてしてんじゃねぇよ。オラそこどけや」

「は?」

「は? じゃねぇんだよ。分かんねぇか? 俺ら困ってんだよ。いい気分で酒飲みにきてんのによ。お前が席占領してるせいで飲めねぇんだよ!! さっさと譲れや!!」

「……あ?」


 ルトの口から自然と冷たい声が漏れた。酒の席を白けさせ、挙句の果てに意味不明な理由で絡まれる。ただでさえ無粋な輩と思っていた上でコレだ。静観しようと思っていたが、一瞬でその気は失せた。


「ちょっと! 他のお客様に迷惑かけるのは止めてください!!」

「うるせぇなぁ!! この餓鬼を追い出せば三人分の金が入るんだ! 店としては文句ねぇだろうが!!」

「そうだ引っ込んでろ!!」

「きゃっ」


 リックの姉が咄嗟に割って入るが、追い付いてきた男の仲間たちによって突き飛ばされてしまう。

 あっという間に騒ぎの中心がルトの卓になる。そうして浴びせられる怒声と脅しの数々は、粗野な空気に慣れているルトをして不愉快極まりないものであった。


「……どっちが餓鬼だ。つまんねぇ酔い方しやがって。他人に迷惑かけるんなら酒なんか飲むんじゃねぇよ」

「……は?」

「は? じゃねぇよ。頭どころか耳にまで酒が回って馬鹿になったか? 痛い目に遭いたくなければさっさと消えろって言ってんだよクソが」


 予想していなかったのだろう。たった一人の、それでいて男たちよりも明らかに小柄な少年が、数的にも肉体的にも勝っている自分たちに歯向かうということを。


「……オイ餓鬼。テメェ今なんつった? 喧嘩売ってんのかゴラァ!!」

「喧嘩売ってんじゃなくて忠告してやってんだよ。その酒漬けになってる脳みそでも分かるようにもう一度言ってやる。痛い目に遭いたくなければさっさと消えろ。不愉快だ」

「ぶっ殺す!!」


 その忠告は絶対強者としての慈悲だったのだが、残念なことに男たちは理解できなかったらしい。

 最初に絡んできた男が、ルトの顔面目掛けて拳を振るう。その拳は大振りで、技術もへったくれもない力任せ。喧嘩慣れはしているのかもしれないが、素人の域を出ることはない低レベルなもの。


「はぁ……」


 当然ながら、そんな素人パンチが魔神格の魔法使い、いやそれ以前に兵士として戦場に出た経験のあるルトに通用する訳がなく。

 男が拳を振るった時には、すでにルトは椅子から立ち上がり移動していた。一瞬にして男の死角に回り、首を掴むと同時に足を払い顔面から床へと叩き付けた。


「ガッ!?」


 あまりに鮮やかなルトの叩き付けに、酒場の空気が凍りついた。男の拳が椅子やテーブルを荒らすより先に床へと叩き付けたその手際。更には酒場の物に一切の損害を与えていない配慮は、明らかに実戦に慣れた者のそれであった。

 尚、この一連の動作は凍結の力を使ったわけではない。これはルトの素の格闘能力である。ルトとて兵士として戦場に出た身だ。組討ちの心得は当然ある。少なくとも、酔っ払ってマトモな判断すらできないチンピラ、それも力自慢なだけの素人など簡単に制圧できるのだ。


「さて……」

「がぶっ!?」


 一瞬で一人を無力化したルトが、ゆらりと立ち上がる。ついでに横たわる男の腹に蹴りを入れ、反応を確認。くの字になった際に声が上がったので、少なくとも生きてはいる様子。

 その時点でルトの中から足元の男に対する配慮が消えた。念の為と生死の確認はしたが、生きてさえいればどうでも良いのだ。恐らく顔面は悲惨なことになっているし、首や頭蓋も痛めているかもしれないが、その辺は自業自得だろう。身分差的に本来ならば無礼討ちされても文句は言えないのだから。


「オイ。この屑と同じような目に遭いたくなきゃ、コイツを引き摺ってさっさと消えな」

「っ、ふざけんなこのクソ餓鬼!! 仲間やられて引き下がれるかよ!!」

「ぜってぇぶっ殺す!!」

「……コレでも引かねぇとか一周回って尊敬するぞ。マジで酔っ払い過ぎて理性飛んでんじゃねぇだろうな」


 酔いから醒めてもおかしくないような、えげつない無力化の仕方をしたはずなのだが。ルトの思惑に反して男たちは更に声を荒らげることに。よほど酔いが深いのか、それとも血気盛んな性格なのか。どちらにせよ救いようがないのは変わりないが。

 処置無しとルトは肩を竦める。すでに男たちは引き際を間違えたのだ。

 なにせ──


「っ、こっちが穏便に済ませようとしていれば調子乗って……!! いい加減にしろこのクソ野郎ども!!」

「ぐあっ!?」

「ッ、ガッ!?」


 恐らく男たちよりもずっと強いであろう少女、給仕であるリックの姉が、背後から男たちをでもって叩きのめしたのだから。

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