第30話 不良大公のお忍び

 夜の帳が降りる前の夕暮れ時。茜色に染まる賑やかな街を、人としての姿になったルトが一人で歩いていく。


「凄い賑わいだな」


 ふらりと立ち寄った市場では、その賑わいに圧倒される。飲めや歌えやの大騒ぎ、なんて例えが現実となったかのようだ。娯楽の少ない世の中ということもあり、この賑わいもルトたちの到着が関係しているのだろうが、それを踏まえてもかなりのものだろう。

 帝国の海の台所、サンデリカ。首都べーリーにも匹敵する程の賑わいを見せていることに、この街が帝国の要所の一つであるということが実感できる。


「なあ店主。ちょっと訊ねたいんだが、この辺りで良い酒場はないか? 実は今日この街に着いたばかりでな。あと、コレは何て料理だ? 普通のスープっぽいが、何か変わった匂いだ」

「これはリムっていうこの辺りの郷土料理だよ。適当な小魚やらを海水で煮たスープだ。うめぇぞ?」

「海水? 飲めたもんじゃねえだろアレ」

「お、詳しいな兄ちゃん。海の近いとこの出身か? 確かに海水はそのままじゃ飲めやしねえ。だがしっかり煮て、水で薄めると飲めるようになる。腹を下すこともねぇ。むしろ磯の風味と魚の旨味が合わさって絶品なのさ」

「ほう? そりゃ興味深い。一つ貰おう」

「へい毎度」


 酒場を探す為に適当な店に声を掛けたのだが、どうやら当たりを引いたようだとルトは笑う。海のないランド王国ではまず有りつけない類の郷土料理。それも海水を使ったものと説明されれば、興味も尽きないというもの。

 酒場の件は一旦脇に置いておき、ひとまずこのを店を堪能することにした。


「支払いは何だ?」

「帝国貨幣で」

「ならそっち看板の値段だ。器込みが上。器を返すのなら下だ」

「下で頼む」

「はいよ。……うし、丁度だな。んじゃ、コレだ。空の器はコレに入れてくれ。サンデリカは初めてなんだろ? サービスで魚をちと多目に入れといたぞ」

「お、ありがたい」


 気前の良い店主に機嫌を良くしながら、スープが並々と注がれた器を受け取る。そして一口。


「……美味いな」


 口の中に広がる旨味に、思わずルトは目を見張った。どうやら本当に当たりの店を引いたようで、下手な飯屋よりも断然美味かった。

 海水。なるほど、ただの塩味とは深みが違う。海独特の磯の風味というべきか、複雑でありながら優しい後味だ。そこに加わる魚の旨味が、更に味の広がりを与えている。


「いや、本当に予想以上だな! こうして味わうと納得だ。海の魚と海水、そりゃ相性も良い筈だ。しかもそれだけじゃないなコレ。海産物とは違った感じの甘味もある。砂糖じゃねえ……野菜か?」

「オイオイ。何だ兄ちゃん、若い癖して結構な美食家か? 良い舌持ってるじゃねえか。正解だ。屑野菜と秘伝のタレを一緒に煮て味を整えてんだ。これをするとグッと味が良くなるんだよ」

「なるほど。煮込みの類に野菜を入れるのは良くあるが、海の物と合わさるとこうなるのか。こりゃ美味い」


 海水と魚。それだけでは若干塩味に傾き過ぎるのだうが、野菜特有の甘味が加わることで良い塩梅となっている。


「具も美味い。魚は単純に味が染みてるし、偶に感じるワタの苦味が飽きさせない。こうして量が入ってると腹持ちも良さそうだ」


 スープと共にもぐもぐと魚を噛み締めれば、また違った味わいが口の中に広がる。……リム、侮り難し。

 味わいながら器を傾けること数分。見事にルトはリムを完食していた。


「満足だ。これならお貴族様にだって出せるじゃねえか?」

「ハハッ。ベタ褒めしてくれるじゃねえか兄ちゃん。流石にそこまでじゃねえさ。だがま、そうやって美味そうに食ってくれると、店をやってる甲斐があるってもんだ」

「偽りのない評価なんだがな」


 大袈裟だと笑う店主に対し、ルトもまた苦笑を浮かべた。実際に貴族が絶賛していると知ったら、この店主も腰を抜かすだろう。試しにやってみたくもあったが、ここで妙な騒ぎを起こすのも悪いと思い自重する。

 そして空の器を返しながら、ルトは本来の目的である酒場についてを再び店主に訊ねる。


「さて。良い感じに腹も膨れたことだし、そろそろ酒も入れたいな。もう一度訊くが、オススメの酒場はないか? こんな美味い品を出してる店主のオススメ、是非聞きたいところだ」

「ハッハッハッ。本当に持ち上げるのが上手いな兄ちゃん。それならあっちに市場を抜けて、右の通りに入ったところの海猫亭って酒場がオススメだ。値段も手頃で酒も豊富だ。飯も美味いぞ。……流石にリムはうちに及ばねえがな」

「だろうな。ココでしかリムは食ったことがねえが、それでも飛び抜けた美味さなのは間違いないだろうよ」

「当たり前よ! この市場でも人気なんだぜウチは」


 ニヤリと笑う店主に、ルトは当然だろうなと納得する。出される品は絶品で、店主の人柄も良いのだ。コレで人気が出ない訳がない。


「ただ兄ちゃん。酒場を求めるのは結構だが、宿は取ったのか? 見ての通り今日は賑わってる。新しい領主様と、あの炎神様に並ぶすげぇ魔術師様がやってきたからな。一目見ようとこの辺りの奴らが集まってるんだ。下手すると宿がなくなるぞ?」

「そりゃ大丈夫だ。実はこの街に越してきたんだよ。寝床はちゃんとある。飲み過ぎて石畳を寝床にしなきゃな!」

「そうなのか! そりゃ目出度いな! だったらまた来てくれよな!」

「こんな美味い店、贔屓にするに決まってんだろ。言われなくたってまた来るわ。んじゃな、店主。美味かったぞ」

「おうよ、毎度あり! それじゃあ次を楽しみに待ってるぞ。あ、飲み過ぎてそこらで寝るんじゃねえぞ! サンデリカは治安が良い方だが、それでも悪人はいるからな! あと酔っててもスラムには近づくなよ! 一目見りゃ分かる筈だからな!」


 店を去るルトにわざわざ声を上げて色々と忠告してくれる店主に、自然と苦笑が浮かぶ。まさか初見の客にここまで世話を焼くとは。オマケに店の紹介、忠告等々。早くもルトの中であの店はお気に入りとなった。


「随分と幸先が良い。こりゃ酒場も楽しみだ」


 海猫亭。あの気の良い店主が勧める店だ。否応なく期待が膨らむというもの。自然とルトの足も早くなる。


「それにしても、サンデリカ。我が婚約者様の街は中々に素晴らしいようだ」


 黄昏の街。星の光が覗き始めた空を眺めながら、ルトは人混みへと消えていった。

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