第25話 かくして魔神は膝をつく

「……ふぅ。全く肝が冷えたぞ」


 ルトとアクシア、二柱の魔神が人の領域へと戻ったタイミングで、玉座の間にフリードリヒの声が響いた。

 特に意識した様子を見せずとも、広大な玉座の間の隅々まで届くであろう重厚な声。平時であれば皇帝としての威厳を高めるそれも、流石にこの状況では何処か精彩を欠いている。

 まあ、それも当然だ。アクシアから事前にある程度の話は通っているだろうが、それでも目の前で神話の戦いが引き起こされたら恐ろしくもあるだろう。アクシアに至っては、指導と嘯きながら城を半壊させる威力の一撃を放っている始末なのだから。


「なんじゃなんじゃ。あの程度でビビったのか? 政務ばかりにかまけて戦場に出んから、そんな風に肝が小さくなるんじゃぞ?」


 しかし、当の本人は悪びれるどころか、やれやれとあからさまに首を振って煽り返した。


「魔神格同士の戦いの場と比べれば、そこらの戦場など茶会と変わらんだろうに……。例えそれが訓練の類であってもな」

「かーっ! 妾は勿論、ルト殿だってお主たちを巻き込まない配慮を見せていたというのに情けない! 安全圏にいて何をビビることがある!」

「ビビるというより、単純に心臓に悪いんだよ……。婆さんたちの放つ圧が、どれだけ只人の負担になると思っているんだ。身体の弱い者ならそれだけで死にかねんのだぞ?」

「そんな可愛げのある者がこの場におるかい!」


 そう言ってアクシアが玉座の間を見回す。つられてルトも視線を動かせば、覇気にあてられ固まっていた筈の御歴々が、何事もなかったかのようなすまし顔で立っているではないか。どうやらこの僅かな時間で平常心を取り戻したらしく、なるほど確かに可愛げはないなとルトは苦笑する。


「それでも苦情は受け付けるべきだと思うぞ、アクシア殿。玉座の間で暴れ回るなど、普通ならば首を落とされても文句は言えんだろ」

「何を言うか。こうした無理を通せるからこそ、妾たちの立場の証明となるのよ。ちまちま特別を主張したところで小物臭くなるだけじゃ。こういうのはの、どデカいのを定期的にガツンと喰らわせてやるべきなんじゃ!」

「……それでも無茶苦茶だと思っちまうのは、俺が未熟だからなのかねぇ?」


 自らの暴挙を堂々と正当化するアクシアを見て、ルトは首を傾げた。

 アクシアの言動は、通常の貴族としては非常識もいいところ、というよりも普通ならば断頭台の上に叩き出されているであろうものだ。だが、彼女は事実上の帝国のトップ。理由は不明なれど『フロイセル帝国』そのものに忠誠を誓っている為に、臣下の一人として収まっているが、その権威と権力はまず間違いなくフリードリヒをも凌駕する。そしてそれは、フリードリヒも恐らく言外に認めている。

 だからこそ、アクシアはあのような暴挙にも躊躇いがないのだろう。同じ魔神格であったとしても、ルトとは比べものにならない膨大な経験。それが『常識』という分厚い壁すら容易く打ち壊す武器となっているのだろう。


「なに、ルト殿も直に慣れる──というよりも、慣れて貰わねば困る。帝国の魔神は常識などに縛られてはならぬからの」

「……俺も結構やんちゃな方だと思ってたんだが、コレでもまだ足りんか。帝国での暮らしも中々に大変そうだ」


 アクシアの破天荒さは、経験と実績に裏打ちされた一つの境地だ。非常識と言われることが多いルトでも、彼女と比較されれば明らかに霞む。別にルトにはアクシアを超えるつもりもなく、また超える必要性も皆無ではあるが……。それはそれとして、こうもアクの強い同類が比較対象として存在するというのは、なんとも落ち着かないというのが本音であった。


「ハッハッハッ! そんなに心配なら、今この場で何か要望でも言ってみよ! なーに、既にこの場でルト殿の侮る奴はおらぬ。先の指導でお主が妾と同類であることは全員が理解しておるからな。最大限にお主の要望を叶えようと努力するだろうよ!」

「……まさかその為にあの暴挙を?」

「くふふふ。それもある、と言っておこうかの。この国の貴族、特にこの場に並べるような者は、妾がしっかりと指導をしておる。『魔神格の魔法使いが一体どういうものなのか』をな。だからお主を軽く扱う者はまず居らぬだろうが……」


 それでも念の為、アクシアは彼らの目の前で、ルトの力を見せつけてみせた。こうした用心は重ねて損がない故に。


「ま、そうした用心を抜きにしても、良い機会でもあったんじゃよ。魔神同士の戦いなど滅多に見れるものでは無い。それこそ、あそこで偉そうにふんぞり返っているクソガキですら見たことがないんじゃ。だから安全に見学できるのなら、さっさとやらしておくべきだと思っておったのよ」

「なるほど……」


 アレを安全と言えるのかはさておき。アクシアの言い分は尤もでもあった。

 魔神格同士の戦いなど、只人がどうやっても見ることは叶わない代物だ。ただでさえ、ルトが現れるまでは二人しか存在しておらず、両者共に大国の重鎮なのだ。そんな二人が直接対峙する機会など滅多に起きるものではなく、例え起きたとしても危険過ぎて只人など同じ『戦場』にいることもできないだろう。もし二人の激突を戦場で直接目にし、生き延びることができた者がいたとすれば、天に愛された豪運の持ち主と賞賛される程の奇跡なのだ。

 そんな奇跡を意図的に引き起こせるというのなら、行わないという選択肢は存在しないだろう。なにせ魔神格の戦いはデタラメの連続。例えアクシアから概要を聞いていたとしても、人伝と実際に目聞きするのとでは理解に差があり過ぎる。デタラメが過ぎるが故に、自らで体験しなければ真の理解が得られない領域なのだ。だからこそ、対策や心構えを用意する為にも、暴挙と謗られようが強行する必要があったとアクシアは語る。


「……法国が動き出す前に、少なくともこの面子には真に理解して貰わねばならんかったからの」

「本当、一手に幾つの意味を隠しているんだか……」

「ふっ。妾は年寄りじゃからの。長く生きてると、どうしてもせっかちになってしまうのよ」


 一見すればただ暴挙でしかない行為に、二重三重の裏を潜ませることをせっかちとは決して言わない。だからこそ、そうおどけてみせるアクシアの姿は、ルトには透明でいて恐ろしく深い湖を連想させた。あまりにも『底知れない』という意味で。

 彼女の底を見てみたい気もするが、得体のしれないナニカが潜んでいるようで躊躇してしまう。そんな複雑な印象をルトは抱いていた。彼女の纏う雰囲気が、あまりにもカラリとした気風の良いものであるからこそ余計に。


「さて、話がちと脱線したの。ほれルト殿。より尊大になる為の第一歩じゃ。何か要望を言ってみよ」

「……尊大と言われると、違う意味で躊躇したくなるんだが」


 アクシアが挙げたのはあまり宜しくない性格を表す言葉故に、ルトは先程までの思考を忘れて苦い表情を浮かべた。下手に突き進むと言葉通りの性格に変容するであろうからこそ、その例えは笑えないのだ。

 そんなルトの背中を押したのは、魔神格同士のやり取りを敢えて口を挟まず見守っていたフリードリヒであった。


「クハハハハッ! そこの年寄りは老いたせいで感性がズレおる故、その辺りは程々に流すが良い。だがそれはそれとして、我も婆さんの意見には賛成だ。貴重なモノを見せてくれた礼だ。好きな望みを言ってみよ」

「んなこと言われてもな……」


 フリードリヒの言葉に、ルトは困ったと言いながら頭を掻いた。

 何度も言うが、ルトはそうした欲望を殆ど持ち合わせていない人種だ。強大な力を若くして手に入れており、その気になれば大抵の望みは力技で叶えられるという状況にいたせいで、どうしてもその手の欲が薄くなってしまっているのである。

 ここ最近でルトが望んだのは、言うまでもなく自身と部下たちのアレコレのみ。これも必要に駆られての要素が大きい為に、今回の趣旨から少し外れている。結論から言えば、わざわざこの場で求めるような望みはルトには無い。


「本気で特に無いんだよなぁ……」

「お主それでも男子か!? 普通に考えれば折角の好機じゃぞ!? 財や地位を望むぐらいせんか!」

「そうは言われてもな、無いもんは無いんだよアクシア殿。というか、魔神格に与えられる『大公位』だけでその辺りは満たされるだろ」

「しかし、大公位はあくまで地位のみだぞ? 財はまあ、位に相応しい分は与えよう。だが、それはそれとして領地や役職はあった方が便利だと思うが……」

「与えられても困る、というのが正直なところですわ。単純に面倒だし、俺には上に立つような覚悟もない。そうした個人的な感情を抜きにしても、そもそもその手のノウハウがない。領地経営にしろ役職にしろ、俺には過ぎたものですよ」


 正体を晒して以降は優秀という評価を貰うことが多いルトであるが、それはあくまで生来の柔軟さに由来するものだ。知識の大半はランド王国で教わったものであるし、無能を演じる為に敢えて習得しなかったものも多い。領地経験などその最たるもので、知識的にも気質的にもできる気がしない。更に言えば、ルトは帝国では新参。外様の自分がそれらを与えられたところで、勝手が分からず余計な混乱が起こるのが目に見えている。


「それに仕事という意味では、俺はこの国に『居る』こと、法国に対する抑止力として存在するのが一番の仕事かと。そう意味では、わざわざ余計な重荷を背負うのもアレでしょう」

「うむむ……」

「まあ、それも一理あるか……」


 帝国がルトを迎え入れたのは、魔神格という『戦力』を欲したからだ。二人目の魔神格が持つ意味は実に大きい。戦略的に取れる選択肢が一気に広がる。そうして広がった選択肢を活かす為に、ルトという超戦力を独立させるのは利に叶っている。役職や領地が与えられていた場合、ルトにもしもがあった時に混乱が起きるからだ。そうした混乱が最小限で、尚且つ自由に動かせる超戦力というのは確かに魅力的だった。実際に動かすかどうかは別として、そういう存在がいるだけで敵国には十分なプレッシャーとなる。


「そんな訳で、わざわざ陛下に叶えて貰うような大それた望みは無いのですよ。それでも与える『必要』があるというのなら、地位や役職も謹んで拝領しますがね。そうでなければ、俺の意見と感情を考慮して頂けると助かります」

「ふむ……。まあ、その辺は色々考えておこう。だが、本当に良いのだな? この際、別に些細な望みでも構わんぞ?」

「些細な望みこそある訳……ああ、いや……」


 フリードリヒの念押しにルトが苦笑を浮かべ──そしてふと考え込んだ。


「何か思い当たるものでもあったか?」

「……ええ、まあ。本当に些細なことではありますが、陛下の名で保証してくれると助かることが一つ」

「ほう? 申してみよ」


 ルトの言葉にフリードリヒが僅かに前のめりになる。あまりに欲が薄いルトの望みに、興味を惹かれたからだ。

 そんな好機の視線を向けられる中、ルトはアクシアのような悪戯っぽい笑みを浮かべ、言った。


「我が祖国との戦争から本日まで。怠惰を自称する私は、仕方の無いこととは言え【無能】の称号を返上して働きました。──故にこそ、此度の一件が終わるまで、私の意思が真に必要になるその時まで、自堕落に過ごすことをお許しください」




 ーーー

 あとがき

 ふぅぅ。あと一話でこの章は終わりかな。別にここで終わってもいい気もするけど。

 これで漸くひと段落。やべぇ奴の方に移れる。……それはそれとしてバトル描写どうでした? 臨場感とかその辺。三人称視点のバトル描写は慣れてないので、地味に気になってます。


 PS.コメントが多かったので、【神威】はシンイということで。

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