第26話 帝国にて魔神は過ごす

 かくして、ルトが帝国へと身を置いてから一ヶ月の時が流れた。

『新たな帝国の守護神』、『更なる繁栄を約束させる太き柱』、『個人でありながら国家に匹敵、いや凌駕する力を宿す若き大公』、『氷神』などなど、ルトを指す呼び名は次々生み出されていった。未だに正式な発表こそされていないものの、ルトの存在は確かな速度で帝国内に広まっている。

 一定以上の立場を持つ者たちの間では公然の秘密として。商会やギルドの長など、民間において立場のある者たちの間ではまことしやかな噂として。そして民衆、政に関わらない立場にいる者たちの間では、酒の肴という名の法螺話の類として。

 立場から来る確度の差はある。だが、帝国に住む全ての人々が確かに感じていたのだ。新たな時代の畝りを。『近い内にナニカが起きる』という予感を。



 ──そして、その世界の転換点に立つルトはというと。



「くぁぁぁ……眠っ……」


 ……かつての戦場、ランド王国侵攻軍内での一時と同じ、いやそれ以上に自堕落に過ごしていた。

 一度眠れば昼まで起きず。起きたら起きたで適当に飯を食らい、再び寝る。かと思えば、ふらりと外に出て貴族街、平民街、スラムだろうが構わずぶらつく。帝国から支給された金を片手に、高級店から場末の酒場、飯屋に好き放題入り浸る。既に幾つかの店では太客と認識されていると言われれば、その放蕩気味も分かるというもの。

 歴史の転換点であり、これからの帝国を、いや世界を動かすであろう要人中の要人。通常ならば、このような退廃極まる生活など送れる筈がない。それを可能とさせたのは、フリードリヒが皇帝の名の下にルトへの私的な接触を禁止したからである。


「……飯。今日は、んー……外の気分だな」


 あの謁見の日。ルトが唱えた望みは、フリードリヒの盛大な笑い声と共に叶えられた。ルトの確認が必要かつ重要度が高い要件以外は、全てシャットアウトすると。要するに丸投げだ。ルトが臣従することで発生する諸々の雑事は、全て帝国上層部が請け負ったのである。

 無論、丸投げ故に彼らの都合の良いような処理が為されている可能性はある。ルトもそれは折り込み済みだ。なにせ相手は帝国上層部、大陸屈指の強国を運営する政治の怪物たちだ。下手に私欲を優先して、魔神の不興を買うようなヘマなどまずしない。そして多少の要望ならば、ルトとしてもできる限りは応えるつもりであった。面倒事を押し付けたのだから、相応のリターンもあって然るべきと考えているが故に。

 そんな訳で、ルトはその立場に反して極めて自由に過ごしていた。初めの方は王城の一角、迎賓館にて日々を過ごし。後半には王城近くの一等地に建っていた豪邸と大量の使用人を与えられ、ハインリヒと共に生活の場を移した。

 仕事らしい仕事は一切無く、大公位に相応しき財と豪邸を与えられ、王城に勤めていた一流の使用人たちに身の回りの世話をされる。まったくもって捕虜の身とは思えぬ待遇。無能と蔑まれてきたランド王国での日々とは、比較にもならぬ豪華な暮らしだ。


「相変わらず無駄に長い廊下だこと……」


 ……尚、当の本人はあまりその『豪華さ』に馴染めていない様子。

 寝室を出たルトは、実に面倒そうな足取りで廊下を歩いていく。直ぐにルトが部屋を出たことを察知した使用人が近づいてくるが片手で制し、ついでに『外で食べるから飯の用意は必要ない』と伝えて、さっさと歩いていった。

 そう。如何に豪華な暮らしを手に入れようが、ルト本人が極めて庶民的な思考をしているので、生活のかなりの部分を持て余し気味なのだ。身支度の類は一人でできる、というより他人にやらせる方が落ち着かない。屋敷の方もある程度は広い方が良いとはルトも思っているが、それでも百以上の人間が生活できる規模は流石にいらない。場末の宿屋の一室でも余裕で生活できるのだから。使用人たちだって、わざわざ王城から移って貰ったのを悪いと感じるぐらいには、仕事らしい仕事がない。大半が屋敷の維持管理に回って貰っているぐらいなのだ。

 結論を言えば、立場故に全てが必要なものであるとは理解しているが、それはそれとして落ち着かないというのがルトの心情であった。全てがほぼ無償で与えられたものである為に、恩知らずにも『気に食わない』と文句を言うつもりはない。便利で助かってもいる。だからこその『落ち着かない』なのだ。

 実のところ、ルトが必要以上に眠っていたり、割と頻繁に外出したりしているのは、そうした微妙な居心地の悪さが理由だったりもする。色々と理由を付けて一人でいようとしているのである。勿論、本人の趣味という理由が大部分を締めてはいるが。


「おや。殿……失礼。閣下ではございませんか。漸くお目覚めですか?」


 そんな屋敷の主人としてあるまじき理由から玄関へと向かっているルトに、声を掛ける者がいた。正式にルトの臣下となり、屋敷の一室を与えられたハインリヒである。


「ああ。昨日は遅くまで本を読んでてな。惰眠というより本気の熟睡だったよ。……それより、その閣下っていうのマジで止めないか? お互いに慣れないだろう」

「慣れなければなりますまい。帝国に降った以上、既に『殿下』ではなくなったのです。代わりに新たな大公となったのですから、貴方様は『閣下』なのですよ」

「そりゃそうなんだが。やっぱりどうしても違和感がな……」


 閣下と呼ばれる立場にいるのはルトとて理解しているが、長い間『殿下』と呼ばれていた以上はやはり違和感がある。特に『閣下』などという、年齢的に中々派生しないであろう敬称なのだから尚更だ。


「それならやはり、『御主人様』か『旦那様』にしておきますか?」

「前にも言ったが、御主人様はどちらかと言うと使用人が使う呼び名だろう。旦那様はそもそも的外れだ。俺は別に結婚はしていないし、大公位は『家』ではなく俺個人に与えられたものだ。当主ではないのだから、旦那様呼びは違和感がある」

「気にし過ぎな気もしますがな……」

「拘りや趣味の部分なのは否定しない。だからこそ譲れない」

「では諦めて頂きたいですな」

「……やはりそうなるか……」


 致し方無しと肩を竦め、ルトは己の呼び名についての言及を止めた。


「話は変わるがハインリヒ。お前、今日は何か予定はあるか?」

「そうですな。閣下が暇してるだけあって、私の仕事も必然的に少のうございます。急を擁するような仕事は無し。多少の雑務と訓練ぐらいですな」

「……余計な皮肉をどうも。まあ、良い。なら今日は付き合え。偶には趣向を変えて、供を連れて街をぶらつくのも一興だ」

「また唐突でございますな……。とはいえ、畏まりました。お供致しましょう」


 割と珍しい形のルトの気まぐれであったが、ハインリヒも伊達に長い付き合いではない。呆れながらも直ぐにルトの命に了承の意を返すあたり、妙な『慣れ』を感じさせる。

 そんなこんなで、主従は揃って屋敷の門へと向かい、


「──む?」

「──おや?」


 丁度一台の馬車が門の前に止まる光景を見た。

 通常ならば特におかしな光景ではない。来客など貴族にとっては良くあることだ。だが、ルトたちにとっては極めて珍しい、なんなら帝国にきて初めての事例であった。なにせルトは、皇帝の名の下に絶賛休暇中なのだから。


「どっかの家の横紙破り……は絶対無いよな。となると、『余程』の案件か?」

「その割には馬車の『格』が低い気も……。いや、あれは帝国軍の馬車ですな。確か下級士官辺りが使うものだったかと」

「下級士官か。また微妙に判断に困るな。取り敢えず用向きを訊くか」


 馬車の理由が全く想像できなかった為に、ルトは直接訊ねることに。幾ら出掛ける途中だったとはいえ、大公たるルトが直接要件を訊くことは普通は有り得ない。しかし、ルトの余計な手間を嫌う性格と、帝国における魔神としての在り方が合わさった結果、そんな『異常』は許された。尚、無駄に面倒なマナーの類を無視できるのは楽で良いと、ルトは内心で小躍りしていたりする。


「そこの。我が屋敷に何用か?」

「──大公閣下!? どうして貴方様がわざわざ!?」


 そんなルトの無法の結果、馬車に乗っていた人物が慌てて転がり出てくることに。まさか大公位を持った大物が、門番を押し退けて出てくるとは思ってもいなかったのだろう。


「おや、アズール殿か。久方ぶりだな」


 そして出てきたのは、ルトとハインリヒの既知の人物。共に戦場から帝国までを旅した間柄である、アズールだった。


「ハッ! お久しぶりでございます、大公閣下。憶えて頂き大変光栄でございます」

「そりゃ忘れんよ。せいぜい一ヶ月前だぞ。というか、やけにキッチリしてるな? 以前とは偉い違いだぞ?」

「そりゃまあ、閣下は非公式と言えど大公位を戴いておりますし。この反応も当然かと」


 最敬礼の姿勢を取るアズールにルトが苦笑すると、ハインリヒから至極当然のツッコミが入る。

 最重要人物でこそあったが、帝国でのは立場はあやふやなものであった一ヶ月前と違い、現在のルトは正真正銘の帝国の重要人物。貴族においては最高位の大公だ。名門貴族の出といえどただの子女、軍人としても下級士官でしかないアズールとでは、ルトはあまりにも立場が違い過ぎるのである。それこそ、かつてのような対応をすれば、各所から恐ろしい叱責を喰らってもおかしくない程だ。


「……ふむ。残念ではあるが、これも仕方ないことか。で、アズール殿。一体何の用なんだ? 旧交を温めにでも来たのか?」

「アズールで結構でございます、大公閣下。そして大変恐縮ですが、本日は皇帝陛下の命の下にお訪ねした次第です」

「ほん? 何かあったのか?」


 予想通りと言うべきか、アズールがやってきたのは帝国側から指示だった。何かしらの問題かは不明だが、ルトに確認すべき事柄が発生したのであろう。アズールが遣いに出されたのは、ルトたちと顔見知りの人物の中で程よく信用できて、使いっ走りに丁度良い地位にいた為かと思われる。

 そんな訳で、『雑用押し付けられて大変だなぁ』と勝手にアズールに同情しながらも、改めてルトが用向きを訊ねると、彼女は再び最敬礼の構えを取って答えた。


「──アズール・ミルヒ・レンブラント。皇帝陛下の命の下、本日付けでルト・ランド大公閣下の秘書として御側に侍ることになりました。それに伴い、皇帝陛下から此度の戦争の結末、閣下の今後の御予定の素案などを記した書類を御預かりしております。詳細を御屋敷にて御話したく御座いますが、宜しいでしょうか?」





 ーーー

 あとがき

 遅れました。ワクチン接種と本格的にFGO復帰したせいです。副反応で死にかけながら、ブリテンからツングースカまでを駆け抜けました。一昨日の深夜ぐらいに終わって無事情緒が死にかけました。


 それはそうと、漸く次で第一章は終わりです。終わる終わる詐欺してましたが本当に終わ(予定)です。兎も角、年内には終わらせます。

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